かたちと関係の風景デザイン
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

風景をめぐって

〈混乱の美〉を超えて

関西大学 丸茂弘幸

 

 「都会の風致が並木に依っていつでもよく成る様に思って居るのは浅薄な考へである。 電車の走る処には電車に伴なふ風致があり、 ドブの様な悪水の縦横に流るる大阪には其悪水に付随した大阪特殊な風致がある。 夫を殺風景だと云ってドブを埋め広告をはがし、 電柱を引き抜いて市街の至る処に並木を植えたって都市の風致はよくなるものではない」(西川一草亭『風流生活』1932)。

 「小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、 …この三つのものが、 なぜ、 かくも美しいか。 ここには、 美しくするために加工した美しさが、 一切ない」。 「武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、 埃のために晴れた日も曇り、 月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。 ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、 これが美しくなくて、 なんであろうか」(坂口安吾『日本文化私観』1943)。

 「日本社会の経済成長が軌道に乗った60年代は、 建築家のいわゆる都市デザインと呼ぶ提案が活発になり、 若い世代の関心を集めた。 〈進歩的〉建築家たちの〈醜悪な都市〉という常套的批判が東京に向かって投げられた。 私はそれと正反対の、 単純化すれば、 この風景は現代都市の本質が見事に表出した〈混乱の美〉と定義した」。 「現代の集落が表現するものは、 調和した美ではなく、 混乱した美であってよい」。 「世界のすべての街の通りに、 醜悪といわれるような風景はない。 貧しいスラム街でも人が住む空間には〈美〉が漂う。 それが人間と住まいの根源的な結びつきなのだ」(篠原一男『超大数集合都市へ』2001)。

 これらの文章は、 そのニュアンスに多少の相違があるとしても、 一般には〈醜い〉とされるものを〈美しい〉と言い放っている点で共通している。 華道、 文学、 建築という異なるジャンルにおけるおそらくもっとも上質な部類に属する人々による、 戦前、 戦中、 戦後という3つの異なる時期からの発言であるだけに、 これらを単に個人の特異な嗜好の表明として片付けるわけにはいかないように思われる。

 柄谷行人は坂口安吾の〈美〉を、 フロイトの〈死の欲動〉、 そしてカントの〈崇高(サブライム)〉との関連から論じて、 「安吾が好む風景は、 美ではなくサブライム、 つまり、 不快を通して得られる快なのである」といっている。 後期フロイトの中心概念〈死の欲動〉に通じる「不快を通して得られる快」とは、 母親の不在という不快な経験を繰り返し再現する孫娘の遊びの中にフロイトが見出したものである。 少年期以来、 単調で反復的な無機質の風景にどうしようもなく惹かれていたという安吾についても同じ事がいえると柄谷はいうのだ。 「おそらく安吾にとって、 海と空と砂を見てすごすことは、 母の不在を克服する〈遊び〉であったといってよい。 そうした風景は彼に快を与える。 しかし、 それは母の不在という不快さを再喚起することにおいてなされているのである」。

 美と区別されたカントの崇高とは、 柄谷によれば「どう見ても不快でしかなく構想力の限界を越えた対象に対して、 それを乗り越える主観の能動性がもたらす快である。 いいかえると、 美は〈快感原則〉に属するが、 崇高は〈快感原則の彼岸〉にある。 カントによれば、 崇高は、 対象にあるのではなく、 感性的な有限性を乗り越える理性の無限性にある」。

 人々の共通感覚としての〈調和の美〉が〈快感原則〉にかなう〈美〉であるとすれば、 篠原一男における〈混乱の美〉は〈快感原則の彼岸〉にある〈崇高〉であろう。 したがって、 カントのいい方を借りれば、 〈混乱の美〉の根拠は都市の側にではなく、 われわれの心に求めなければならない。 われわれの心が都市の表象の中に〈混乱の美〉という崇高性を持ち込むののである。

 カントは崇高を〈数学的に崇高なもの〉と〈力学的に崇高なもの〉とに分けて論じている。 平静な心の状態のもとで観想される〈美〉と異なり、 〈崇高〉の感情はもともと心の動揺を伴うが、 この動揺には認識能力に関連する動揺と欲求能力に関連する動揺(たとえば恐怖)とがある。 前者を伴う場合を〈数学的に崇高なもの〉、 後者を伴う場合を〈力学的に崇高なもの〉とカントは呼んだのである。

 われわれの通常の認識能力の限界を超えて混乱した都市の風景を前にした時、 その判定にあたって、 人は認識能力に関連するある種の心的動揺を経験するであろう。 この動揺が合目的性をもつためには、 すなわち意にかなうものとして〈快〉に転ずるためには、 それが「数学的な調和的気分」として都市の風景に帰せられ、 そうすることによって都市風景が〈崇高〉なものとして表象されなければならない。 これがカントのいう〈数学的に崇高なもの〉に他ならない。 〈混乱の美〉を主張する篠原が、 日本の巨大都市、 たとえば東京を〈数学的都市〉あるいは〈超大数集合都市〉として表象しようとしている理由は恐らくここにあるのであろう。

 篠原ほどの明快さは欠くとしても、 〈混乱の美〉に近い考え方はわが国の多くの前衛的とされる建築家達に共有されているように思われる。 前述のように柄谷は安吾の特異な〈美〉を少年期の自己形成空間から説明しているが、 崇高性の導入には他にも様々な経路があるのであろう。 建築家には建築家ならではの独特の事情があるように思われる。 建築家はその気になれば、 都市空間における秩序の不在という不快を、 自らの作品を通して能動的に再現することによって、 この不快を快に変える機会を特権的に与えられた職能である。 建築ジャーナリズムというフィルターを通して立ち現れることによって、 一部の建築家達のこの〈遊び〉は建築界に属する他の人々の心の中にも効果的に崇高性を持ち込む。 若い世代が靡く所以である。 しかし狭い建築界の外にあって崇高性などと無縁な多くの一般の市民にとっては、 むろん不快なものはただ不快なままであり続けるだけだろう。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