ディスカッション
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朝のお話でも分かったようにファッションとモードという言葉にはいろんな理解の仕方がありますし、 私自身はファッション=悪で、 モード=善という単純な善悪論にはしたくない気持ちがありますが、 今までの話からはそうした問題提起が出てきたと思います。
そこで、 これからのディスカッションでは、 誰がまちの風景を作ってきたか、 変えてきたかを考えてみたいと思っています。 そこからファッション論やモード論が出てくるのではないでしょうか。
しかし、 それだけでは抽象的すぎますので、 環境デザインは何を拠り所にデザインすべきなのかも考えてみたいと思います。 ファッションの世界では「仕掛ける」という話がありましたが、 環境デザインの世界にもみなさんのようなデザイナーやプランナーという職能がいるわけですから、 デザインの世界で何を拠り所にしていくべきかについて再度ご意見をうかがいたいと思います。
また、 ディスカッションの次のポイントとして、 公共性についても議論してみたいと思います。 都市環境デザインという存在は、 公共空間が世の中にはあるに違いない、 その空間の質を良くしたいと思って努力してきたと思っていたのですが、 森川さんからは「いや、 趣味がまちを作るものだ。 公共性という概念はどこかに飛んでしまった」との問題提起が出されました。 そのことについても、 みなさんから意見をうかがおうと思っています。
以上、 デザインの拠り所と公共性という二点をディスカッションのポイントとして進めていきます。 どなたからでも意見をうかがいたいのですが、 どうでしょうか。
私の結論から言いますと、 ファッションでもモードでもどちらでもいいじゃないかという感じがしています。 ただ、 ファッションは誰かが仕掛けて流行廃りがありますよね。 百年の計で作られるべき都市環境の中に廃れる部分が出てくるのはマズイので、 そういう意味では都市デザインはモード化していく必要はあると思います。
それから、 誰がまちの風景を作るのかについてですが、 これは本当は住んでいる人々自身が作っていくのが筋だと思います。 それを専門家が助けるのが基本的なあり方でしょうが、 今までは行政も専門家も自分たちが作っているのだと錯覚していた部分が大きいと思います。 また、 何か出来た後でそれを使っていく過程の方が大切なのに、 そこを見落としたまま次の何かを作ることが繰り返されていたのではないでしょうか。
私は作ること以上に、 メンテナンスをどう考えるのかがまちづくりには大事だと考えています。 ですから、 誰が風景を作るかというより、 風景はみんなが作るものでそれぞれの役割が違うものだという認識が大事だと考える次第です。 思いつくままに話すと、 まず以上のことを一つ目の私の意見としてあげておきたいと思います。
ふたつ目のデザインの拠り所についてですが、 私は基本的には「場所を読む」ことを重要視しており、 それを読んだ結果、 そこに住む人々がどこまで幸せになれるか、 充実感が持てるか、 自分のまちとして誇りを持てるようになるかを考えています。 そんな風に考えることを私はひとつの拠り所にしています。 これはすぐに判断できることではなく、 丁寧に場所を読んでいくことがとても重要だと思っています。
森川さんの話に出たまちもひとつの現象ですけれども、 意図的に変えることが出来ない現象も場所の要素として、 まちづくりに取り込むことが出来ないとマズイのかなと感じています。
まず、 秋葉原では従来の公共空間から逸脱するようなことが起こっていると申し上げましたが、 あらゆる場所がそのようになりつつあると言うつもりは毛頭ありません。 秋葉原は変な先端のような街ですが、 あの現象が東京中を覆ったり全国に蔓延していくなどということは、 とりあえずないでしょう。 ただ、 私が今の秋葉原に注目しているのは、 やはりなにがしかの予言性があそこにはあるだろうとも思っているからです。
日本における戦後の都市形成を概観しますと、 そこには大きく分けて、 二つのフェイズが見受けられます。
ひとつは、 1960年代に代表されるフェイズで、 その代表例は、 西新宿の超高層ビル群です。 あの風景は、 国や都が地図に定規をあてるような計画の仕方で巨大なスケールのゾーニングを行い、 そこに大企業を誘致して出来ました。 官主導の下で、 巨大企業が、 その資本の大きさを高さに翻訳するようにしてスカイラインを成した風景です。
