学校へ行き来する為に、 毎日毎日てくてく歩いた道。 「この角を曲がれば、 大きな犬がいてそこは、 郵便局の人の家なんだ。 あそこの米屋のおじさんは、 今日もいるかな」と、 毎日毎日日課のように思った。
この道は、 「ここ郵便局の人の土地で、 使わせてもらってるんだ」「この家はシコロの家って言うんだ」と、 教えられたことが、 いまだに頭の隅に残っている。
あれから何十年も経ち、 人々の生活が積み重ねられつづけても、 ほとんど変わらない子供の頃の風景そのままが、 丁寧に使われて残っている。 残っているというのは、 少し違うかもしれない。 全くの現役だから「ある」という方が正しいように思える。
ここは、 泉大津だ。 “小京都”ではない。 グローバル化が話題になっている今日この頃に、 最も自信の持てるスタイルである。 ここでは、 探せば、 きっと“泉大津モード”が存在すると信じている。 消耗されつづける場所には、 どうも近頃ついていけなくなっているのは、 私だけではないと考える。
スッキリクッキリ
何も足さない、 何もひかない
□学校帰りの風景(泉大津市)
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