「アイコンタクト」キーワードも有り難うございました。
車道を自転車で走っていると、正直怖いのですが、古倉先生の話を聞いて歩道を走る方が、駐車場から出て来る車から見づらいため、危険であることを知りました。
自転車の行き場について、法制度面や住民の意識面(ルール含め)行政を中心として広く議論し、マスコミ等を活用して方向づけをしていく必要があると思いました。特に、古倉先生が最後におっしゃった子どもと親の教育に関するコメントが印象に残りました。
最終的には、行政の判断となるとは思うが、自転車レーンの進展に期待している。
私も駅前レンタサイクルについて卒研ではありますが勉強しているので、矢野さんのお話はとても楽しく聞かせて頂きました。マイカーからの利用転換の点など非常に参考になるものがたくさんありました。
御三方(先生・発表者)同士の議論が無かったため、もったいなく感じました。
いろいろな都市から来られている方が多かったので、各地区の対応などの話が聞けると面白かったのではないかと思いました。
第二のプレゼン 興味深いものの消化不良です。
第三のプレゼン 今少しく突っ込みが欲しかったです。
総じて、色々考えさせて頂きました。
⇒ロンドンの自転車利用至上施策、世界の動向
⇒歩道走行の危険性の定量評価
⇒健康メリットの定量評価
⇒メリットの細分化の必要性 等です。
今後ともぜひ続けていただきたく。
司会の進め方が少々強引です。場がさつばつとします。
話題別にいくつかのグループに分けてそこでゆっくり話しあい、最後にグループ毎にその内容をみんなに紹介するなどの工夫があればよかったと思いました。
放置自転車問題、自転車事故問題、自転車走行マナー、自転車走行空間整備等々いろんな観点からの発言があいまいなデータ、感覚をもとに続出するものですから、発展的な方向性をもった議論にならないといった現象です。セミナーの後の懇親会でも少しそんな印象を受けました。
古倉先生の講演は、この複雑でファジーなテーマに対して確実なデータをもとに合理的な分析を行なうとともに今後の方向性に対する示唆に富んだ提言をされた点で、画期的な研究であると感動しました。今後の「自転車まちづくり」の議論は先生の研究を踏まえて語られるべきであるとさえ思っております。
その感動の中でも更なる研究の深化へつながることを期待して以下の文章を記載します。
同時に「自動車0」で「自転車と歩行者」だけであって欲しい町があるのも当然のことです。このあたりを「立地特性」ぬきに議論すると、話は不毛なものになります。現実の都市は一般論的な「立地特性」だけではなく、歴史性・地域の慣習他の「地域特性」も備えているのですから、最低でも「立地特性」をふまえた議論が必要です。
先生の研究の中でも力点を置かれていた「自転車利用のメリット」の具体的な分析や「自転車利用の用途別施策」とも通じるテーマではありますが、更なる深化が期待されます。
例えば「歩道上の自転車走行」を考える際に、「人々にとっての歩道空間のあり方」といった根本的な議論が欠如しているのではないでしょうか。「歩道上での語らい」「立ち止まって街を眺める」等の多様な使われ方・意味性を歩道空間は持っています。ヨーロッパの町でよく見かける歩道上のカフェテラスもその一例です。
「歩道のあり方」の議論なくして「歩道上の自転車走行」の議論がスタートできるわけがありません。このあたりは交通工学の専門家の責というよりも都市計画・建築・まちづくりの専門分野での「交通観点の欠如」と言った方が正確な表現かもしれません。
「都市交通構造の現代的再編」とう交通論からの観点とともに「まちづくりの中での都市交通のあり方」といった都市デザインからの観点をふまえた複眼的な議論が求められているのではないでしょうか。自転車走行空間についての考察の際にも歩道空間、公共交通空間の整備等を含めた全体像の中に「自転車走行空間」のあるべき姿を検討していく姿勢が重要であると考えています。
「日本的な継続努力」とは何か、それを進めるための行政・企業・市民の果たすべき役割と方法論といった部分の更なる進化を期待しております。
「安物自転車が放置自転車の最大の原因」という意見もよく聞きます。一方、自転車メーカーサイドではBAA(バイシクル・アソシエーション・アプルーブド)認証制度をスタートさせ、自転車の品質向上に努める動きも出来ています。自転車まちづくりの議論でも、こういった時代背景の中での産業界の動向をふまえた視点が欠かせません。