それに対して、 民間大企業が主導した都市風景が、 1980年代を中心に現れます。 例えば渋谷の公園通りや、 大阪のアメリカ村などが典型的だと思います。 東京ならば西武や東急、 関西なら阪急などの電鉄会社がターミナル駅周辺を開発するために、 西武や東急デパート、 さらには、 パルコや東急ハンズなどライフスタイルを売るタイプの商業施設が作られ、 ストリートの景観が欧米風に操作されました。 その時モデルにされたのが、 ディズニーランドです。
このように都市形成の主体は「官」のフェイズと「民」のフェイズがありましたが、 秋葉原ではこのシフトがさらに進められて「個」のフェイズに移った状態だと私は見ています。
とはいえ、 そうした個々の街をアイレベルで見るのではなく、 空撮するような視点で眺めた場合、 日本の諸都市は、 モダン・スタイル(近代様式)の建物でほぼ覆い尽くされているというところにその特徴があります。
日本とヨーロッパの都市風景を見比べてみて、 何がもっとも違うかというと、 日本の都市はみんな四角いのっぺりしたビルで覆われていて、 ヨーロッパのように中世や近世の面影を残した都市風景がほとんどありません。 ではなぜ、 日本の都市建築はそのほとんどが四角いのっぺりした箱なのか。 効率のみを追求してデザイン性を考えなかったからだと思われがちですが、 あののっぺりとした箱型は、 「モダン・スタイル」という、 歴とした建築様式なのです。 合理性の追求ではなく、 合理的な形は美しいという美学的な追究によって生まれた様式です。 もっとも、 それが日本中に波及するにあたって、 装飾を省いたそのコストパフォーマンスの良さが大きく効いたことは間違いありませんが。
重要なのは、 このモダン・スタイルという様式が、 西洋の様式だということです。 いわゆる「洋館」のようなリヴァイヴァリスティックな様式だと、 それが輸入された様式だということは造る方にも使う方にも意識されるわけですが、 モダンスタイルの場合、 そうした意識がはなはだ希薄になりつつあるところにある種の危険性があります。
モダンスタイルは、 何やらグローバルなものように見えて、 それは明瞭に西洋建築史の末端に位置する様式です。 組石造の重苦しい空間でこれまでずっと来ていたから、 鉄とガラスといった新素材によって、 空間を開放的にしていこう。 そのような西洋建築史の流れによって方向付けられたデザインであるわけです。 これに対し、 日本の建築は木と紙でできていて、 もともと開放的だったわけです。
そのような、 西洋建築史の文脈から出てきたローカルなスタイルなのに、 それを「モダン・スタイル」、 さらには「インターナショナル・スタイル」と名付けたところに、 西洋中心主義的な発想、 さらには戦略が内包されています。 「この様式を採用すると、 近代的で国際的な都市になれますよ」という圧力が、 その名前に包含されているのです。
戦前の日本では、 そうした洋風様式の輸入に対して、 抵抗めいたこともしていました。 例えば、 帝冠様式という日本趣味な建物のデザインが考案されたりしました。 しかし敗戦によって日本趣味は国粋主義の烙印を押され、 ただ従順にモダン・スタイルに倣って建てるようになった結果が、 戦後の日本の都市の姿です。 ミースのコピーが、 日本中に満ちあふれました。 本場のヨーロッパの都市よりも日本の都市の方がモダン・デザインが蔓延するという、 変な事態になったのです。 本場のパリよりも東京の方が、 ヴィトンのバッグを持ち歩いている女性が多いという現象と、 構造的には同じです。
角野:
今日の森川さんのお話のなかで、 官から民、 そして個へとまちの作り手が変わってきたとの図式はとても分かりやすい説明でした。 官が採用したモダンデザインは効率性、 合理性をベースにして作られてきましたが、 民の時代そして個の時代になった時どんなデザインが出てきて何が注目されるようになってきたかが次の話題として続くと思います。
この図式に関してでも、 あるいは別の見方からでも何か意見のある方はいらっしゃいますか。
私は長年あかりに携わってきた人間ですので、 その観点から申し上げます。 あかりという言葉はどちらかというと炎から連想される言葉ですが、 今は照明という言葉にかわってきているという観点で、 私は都市照明の仕事を一生懸命やっているところです。
先ほどの「誰がまちをづくってきたか」を照明の立場から見ると、 照明の歴史そのものがまだ百年ぐらいしかないもので、 都市照明に至ってはつい最近、 ここ20年ぐらいで出てきたものです。 20年ほど前の都市照明の歩道灯などは丸形と角形しかなく、 屋外用の照明はそれで十分だと思われていました。
