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セッション

趣味が変えた都市風景

桑沢デザイン研究所 森川嘉一郎

 

 秋葉原に出向いた後、 山手線を半周して渋谷に降り立ってみれば、 街を歩いている人々が二つの場所でまるで違うことがわかる。 秋葉原では、 小太りの青年たちが大きなリュックを背負いながら店頭のテレビゲームに見入っているのに対し、 渋谷では、 茶髪の若者たちがケータイで話しながら闊歩している。 同じ日本人でありながら、 あたかも人種が異なっているかのように群衆風景が違うのである。 体型からして、 両者は異なっている。

 

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 もちろん街によって人の感じが違うのは、 今に始まったことではない。 大手町は昔から背広姿のビジネスマンの街だったし、 原宿ではかつて、 ハーレムスーツを着た「竹の子族」が路上で躍っていた時期もあった。 それらと何か違うところはあるのか。 実はまったく違うことが、 起こっているのである。

 ビジネスマンがオフィス街に集まるのは、 彼らの社会的な身分や役割によるものである。 竹の子族も、 原宿を舞台にした一種のパフォーマンスであって、 彼らが家に帰っても竹の子族をやっていたわけではない。 ところが今起こっているのはむしろ、 「個室空間の都市への延長」なのである。 それはどういうことか。

 秋葉原が90年代末からここ数年の間に大きく変貌していることを、 東京人であっても知らない人は多い。 かつて家電を買いに来る家族連れを主客層としていた秋葉原は、 家電需要を郊外型の量販店に奪われたため、 90年代より主力商品をパソコンに大きくシフトさせていた。 結果、 客層がコンピュータを趣味として愛好するような若い男性に狭まり、 そこを訪れる人々に、 著しい「パーソナリティの偏在」が発生したのである。

 このパーソナリティの偏在は、 秋葉原のさらなる大きな変化を引き起こした。 パソコンを愛好する人は、 ゲームやアニメなども好む。 その趣味的、 あるいはパーソナリティの傾向に沿って、 昔からの家電店が、 次々と漫画やフィギュアの専門店に取って代わられはじめたのである。 すでにJR秋葉原駅構内から中央通りの路上にいたるまで、 アニメ絵の美少女がほほえむポルノゲームの看板やポスターが、 何のはばかりもなく展開するようになっている。 かつてなら個室の中に隠匿されてきたそのような趣味が、 嗜好を同じくする人たちの都市的な集中によって、 公共的な都市空間を塗り替えるように露出し始めたのである。

 都市空間というのは、 さまざまな年齢、 社会階層、 趣味、 性格の人々が行き交う空間である。 その混在性が、 「公共」という概念の大きな前提の一つとだったといってよい。 ところが、 同じ趣味の人々が地理的な規模で集中するという、 これまでの公共空間の性格から見ると異常ともいえる現象が生じた結果、 個室空間と都市空間が融解するような様相を呈してきているのである。

 強調しておきたいのは秋葉原のそうした急変が、 バブルの頃に盛んに行われたような、 大企業による街の商業開発によってもたらされたものではないということである。 むしろそうした戦略的な力の不在が、 秋葉原の変化を特徴づけている。 パソコンを愛好する人はアニメ絵の美少女も好むという、 趣(・)味(・)の(・)構(・)造(・)が需要を集中させ、 あたかも大規模な開発でも行われたかのような都市風景の変貌を引き起こした。 人格やテイストが単なる“趣味の問題”を超えて、 都市をも変える力を帯びたのである。

 今秋葉原に集中しているいわゆるオタクたちは、 それまでは渋谷や吉祥寺といった若者の街として商業開発された街に混在していた。 ただし広告代理店が押しつけるようなライフスタイルと相容れない彼らの趣味は、 そうした街にあっては裏通りやアンダーグラウンドの専門店に縮こまるように存在していた。 そんな彼らが、 あたかも民族が自決しようとするように分離し、 秋葉原へと大移動したのである。 そしてその変化は、 人や商品の集中にとどまらない。

 秋葉原では建物の窓面積が少なくなり、 不透明化しているのに対し、 渋谷では逆に建物が透明化している。 秋葉原へ行く人たちは、 モノに取り囲まれて人工的な仮想世界に没頭する。 渋谷に行く人たちは、 自らを人工的に染めて外に演技する。 そうした性格の違いが、 建物のデザインにまで反映され始めているのである。 それぞれの民族が、 独自の建築様式を育むかのように。

 都市史的な文脈から眺めれば、 これは中華街やイタリア人街といった、 エスニック・コミュニティの形成に近い。 ただしオタクは少数民族でも移民でもない。 所得や職業威信といった旧来の社会階層においても、 際立った特徴があるわけではない。 秋葉原の変化はコミュニティ・オブ・インタレスト、 すなわち趣味の構造による集合である。 インターネットの場所の成り立ちを、 現実の都市が模倣し始めているのである。

 街が個性を獲得するまったく新しい過程が、 そこに発見できる。

(森川嘉一郎「趣味が変えた都市風景」
毎日新聞2003年1月12日を増補)
森川嘉一郎 もりかわ かいちろう
1971年生まれ。 早稲田大学大学院修了(建築学)。 同大学理工学総合研究センター客員講師を経て、 現在桑沢デザイン研究所特別任用教授。 著書に『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ』など。

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