日本には現在12の基本法がありますが、「教育基本法」に象徴されるとおり、基本法制定には切実な背景がありました。(教育基本法の場合は戦前教育に対する強い反省が背景にあった。)基本法はやりの昨今、「都市基本法」「建築基本法」「情報基本法」・・・と基本法の氾濫の中に本質的な問題意識が一段と希釈されていくよう感じています。仮に「都市基本法」などの議論が始まると「自転車まちづくり」の観点は「交通基本法」か「都市基本法」か、本当に訳の分からない状態を生じるように思います。
これも古倉先生の「自転車まちづくり」研究に触発された結果と思っています。先生の研究成果を今後の「自転車まちづくり」議論・研究の基礎として活用していく中に新たな展開が秘められているように感じています。
冒頭「1。はじめに」に書いたとおり「自転車事故問題、自転車走行マナー、自転車走行空間整備等々いろんな観点からの発言があいまいなデータ、感覚をもとに続出」させずに、「発展的な方向性をもった議論」の深化につなげていくことを期待するところです。
20世紀は自動車が優先される世紀でした。2008年10月のT型フォードの発売開始が象徴です。21世紀は人間が優先される世紀にしたいですね。私は内燃機関を備えた自動車は以下の7つの罪を持っていると考えています。
(1)石油という太古の生物から与えられた化石資源(貴重な炭素源)を、燃焼して消失させることの罪。
(2)炭酸ガス等の排出による地球温暖化を促進させる罪。(温暖化か寒冷化は両論があり、短期的に決着させることはできないと思っています。100年後に振り返ったときに、判断できる問題です。私自身は寒冷化の弊害のほうがはるかに大きいと考えています。)
(3)交通事故死者・重度障害者の発生による人的・社会的な損失を発生させる罪。事故が原因で24時間以内に死亡する交通事故死者数は、高度医療の発達や救急体制の整備等で減っていますが、1年以内に交通事故が原因で死亡する人・重度な障害が残る人・交通事故が原因で自殺する人まで含めれば、年間1万人以上になるでしょう。仮に重大事故1件当たり、被害者側と加害者側合わせて20人が大きなトラウマを負うとすれば、人生80年として、統計上8人に1人は 一生のうちに大きなトラウマを経験することになります。これは異常なことだという認識が欠けています。人とぶつかったときに壊れるような車体の開発、最高速度を80Km/hr以下に抑えた車の開発など、自動車メーカーが車を売るために嗜好を煽ってきた結果、本来社会的に必要な開発をおろそかにしてきたと考えています。
(4)NOx、SOx、粒子状物質排出による環境汚染を引き起こした罪。NOxの50%、人為的な原因による粒子状物質の50%以上が自動車の排気ガスが原因です。それ以外に触媒残渣や金属微粉排出問題など、人体に与える影響が明確にされていない点で非常に気になります。一番被害を受けるのは、鼻の位置が地面に近い乳幼児であり、何十年先あるいは数世代先にどのような影響が現れるか、また影響が顕在化したときには取り返しがつきません。京都のように文化財が多い地区では、文化財に対する腐食も気になります。ベネチアなどの文化財の多い都市では、市中への車の乗り入れを制限していると聞きます。京都でも、早急に考えるべき問題です。1000年以上も引き継いできた文化財をたった50年や100年で腐食させるわけにはいかないと思います。
(5)道路や駐車場など、車を走行させるためにアスファルト化やコンクリート化させた罪。ヒートアイランド現象による局地的な豪雨の発生、地表にしみこまずに一時に排水溝に流入するために、都市型水害が増えていますし、これからも増え続けるでしょう。
(6)高齢運転者の増加による交通事故の大幅な増加。
(7)地域のコミュニケーションや子供の社会性の発展の機会を奪った罪。
そろそろ本気になって、車社会による功罪を数値化し、車優先社会を続けるのか、車と自転車の共存社会を作るのか、自転車(と歩行者)優先社会を作るのか、決断するする時期にきていると思います。今年になって、Oil Crunch問題が、米国、英国、ドイツ、フランスでさかんに議論されています。日本はOil Crunch問題に関して極めて脆弱ですので、なお一層、車優先社会に対する是非の議論が必要だと思います。
そのほか、まだまだ議論したい点が多いですが、長くなるのでやめます。最後に一言、日本では多様な魅力ある自転車の開発があまりにも少ないです。自動車開発にかけている経費の1%でも自転車開発にかけるべきでしょうね。
■「成功する自転車まちづくり」セミナーに参加して
1。はじめに
「自転車・まちづくり」について議論する機会の多い昨今ですが、議論の前提がまちまちのまま、いろんな議論が噴出し収拾が付かないことが多いものです。2。「立地特性」をふまえた研究の深化