要は景観の観点ではなく、 安心感や安全性の観点で考えられており、 あかりの雰囲気を楽しむにはまだほど遠い世界でした。 もっとも建築の世界では庭園を彩るためのあかりや、 障子越しに見えるあかり、 縁側的な空間のあかりなど、 空間を演出するあかりが上手に取り入れられていましたが、 道路や公園などの公共空間での屋外照明はどちらかというと機能優先でした。
誰がデザインしたかについてですが、 照明の場合はデザイナーよりエンジニアが多かったと思います。 最近はモノをデザインするというより光環境を作るという風に変わってきたので、 都市のあかりのあり方をデザイナーが一生懸命語るようになってきたようです。 現段階では、 私の感じで言うと、 あかりづくりは技術者とデザイナーが共同でやっていくものじゃないかと思います。
照明デザインの拠り所については、 まだまだ未熟な世界ですから拠り所なんてない状況だと思います。 ただ、 光が作り出す自然環境、 例えば水面に映る紅葉など光があってこそ可能な風景というものがあります。 今はそんな光景を人工照明で再現しようとしている状況だと思います。 自然の美しさを人工照明で楽しむという方向ですね。 また別の方向としては、 ネオンやイルミネーション、 LEDのように、 光そのものが主役となって環境を演出するものが出始めています。 どちらかというと、 技術開発活用レベルでまだ拠り所がないといったところです。
最後に公共性についてですが、 都市照明を作り上げるプロセスそのものが確立していません。 どちらかというと都市照明は防犯のためと望まれることが多いレベルですので、 まずは人々に照明=電気ではなく、 照明=あかりであることを知ってもらうプロセスが必要なのかなと思っています。
私の今日のテーマを「ファッションとしての緑ではなく、 自然に習うべき」とおきました。 その立場から言えば、 自然はチャラチャラしたら困る分野です。 例えば自然の中には絶滅しそうな種がありますが、 ファッションだからといって自然をこわしてしまうようなデザインは止めて欲しいなと思います。
一方で個的なものと公共的なものという対比で考えると、 秋葉原のまちは個的な景観だと思いました。 こうした個的な景観をどうするかは大阪的には「勝手にしはったらよろしいやん」という感想が言えるのではないでしょうか。 大阪にも道頓堀のかに道楽の看板に象徴されるように「勝手にしたらよろしい」風景があります。
しかし、 私としてはそうした「勝手」空間はきちっと区切って、 あちこちに進出しないことを望んでいます。
たまたまこの会場からは御堂筋の銀杏並木が見渡せますが、 これは昔に植えた銀杏が育ってここまで豊かな空間になったのです。 もし、 ここに秋葉原現象が起きたらと考えると、 いくらそれが個的で趣味的な景観であろうと勘弁して欲しいことです。
ですから、 「個的空間」を区切るようなルールはやはり必要で、 チャラチャラしていい所といけない所を決めておくことは、 都市環境デザインにとっては大事なことだと思うのですが、 いかがでしょうか。
角野:
優等生ですねえ。 このあたりについて、 何かご意見はありますか。
森川さんの話はとても面白くうかがったのですが、 都市環境作りの視点から見ると、 秋葉原現象は作ると言うより「出来た」まちですよね。 「出来た」まちは実はたくさんあって、 歌舞伎町や竹下通りもそうだと思います。 道頓堀も「出来てしまった」まちであって、 あの光景は設計者が計画して行政が指導して出来るものではありません。
私としては、 気恥ずかしいけど秋葉原に行って「あってもいいんじゃない」と納得できれば、 それは公共性があるということではないかと考えます。 都市の中にああいうまちがあるんだと、 多くの人がその存在を認めることが都市における公共性ではないでしょうか。
私はそんな風に秋葉原を「出来てきた」まちだと捉えていますが、 ではそういう傾向の中で都市環境デザイナーはどう関わるべきなのか。 その辺を森川さんはどうお考えですか。
計画をするという概念があり、 それが職能としても成立しているという前提が、 まずあります。 結果、 その職能を守るという動機が見えない所で働いている気がします。 しかし、 その前提自体がそろそろ怪しくなっているのではないか、 というのが私の見方なのです。
