かたちと関係の風景デザイン
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京都最初の町並み保存

立命館大学 山崎正史

 

 

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 昭和47年(1972)の京都市市街地景観条例は、 当時としては画期的に総合的な景観制度であった。 中身は美観地区条例と、 特別保全修景地区制度で、 後者は国に先駆けての町並み保存制度だった。

 前年に、 その準備調査を京大建築史研究室の西川先生が受けていた。 私はそこに在籍していて、 調査に参加した。 最初の保存地区に産寧坂地区が選ばれた。 市の風致課主幹であった大西國太郎氏と、 博士課程の土屋敦夫、 益田兼房両氏が相談して制度を練られていたようだ。 アンケート配布や実測調査で走っていた下っ端の我々も、 連夜遅くまで、 あたかも計画の責任者ででもあるがごとく、 本物の町のままで消えて行くのを見送るか、 わざとらしくとも観光の町として保存をはかるべきか、 文化の継承は形だ、 いや精神だなどと保存の意義や、 方法論を喧々囂々討論の花を咲かせたものだった。 その頃はまだ保存アレルギーもあったが、 殆どの住民は協力的だった。

 あの頃の予想通りに、 今、 町は賑わっている。 毎年一度は学生を案内がてら散策を楽しんでいる。

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