フォーラム記録
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ファッションよりモードが望ましいか

 

ほんとうにそうなのか

 このフォーラムの議論は、 ある種のデザイン的な潮流を「ファッション」と「モード」とに分け、 これらが質的に違うものものだという前提で進められてきたように思います。 「ファッション」というのは刹那的で短期的なものだけれど、 それが住民やユーザーに認められ、 定着していく過程で「モード」になっていく、 という分け方です。 そして、 ケース・バイ・ケースではあるけれど、 長期的に残るもののデザインに「ファッション」を適用することには注意が必要で、 もし「ファッション」を使う場合には、 それをいかにして「モード」化していくかが大切だ、 というお話が、 いくつか出てきました。

 ただ、 見方を変えれば、 ファッションというのは誰がそれを仕掛け、 それによって誰が儲かっているのかが、 あらかた明らかになっているという意味で、 その危険性も限られています。 逆にモードというのは、 一般に受け入れられ、 歴史化された、 プロパーなものであると思われているところに、 かなり危険性があるのではないかと私は思うのです。 というのは、 ある様式が広く定着していたとして、 それが定着していった過程を遡ってみると、 それがみんなから認められて自然に定番化していった、 というよりも、 ある種の権威的な主体が圧力でもってこれを定着せしめた、 というケースの方が、 歴史的には目立つからです。


モダンデザインが上品でよいもの、 という教育

 例えば宮沢先生のご発表の中で、 ヨーロッパのさまざまなストリートファニチャーのデザインが例示され、 それと対置させる形で、 日本で80年代に流行した、 「ディズニーランダイゼーション」のとも呼ばれるテーマパーク的街おこしのデザインが比較されました。 はっきりとはおっしゃっていませんが、 どちらかというと、 ヨーロッパの事例の方が地に足が着いていてよろしいだろうと、 モダンデザインというのが良いものだという見解が示されていました。

 もちろん、 われわれデザイン教育を受けている人間にとっては、 モダンデザインは良いものであり、 テーマパークのようなデザインはキッチュだという見方は、 非常になじみ深いものです。

 ではなぜわれわれは、 モダンデザインが良くて、 ディズニーランド的なものがよくないと感じるのか。 それは、 まさにわれわれがそういう教育を受けているからなんです。 大学時代から、 あるいは小学校時代からの美術教育を通じて、 モダンデザインが上品で良いものだという教育を受けているからなのです。


巨大な利権構造

 ではなぜ、 そのような教育がなさているのか。 それは、 モダンデザインが上品で良いデザインだと教育しようという政治的判断が歴史的になされてきたからです。 これは、 何が上品で何が下品なデザインかということを決定する国際的な場が偏在していて、 それによって巨大な利権構造が発生しているからです。 個人的には、 なぜわれわれがモダンデザインが良いものと感じるのかを、 振り返って考える教育をしていくことこそが、 今後は大事だと思っております。

 この話の続きは機会があれば、 ディスカッションの場において続けさせていただきたいと思いますが、 今日の発表では、 そのようなことを考える一つの素材として、 私がここ5、 6年ほどおこなってきた秋葉原の調査に関して発表させていただきます。

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