フォーラムに向けて
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「大衆化・標準化の時代」のデザイン
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基幹保存道路施設デザイン
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戦後復興道路事業に始まり、 1957年に名神高速道路、 1959年に首都高速道路が着工された。 1958年道路整備緊急措置法により一般道も急速なピッチで建設が進められることとなった。
道路照明灯の原型ともいえる通称ハイウエイポール(建設省型照明灯)やガードレールなど基幹的な道路施設デザインが行われた。 今となっては、 普及品的な印象を受けるこれらの施設であるが、 当時は斬新な都会的モデルであったに違いない。
ハイウエイポールに使用されるKSC型の反射板は、 現在においても優れた配光効率をもち、 機能美の原型的デザインである。
路面デザインについては、 歩道はアスファルト舗装が主流であった時代である。
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電電公社主催のコンペによる電話ボックス(1953)
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SFシステムの工業化試案(1960'S)
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当時の懐かしいSFとして、 電電公社の電話ボックスがある。 公社主催のデザインコンペにより誕生したものである。 「丹頂鶴」の愛称で親しまれた。
この時代の後期にあたる1960年代初頭には、 建築家を中心としたアーバンデザインに関する多くの研究や論文が発表された。 『建築文化』誌の都市デザイン特集や、 丹下健三氏の「東京計画1960」、 芦原義信氏の「外部空間の設計」などである。
当時、 我々のグループでも道具論研究というテーマで、 住居の内部空間から建築システム、 また、 都市空間に至る様々な装置空間やストリートファニチュア(SF)の基本原型となる空間システムの工業化試案を行っている。 後のSFの実践化に先立つ試作的モデルである。
「発展と成熟の時代」のデザイン
戦後の「無」の状態から、 都市環境の基盤的な施設機能が配置された「大衆化・標準化の時代」を経て、 高度経済成長期を迎え、 我が国はこれらの基盤を高機能化高水準化させる時代に入った。
例えば、 舗装材においてはアスファルト舗装やカラー舗装、 平板舗装に代わり、 インターロッキングブロック(西独で1950年に開発された)などの機能改善型の舗装材の普及が始まった。 いまや普及品的なイメージになったインターロッキングブロックも、 当時は斬新、 且つ、 画期的な原型のデザインであった。
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EXPO'70大阪万博のSFデザイン
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この時代のパブリックデザインに関する最大のトピックスは、 EXPO'70大阪万博を幕開けとした環境装置空間の誕生である。
ストリートファニチュアやサインなどは、 それまで雑件的扱いにされ、 デザインもないがしろにされがちであった。 といっても過言ではないであろう。 大阪万博ではデザインの対象として正式にSFが取り上げられた。
先のSF空間システムの工業化試案は、 ここで現実的なモノとして実践されることとなる。 SFデザインの原型がここに生まれた。
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SF製品化の始まり(1973〜)
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素材・色彩など豊富なバリエーションをもちだした舗装材
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以後、 これらのプロトタイプは、 環境プロダクツとして様々な企業において製品化が進められ、 やがては、 博覧会というハレの空間装置から、 日常的な街路空間というケの空間装置として一般化されてゆくこととなった。
「個性化と多様化の時代」のデザイン
バブル期と呼ばれる豊かな時代に入り、 社会構造は新たな局面を迎える。 画一的なモノの高度化から、 モノの多様化・個性化へと社会要求が変化し、 都市環境デザインにも個性や地域性が求められる時代となった。
地域住宅計画(HOPE計画)などの施策に象徴されるように、 地域の固有性や風土景観を取り戻すことが求められ、 また、 都市のアイデンティティといわれるように、 独自性が要求された。
ふるさと創生事業なども発足され、 地域性創出のための補助事業がこれを後押しするものとなった。
景観材についても、 多様なバリエーションアイテムが製品化され、 場所性や地域性に応じて、 様々な選択が可能な時代となった。
舗装材においては、 擬石平板舗装や天然石舗装、 豊富な色数を持つタイル舗装、 また、 瓦材などを利用した特殊舗装なども製品化された。
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SFの機能充実化の始まり
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共架式SFの製品化
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SFについては、 道路施設の様々な機能を集約・統合化する共架型施設のプロトタイプがこの時代に誕生している。 いわゆる多目的柱と呼ばれる「信号・照明・標識共架柱」などの原型がこの時代にある。
環境構成要素である各種施設を個々の用途別に思考した時代から、 地域というフィールドの中で面的な都市デザインを思考する時代になり、 様々な道路施設が量として乱立する景観を何とかしたいという思いが、 これらの原型を創り上げた。 また、 この考えを後継した新宿副都心などのサインリングは、 交差点をランドマーク的空間として発展させた。
