まとめ船場から考えるマチの遺伝子大阪芸術大学 田端 修 |
これと対比的に、 例えば西区の四つ橋以西になると道路幅員も敷地間口もやや大きくなり、 その分、 建物群の連続感が希薄化し、 町並みが冗長感をあらわにする。 戦災復興土地区画整理事業のなかで街区構成が一新され、 受け継がれるべきマチの遺伝子がどこかで立消えてしまったのだ。 戦災は同じように受けたけれど、 船場では従前のままの街区構成が引き継がれ、 マチの遺伝子も引き継がれているが、 片方ではそうはならなかった。
このように理解すると、 市街地の骨格―街区構成や敷地割―が有力なマチの遺伝子であるという考え方が妥当性を帯びることになる。
その観点からすると、 大阪は一種の不幸を経験している。 天下の台所と称された近世大坂の繁栄の中心地を支えた人びとは、 工業化が先導する近代都市の居住環境悪化のなかで阪神間などに居住地を求めて船場を離れ、 さらには第二次大戦の都市空襲のため住みかを追い立てられた。 遺伝子としての「人」を船場は失ってしまっているのである。 皮肉にも彼らは、 例えば阪神間に進取の気性に富む地域社会を醸成し、 良質の居住環境をもつ住宅地をつくりあげることに貢献したが、 それに船場や大阪で育てられたマチの遺伝子が大きく作用していることは誰しも納得できよう。
その後、 船場の都市空間を受け継いだのは「法人」である。 近世以来の歴史を引き継いでいる法人もあって、 「人」としての振舞い方を繋いでいるケースもあることは指摘しておいてよいが、 機能・効率優先の企業社会では限界も多い筈である。
さて、 二つの観点を素描したにすぎないが、 いまでも船場は、 たくさんの遺伝子の賜物としての都心的なにおいを発散させ、 互いに輻輳し合い、 複雑性と多様性にみちた都心環境デザインを送り出しつづけている。
マチの遺伝子についてもそういう側面があるかも知れない。 先日ある会合で、 船場という環境は歴史や人びとの思い入れが深すぎて、 外の人には理解しがたいという意見を聞いた。 遺伝子が濃密なのである。 いっぽう、 これに接する中之島は二つの河川と緑の環境要素というタームで外国人をも惹きつける魅力がある。 デベロッパーとしてはこちらのほうが売りやすい。
遺伝子の中味が単純で少ないほうがわかりやすい場所もあるという議論であると考えてよいであろう。 どちらの都市環境が優れているか、 心地よいか。 さて、 あなたはどう考えますか。
田端 修(たばた おさむ)
マチの遺伝子1−市街地骨格
マチの遺伝子といわれてまず思いつくのは、 市街地の骨格―船場でいえば格子状の街区構成と細かめに区分された敷地割―である。 それらは時代とともに少しずつ変化してきているが、 御堂筋などの大通りに囲まれた「あんこ」部市街地では、 道路はおおむね狭く、 個別の敷地間口も小さいが、 それゆえに個別性の高い表情の建物が隣接・連接しつつ居並び、 活発な人の動きもある。 そこでは、 「整然」とはいえないが、 長い時間のみがつくり出せる心地よい複雑性を感得できる。 船場の都市環境デザインの特質である。
マチの遺伝子2−住まう「人」
マチの遺伝子は「人」、 という見方もありうる。 本来の遺伝子と生物個体の関係は、 マチの遺伝子=「人」と都市環境に照応するとみるわけである。
遺伝子が濃密な船場
生物個体は「利己的な遺伝子の利益」を運び、 伝えていくのための道具であるというドーキンスの説明は、 それまでの進化論の限界を打ち破るものであるとされる。 遺伝子は場所を借りている生物個体の利益には無関心なのだそうだ。
大阪芸術大学芸術学部建築学科教授。1939年京都市生まれ。62年京都工芸繊維大学工芸学部卒業。72年京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。その後、滑ツ境事業計画研究所、その他を経て、現職。工学博士。技術士(都市および地方計画)。1級建築士。著書に『町なかルネサンス―職・住・遊の都市再生論』(学芸出版社)、『都市デザインの手法―魅力あるまちづくりへの展開』(共著、学芸出版社)など。
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