例えば、 いわゆるデザイナーや建築家が秋葉原に出かけていって、 格好いいデザインをそこで展開したとして、 果たしてオタク達は喜ぶか。 先ほどデザイナーの仕事は人々を幸せにすることが大事というお話がありました。 もちろん民主主義の原則として、 「最大多数の最大幸福」を追求することに、 とりあえず間違いはないと思います。 すると問題になるのは、 秋葉原で世間一般が支持する格好いいデザインが展開され始めると、 そこの大勢を占めるオタク達が、 かえって不幸になってしまうということです。
我々専門家は「良質なモダン・スタイルの建築をまちなかに建てるとみんなが幸せになれる」ということを前提にしています。 例外的に秋葉原のようなまちがどこかにあってもいいけれど、 プロパーな場所では困るという指摘もありました。 では誰が「プロパーなものはこれだ」と決めているのでしょう。 そこのところを全く批判せずに、 我々はずっと来ているのではないでしょうか。
プロパーなものを誰が決めているかというと、 これは明らかに西洋、 すなわち欧米です。 我々日本人はそれに従うと政治的に判断してきた歴史があります。 権威を常に外在化させてきたわけです。 もちろん、 アメリカやヨーロッパは格好いいものだという認識が今後もずっと続くなら、 そのままスタイルを輸入し続ければよいという判断も、 ある程度妥当でしょう。 しかしどうやらそのような状況も、 雲行きが怪しくなってきているように思います。
イラクへの攻撃をアメリカが行ったとき、 バグダッドの制圧が確定的になるまでの数週間、 テレビを含む各種報道が、 アメリカに対して大変批判的なトーンを帯びました。 あたかもアメリカの方が「悪の枢軸」だと言わんばかりの論調も目立ちました。 ベトナム戦争や安保闘争が一段落して以降、 アメリカへの憧れのまなざしはずっと安定していましたが、 それもある日突然ガラガラと崩れる可能性があることが、 あの数週間で印象づけられたわけです。
ライフスタイルそのものからして、 我々は戦後ずっと西洋の強い影響下にあります。 住宅の様式も、 ほんの数十年前までは日本間が基調で、 そこに洋間の応接室がくっつく形態だったのが、 今では洋間の中に和室を付随させるスタイルが主流になっています。 これと並行して、 家庭も、 イエ主体から夫婦主体のライフスタイルに変わりました。
同時に結婚にいたるプロセスも、 見合いから恋愛へと主流が逆転しました。 これも、 ホームドラマなどを通じて、 アメリカから輸入されたライフスタイルです。 見合いが主流だった結婚が、 戦後のある時期に逆転して、 今や恋愛結婚が9割を超えるようになり、 住宅の様式の変化にもそれが反映されているというわけです。
もう一つ住宅にまつわる事例を言えば、 宛名書きをされた方ならお分かりでしょうが、 日本の集合住宅の実に多くが欧米風な名前を冠しています。 「メゾン○○」とか「グランベール××」という名前を見るたび、 なんでこんな名前にしたんだろうなと思ったりしました。 ところが、 そうした中に混じって「○×荘」といった名前を見つけると、 行ったこともないのに「○×荘」の方はみすぼらしく、 「メゾン○○」の方は立派でおしゃれな感じだろうと、 ほとんど反射的にイメージされてしまう。 そこまで我々の認識は支配されてしまっているのです。
我々は、 アメリカの前衛が、 テレビの向こうのイラクにあると思っています。 しかし普段意識はしていませんが、 我々の頭の中にも様式闘争の前衛があるのです。 我々のライフスタイルは、 西洋への憧れを基盤に構築されていると言っても過言ではありません。 私の関心は、 その基盤が崩れたらどうなるか、 というところにあります。
オタク文化は、 アメリカが担ってきた科学信仰や未来信仰が70年代に入って崩れたときに、 それを代替すべく生み出されてきたところがあります。 その意味で、 オタク趣味は欧米への憧れが崩れた後に日本のデザインがどうなるかということに関して、 少なからぬ予言性を持っていると私は思います。 そこまで含めて、 私は秋葉原に注目しています。
豊留:
今の「デザイナーの存在意義」についてひとこと。 私も照明デザインをやりながら思うことなんですが、 都市照明についてはそこに住んでいる人たちがどんなまちにしたいかを話し合う過程で話題にのぼる事が多くなりました。 どんなあかりになるかは体験しなければ分からないことが多いので、 デザイナーが勝手にデザインして終わりというわけにはいかなくなっています。 かといって、 住民が全部できるわけでもない。 今後は住民主導でまちを考え、 専門家やデザイナーはそれをサポートする時代に来ているのかなと思います。