やがてこれらは、 システム化された製品として開発されるものともなった。 各種管理主体の管理区分や費用分担を簡潔にするため、 パーツのジョイントシステムや部材の構成デザインが重要な検討要素となった。
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西伊豆町井田子水門(1988)
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松本の道(1992)
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伊勢の道(1993)
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またこの時代は、 地域固有の素材感や形態・色彩をSF等の環境構成要素に取り込むことが思考された時代であり、 様々な手法で地域デザインの取り組みが行われた。 歴史的景観エリアでの和風公衆トイレや電話ボックスに始まり、 地域固有の事物の具象化、 また、 地域性を抽象的デザインコードに置き換えた施設デザインなど、 その方法論は様々であった。
その他のトピックスとして、 企業や自治体のCIブームや地方博ブームなどがあげられる。
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多摩モノレール(1996)
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広島新交通システム(アストラムライン)(1995)
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CIブームは、 電電公社や専売公社、 そして、 国鉄の民営化などを皮切りに、 コーポレートアイデンティティ(CI)の重要性が問われ、 やがて、 一般企業や自治体にも波及してゆくこととなった。 CIの一貫として行われたJRの成田エクスプレスなどの新たな車両デザインは、 その後、 各地方の鉄道各社において、 トランスポーテーションデザインとして広く波及するものとなった。 これらは、 環境グラフィックという視点で、 都市環境デザインに影響を及ぼすものとなった。
「地球環境と情報化の時代」のデザイン
バブル崩壊以降の現代は、 高度情報化社会・超高齢化社会・循環型社会など、 時代の課題とされる明確なテーマが提示される時代である。 バルブ期に生じた、 モノやコトの過剰な多様化やもの余りから目を覚まし、 ものの本質が問われるべき時代である。
情報化・高齢化・資源循環化などの要請や、 規制緩和などによる社会構造の変化により、 ITデザイン・ユニバーサルデザイン・エコロジカルデザインなど新たな都市デザインのスタイルが模索されようとしている。
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環境機能に配慮した舗装材
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舗装材については、 汚泥や廃ガラス・廃タイヤなどの再生舗装材によるリサイクル製品の開発が始められ、 非焼成舗装材などの製造工程における環境負荷低減製品の開発も行われるようになった。
近年では、 交通バリアフリー法の施行や道路の移動円滑化整備ガイドラインの策定などにより、 車椅子でも走行が容易である緩勾配断面を可能にする透水性舗装が主流になりつつある。 また、 ヒートアイランドの解消にも役立つ保水性舗装なども普及を始めており、 ユニバーサル、 エコロジーが主要テーマである。
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さいたま新都心サイン(1999)
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小倉駅南北連絡通路サイン(1998)
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SFについては、 新時代の要請に対応する、 いくつかの新しいストリートファニチュアのデザインが芽をだしはじめた。 その一つとして、 音声機能等を備えたユニバーサルデザインに対応するサインやバリアフリー対応施設を環境グラフィックとして取り上げたサイン等があげられる。
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景観調和型高圧鉄塔―中国電力(1992)
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東京国際展示場サイン(1995)
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インテリジェントバスストップ―ベルリン(1999)
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また、 様々な技術革新などにより生まれた、 新たな「かたち」を予兆するデザインが見え始めようとしている。 ニューエイジのパブリックデザインである。 景観調和型高圧鉄塔や東京国際展示場サインは、 これまでにない環境イメージを創るものとなった。
そのほか、 規制緩和や財源運用の変化により生まれようとしているものがある。 岡山市において開始された広告付きバスシェルターなどの新しい試みがそれである。 民間活用によるパブリック空間の新たな運用のスタイルが始まろうとしている。 プロダクツ製品としてウォール社において開発されたインテリジェントバスストップは、 太陽電池とインターネット端末を装備するシェルターで母国ベルリン市では運用が始められている。
ここで取り上げたものについては現在進行形であり、 この時代のプロトタイプになりうるかという判断は、 時代を終えて初めて明らかになるものと考えられるので、 ここでは、 時代の原型となる可能性を秘めているモノという表現にとどめておくこととする。
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