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世界遺産の文化的背景

 

 曼荼羅絵解きの前に、 熊野の概要や世界遺産の意味について少し話しておきたいと思います。

 ご存知のように、 「紀伊山地の霊場と参詣道」が2004年7月7日に世界遺産に指定されました。 ちょうど七夕の日で覚えやすい日です。 世界遺産としては788件目で、 古道としてはサンチャゴに次いで2例目です。

 今回の世界遺産のポイントは、 日本を代表する山岳信仰の霊場であることと、 文化的背景がいまだに息づいていることです。

 ここには吉野・大峯、 高野山、 熊野三山という三つの大きな霊場があります。 この三つは日本を代表する霊場であり、 日本の宗教文化の発展や交流を考える上でとても大切な存在です。

 吉野・大峯は修験道の道場、 高野山は弘法大師が開いた密教の根本霊場ですし、 熊野三山は神仏習合であり庶民も広範囲に受け入れた霊場です。 今でこそ、 これら全部をひっくるめて「紀伊山地の霊場」となりましたが、 昔は高野山が「我々こそ弘法大師の崇高な教えを広める最高の霊場なんだ。 それにひきかえ熊野は男女が入り乱れてお詣りするような猥雑な霊場だ」と非難したこともあったそうです。 言い換えれば、 それぞれの霊場が他とは違う個性を持っていたわけです。

 

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図1 霊場の分布と参詣道
 
 さて、 今回の世界遺産は霊場と共に参詣道も登録されましたが、 それを見るとほとんどが熊野へお詣りするための「熊野道」です。 高野山へ登るための「町石道」以外は全て熊野参詣道が登録されており、 この道が紀伊半島全体に広がっていたことが分かります。 だからこそ世界遺産まで持っていく作業は大変だったわけですが。

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