今まではデザイナーが都市のデザインを何もかも決めてきたわけですが、 今後はそのあり方を変えていかねばならない時期に来ているのでしょう。
ではここらあたりで、 会場からのご意見や質問を受けたいと思います。
丸茂(関西大):
森川さんのお話には大変刺激を受けました。 そこで森川さんにふたつ質問をさせていただきます。
まず、 森川さんがお話しされた趣味がまちを作るという現象は、 午前中の鷲田先生のお話にあったアナザーワールドとして考えておられるかどうか。
もうひとつは、 官から民、 そして個に至った時のデザインとして、 透明なものと不透明なものを対比されていましたが、 どちらも何も表現していないという点では同じ事だと思います。 官のデザインがモダニズム、 民のデザインがディズニーランド化だとすれば、 個のデザインは何も表現しないことなのでしょうか。 その辺をおうかがいしたい。
森川:
まずは一つ目からお答えします。 私は今日は途中から入ったもので、 鷲田先生のお話をフルに理解できてはいないと思います。 そのように了解頂いた上で、 鷲田先生のご講演の最後の部分について私なりに要約すれば、 “死後の世界”“宗教”“凶悪なもの”といった超越的な要素が我々には絶対に必要で、 そうしたアナザーワールドを欠いた計画都市はよくない、 ということだったと思います。
アナザーワールドの諸々は、 近代の計画概念からはずれるものばかりです。 実はそのような要素が都市にとって欠くべからざるものだという指摘は、 ブラジリアなどの計画都市が「魅力がない」と言われたり、 スラム化が起きてしまったりしたことによって証されていると思います。 私が注目している趣味の台頭も、 近代の計画概念からはずれたものという点では、 鷲田先生がおっしゃるアナザーワールドと通ずるところがあるのかもしれません。
近代の美学は、 人間にユニヴァーサルな標準を見出すことに力点を置いています。 183cmを人間の理想的な身長として、 あらゆる寸法をその黄金比で導こうとするモデュロールの概念などは、 その最たるものです。 そのような「標準」で計ることのできない要素が都市にとって大切なのだという鷲田先生のご指摘には、 私も共鳴するところです。
ふたつ目のご質問は「透明・不透明の建物は何も表現していないのでは」ということですが、 しかしその発想そのものが西洋的な見方で、 建物やファサードが、 「建築」として、 何かを表現しなくてはいけないという前提に立っていると思うのです。 「建築」や「美術」に関心をもつことが「文化的」なことで、 無関心な日本人は西洋に比べて非文化的で遅れている、 というヒエラルキーが、 そこに意識するとせざるとに関わらず出現します。 本当にそんな関心を日本で持つ必要があるのかということを、 今後は批判的に検討していかなくてはならないのではないでしょうか。
私は10年以上前からパソコンもやっていましたし、 森川さんのお話を秋葉原という至福の空間が出来ているんだとうらやましく思いながら聞いていました。
ところで、 宮前さんは御堂筋を例にあげて「ここが秋葉原みたいになったら困る」とおっしゃいましたが、 御堂筋もここ数年は変化していて、 昔の銀行街だったところにチャラチャラしたブランドショップやこじゃれたレストランやカフェが建ち並ぶまちになっていますよね。 これは一種のブランド・オタクのまちになっていると言ってもいいんじゃないでしょうか。
秋葉原はイヤだけど御堂筋はよくなってきたというのは、 個人の趣味や感覚の問題で公共性とは関係ないんじゃないと思います。 そのあたり、 ちょっと差別的な感覚じゃないかと思うのですが、 いかがでしょう。
宮前:
最近、 公共施設の崩壊過程を間近に見ることがありました。 古い言葉ですが、 我々の血税を使って出来た公共施設が、 今やもう廃れてきているんです。 ある時期はもてはやされて流行したんだけれど、 それが段々と廃れていき廃墟になってしまう。 そういう状況は、 やはりよろしくないでしょう。
御堂筋がよくなったというのはみんながくるようになったからです。 みんなが来るからこそ、 公共的な空間が成立するのです。 都市はいろんな人が訪れるからこそ都市なのであって、 先ほど森川さんも秋葉原を「ちょっと従来とは違っている都市だ」とおっしゃっていたと思います。 御堂筋をいろんな人が来るようになったから公共的だと思うのは差別的なんでしょうか。
前田:
オタクは「みんな」の中に入らない?
