明治初期に成立した全40戸の長屋は、 約2,000m2の敷地に、 コの字型の通路と、 3列の棟から構成される。 奥中央に石丸大明神を祀り、 今も石丸会が主宰する3月の「初午祭」が最大の行事である。
いまから25年前のサーベイで豊な路地空間と濃密な近所付き合いの様にショックを受けた。 最近また訪れたが、 その変容に再度驚いた。 表通りは建替えが進み表情が全く変わってしまった。 近所付き合いも浅くなり、 3階の建替えも見られる。 しかし、 路地空間はかろうじて往時の良さを留めており、 これを単なるマンション化ではなく、 100年後に向けてどう再生していくのか。
答えは模索中である。
空堀の長屋は再生するか
ダン計画研究所 吉野国夫
四半世紀前の街並み(1978年頃)
現在の街並み(2002年)
現在の路地空間(25年前とあまり変わらない)
石丸会100年の歴史は大阪都心の庶民的地域社会崩壊の歴史でもある。
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