「自転車走行空間」(「自転車まちづくり」P242「注・参考文献」の序章注2)の定義による)の整備についても都心部・郊外・密集地他「立地特性」により大きく異なるものと考えています。当然「自転車完全排除のまちづくり」もそのメニューに含まれます。セミナー参加者の一部の方からもそういった趣旨の発言があったように思いますが、京都の一部だけでなく、ウイーン・フィレンツェの中心部他、「自転車0」に相応しい町はたくさんあります。日本でも商店街なんかはその好例です。「商店街では自転車を押して通行しましょう。」なんてスローガンはむなしいものです。「錦市場」に自転車持ち込まれたらたまらないですね。3。交通工学的研究の重要性と限界
従来「自転車まちづくり」についての議論は交通工学の専門家からの発言が多かったように感じます。その結果、ヨーロッパの先進事例の紹介等に重点が傾きすぎ日本の実態とかけ離れた提言も多かったと思います。古倉先生の研究は既にその領域を超えた研究であることはセミナーに出席された方々にも伝わったことと思いますが、でもまだまだ「まちづくり」観点からの分析には不足している部分があるように感じています。このあたりは都市計画が土木工学の専門家主体に語られていた時期が長かったのと似通った部分があります。4。「自転車まちづくり」を進行させる方法論・組織論・運動論他
放置自転車問題の議論の中で、放置自転車問題は行政対応だけでは限界があり「市民協働」が必要ということがよく言われます。これに対しては「行政が本来行なうべき責務を市民協働の言葉で曖昧にする。」などの反論がすぐに想起できます。歩道上での自転車危険走行についても、「自転車マナー」なんて言っても問題は解決せず、「自転車保険の強制加入や自転車免許制」の話がよく出ます。ここでも「そんなことをすれば自転車の持つ自由性を奪うだけで、根本的な問題解決にはならない。」という自転車養護派の反論が想起できます。古倉先生の研究は、これについても確実なバックデータをもとに分析されており、「ヨ−ロッパの自転車先進国と呼ばれる国でも、行政他の継続的な努力がない限り自転車まちづくりの定着はない。」と強調されていました。5。交通関連企業(電車・自動車・自転車他メーカー)の商品政策と自転車まちづくりの関係
周知の通り電動アシスト自転車の年間製作台数が原付バイクのそれを上回りました。「電動アシスト自転車はエコな乗り物か?」「電動アシスト自転車は今後の自転車まちづくりの中でどういう意味をもつか?」という新しい課題が日本特有のママチャリ文化に付加されて発生してきたように思います。パナソニック電工は「電動アシスト車の自転車共同利用(シェア)システム」として「サイクルパートナー」の発売を開始されています。都心・ビジネスゾーンでの新しい試みとして一定の評価は出来るものの、ヨーロッパにおける自転車施策の方向とは異なる動向と思います。電動アシスト自転車のアシスト比向上の法改正についても、電動アシスト自転車そのものの位置づけが曖昧なまま進行しているように思っています。6。「交通基本法」は自転車まちづくりに方向性を与えるか?
セミナーの中でも「交通基本法は基本的な理念他について何も述べていない。」という古倉先生の意見がありました。フランスの交通基本法は「地球環境をふまえたエコな交通手段として自転車をとらえた」のは事実ですが、「移民等の多民族貧困層が(日本と違って)公共交通機関の未整備な社会の中で孤立している状況」に対する交通権確保という深刻で切実な問題が背景にあったのも制定の大きい要因です。さすが「基本的人権」の先進国といえます。7。さいごに
セミナーに参加しての感動をもとに、思いついたままの意見を整理してみました。
■古倉先生へ
自転車は軽車両ですね。車両である以上、車道を走るのが当たり前で、歩道走行を考えること自体が間違っていると思います。すべての混乱の原因がそこにあると思います。車と同等という位置づけで、車道走行で安全に走行できる方法を徹底的に追求したら良いと思います。道路事情で車とシェアーできないときには、車と自転車の優先を道路ごとに決めれば良いと思います。そろそろ道路は車のためにあるという固定観念からの脱却が必要ではないでしょうか。50年前の道路では、車がほとんど走っていませんでした。生活道路は子供たちの遊び場であり、歩行者や自転車が優先され、車は遠慮しながら走っていました。生活道路まで車を優先させた結果、社会的に失うものが大きいと思います。子供が年齢差を越えて集団で遊ぶ機会を奪うことで、自分たちだけで遊ぶことを通じてえられる社会性(年長の子供との付き合い方、年少の子供に対するCare,年齢差が広い子供が一緒に遊ぶためのルール作りなど)を育てる機会が奪われてきました。
このページへのご意見は前田へ
(C) by 蓑原敬 ほか & 学芸出版社
学芸出版社ホームページへ