都市を個的か公共的かと二つのタイプに分けたとすれば、 みんなが来る街が公共的であるとそういう風に言ってもいいんじゃないかということです。 かといって、 オタクのまちは消されるべきだ、 この世に存在してはいけないと言っているわけじゃありません。
前田:
そうはおっしゃっても、 御堂筋も限られた人しか来ないじゃありませんか。
宮前:
そんなことはないでしょう。 先ほどのランチの時もみなさんが食事している光景を写真に撮りましたが、 ブランド・オタクではないおじさん達だっておしゃれなカフェに来る御堂筋なんですよ。 おじさん、 若い人、 オタク、 みんなが来る御堂筋であって欲しいと思うんです。
先ほどデザインすることは、 人を幸せにするためだという話が出ましたが、 みなさん本当にそう思っていらっしゃいますか。 ファッションやモードは、 本当に人を幸せにするのでしょうか。 そのときの「人」というのは誰なのでしょう?今の人にとっては理解できないデザインで苦痛でも、 未来の人は幸せになるかもしれない。 今すんでいる人にとっては迷惑でも、 新しくすむ人にとっては幸せかもしれない。 デザインやモードは、 創り出す人が想定する幸せの提案ではないでしょうか。 かなりわがままのものも多い。 デザインしたり計画したりするのは人を幸せにするという前提があるからということですが、 みんなを幸せにするようなデザインはあるでしょうか?
森川:
もちろん「デザインが人々を幸福にするため」というのは、 奇麗な建前です。
私がデザインは政治的に決まっていると申し上げたように、 そこには強力な利権構造もあれば、 イデオロギーの対立もあります。 利権やイデオロギーに関して優勢な立場の側が、 他方を圧倒するための道具として、 デザインは利用され続けてきました。 モダン・デザインは西洋の強力な道具だったわけです。
ただ、 民主主義の思想に沿って我々の社会は組み立てられていますから、 「最大多数の最大幸福」から大きくはずれようとすると、 そこかしこにひずみが起こってくるのも確かなことです。
そういう状況の中で、 デザイナーはどういう形でデザインできるのか。 デザイナーという職能の存在を賭けていこうとするなら、 もう少しデザインを受け取る人々の存在を考え、 西洋的な美学を共有しない人々も幸福にできるのか、 逆に不幸にしてしまう可能性はないのかということについて、 せめて意識的になる必要があると私は考えます。
豊留:
私は「人を幸せにする」という意識でデザインしているつもりです。 確かに無駄なデザインをすることもありますが、 私にとっては無駄なデザインであっても、 人々はその中から自分の喜びや幸せにつながることを探すこともあります。 デザイナーは人々がそれを見つけやすいようにするのが仕事だと思っています。 特に光のデザインはそういうことが多いと思います。
ですから嫌なデザインもまた、 幸せにする場合もあります。 結局は「デザインは人を幸せにする」という方向で仕事をするべきだと感じています。
宮前:
テレビ番組の「劇的ビフォー・アフター」を思い出しました。 家族の問題を家の改築で解決するという内容のテレビ番組ですが、 最後は家族全員が涙して喜ぶ姿が映し出されます。 これは人々を幸せにしているデザインじゃないでしょうか。
宮沢:
私は幸せは「ビフォー・アフター」のようなこととは思えません。 確かに幸せな光景が出てきますが、 私は幸せとは恐怖や不安感を乗り越えて「ああ、 あのときに苦労したことがよかったな」と思えるような充実感だと思うんです。 そういう充実感を人々に与えるまちづくりがいいと思っています。
ご質問の「幸せ」の意味合いがどのようなものかは分かりませんが、 私はせめて「こんな世の中、 生きていて嫌だった」と思われるような環境だけは作りたくないと思っています。
みなさん、 どうもありがとうございました。
やはり大変なテーマだったなあと思っていますが、 私自身は随分ドキッとする話をちょうだいしました。 ここでまとめるべきなのでしょうが、 まとまるわけがないと皆さん思っておられるでしょうし、 何かちょっと変なものを口に入れてしまったという違和感を感じておられるかもしれません。 しかし、 それはすごくいいことだと思います。
今回のテーマであるファッションとモードについて、 しばらく前から準備していたのですが、 私はモードやファッションとはフワフワと浮遊しているもの、 あるいは変化しているものをどのように定着させていくかの行為の連続なのかと思ったのです。 浮遊しているものをある価値観、 理屈、 論理によって止めてみる行為が、 今日の鷲田さんの話によれば身体に傷を付ける行為、 つまり体に穴を開けてひりひりする思いをあえてすることによって精神的には実感を持つことができるということでした。
もうひとつ鷲田さんの話で印象に残ったことに、 「身体が押し返す感覚」というのがありました。 押し寄せてくるものを自分から突き放した上で、 身体と周りとの関係を押し返すということですが、 何に対して押し返すのかと考えました。 身体を押してくるものが環境だとすれば、 それに対して自分をどう定着させるのか、 どこに自分を位置づけるのかという行為が出てくると思います。 これは個人の場合ですが、 それが集団や地域コミュニティでの場合になったときに、 まちづくりやデザインにという話につながるのかなと思います。
そして、 今我々がすごく悩んでいるのが、 定着する「拠り所」なんです。 一体何を拠り所にしていけばいいのか、 また今まで拠り所にしていたことは本当に正しかったのか。 みなさんのお話では、 地域性や自然そのものが大事という言葉が出てきました。 また、 拠り所を探すプロセスそのものが大事というご発言もありました。 これらはファッションにせよモードにせよ、 ある種変化していくもの、 浮遊しているものを定着させる行為なのだと思います。 ただし、 定着させた端からふわふわと離れていくかもしれません。 拠り所はとても曖昧なものかもしれませんが、 しかし我々はそれぞれの職能として拠り所をそこに求めていく必要があるのでしょう。 地域ごとにその拠り所を提案していくことが大事なのかなと感じました。 これは私の個人的な意見ですけれど。
また、 「公共性」についても議論のテーマとしてあげました。 公共性こそは都市環境デザインの拠り所であったはずなのですが、 お話をいろいろうかがっていると、 本当にニュートラルで透明な公共空間があるのだろうかと疑問に思えてきます。 公共と言いながら、 実はいろんな色が付いています。 不特定多数が集まって、 誰もが同じように楽しめる公共空間なんて本当にあるのだろうか。 公共空間にも実はいろんな仕分けが必要なのではないかと考えてしまいます。
我々は地域や場所論についてはよくやりますが、 そこに来る人論をあまりしてこなかったんじゃないでしょうか。 そこにどんな人が来て楽しんでいるか、 どんな人が来たがるのか、 例えば御堂筋に来る人たちはそこで幸せなのかどうかを我々は議論をしてきたでしょうか。 もちろんこれには、 我々はいい場所を提供するだけでいいのであって、 そこまで踏み込むのはお節介だという議論もあると思います。 公共空間をどう理解するか、 どう位置づけるかも、 今後我々が考えて行かねばならないことでしょう。
それと、 我々JUDIは職能人の集まりなのですから、 今述べた状況の中で我々はどういう職能を築いていくべきかも考えなければいけないのです。 そういう意味でも、 今日はいろんなヒントをいただいたと思います。
最後に付け加えるなら、 やっぱりモノを作る人はいいですね。 「人を幸せにする仕事だ」と堂々と言えることは素晴らしいことだと思います。 大体、 私のように研究者は何でも斜に構えてしまうものですから。 今日はいろんな人たちと場を共有し、 議論できて大変に良かったと思います。
これでディスカッションを終わります。
司会:角野幸博(フォーラム委員長、 武庫川女子大教授)
パネリスト:宮沢功(GK設計)、 宮前保子(スペースビジョン研究所)
豊留孝治(松下電工)、 森川嘉一郎(桑沢デザイン研究所)
まちの作り手、 デザイナーの拠り所、 公共性
司会(角野):
都市デザインはモード化していく必要はある
宮沢:
まちづくりの作り手は官から民、 そして個へ移った
森川:
あかりの世界から見る
豊留:
やはり「個的空間」は区切って欲しい
宮前:
秋葉原はみんなが認めれば「公共的」
宮沢:
デザイナーの存在意義が怪しくなる時代
森川:
秋葉原はアナザーワールドか
角野:
御堂筋だってブランド・オタクのまち
前田(学芸出版社):
宮前:
再度「デザインは人を幸せにするか」
小浦(大阪大学):
せっかく今日はファッションやモードの議論を続けてきたのですから、 その辺について皆さんに聞いてみたいと思います。
まとめ−変なものを口に入れた違和感について
角野:
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