こういう曼荼羅は誰が描いたのですか。
山本:
こういう絵を発注していたのが熊野比丘尼たちを束ねていた熊野本願寺院です。 熊野三山に所属していた募金団体のようなお寺です。 本願寺院がこんな絵を描いてくれと指定していたようです。 絵師は分かっていません。
こうした曼荼羅図は全国で31本残っています。 単にお寺やお宮を描いただけでなく、 時空を越えたエピソードをうまく織り込んでいて、 よく考えられたものだと思います。 いろんな伝説や物語がちりばめられていて、 とても魅力的です。
今でもこんな絵解きをする人はいるんですか。 比丘尼さんの後継者のような人とか。
山本:
実は絵解きのシナリオは全然伝わっていません。 私がやった絵解きの内容も比丘尼が実際にやったのかどうかも分かりません。 ただ、 地獄極楽を描いた絵図(熊野観心十界図)というのもありまして、 それは比丘尼が絵解きをしていたのが確かなようです。 ただし、 そちらのシナリオもきちんと伝わっていません。
ですから私としては、 自分でいろいろ調べた上で、 かなり即興的にやっております。
最初、 こういう絵解きは暗くなってから行われるのが普通だとおっしゃいましたが、 具体的にどんなシチュエーションで行われたということは分かるんですか。
山本:
いつも会場を暗くして、 プロジェクターで映してやるもんですから…。
昔は、 最初の頃は比丘尼さんが真面目に絵解きをしてお金を集めていたのですが、 時代が下るにつれて廃れてしまい、 売春をするような比丘尼さんになってしまったようです。 ですから、 夜に登場する比丘尼を「売比丘尼」と呼んだわけで、 本当に真面目に絵解きをした比丘尼は絵がちゃんと見える昼間にやっていました。
絵解きをするのは昼間、 橋のたもとでという設定が基本でした。 もちろん都会の橋ですよ。 田舎でやっても人は集まらんでしょう。 4、 5人のグループで全国を回るのが通常だったようです。 営業部隊というわけですね。
31本の曼荼羅が残されているとのお話ですが、 図柄は全部同じなんですか。
山本:
那智参詣曼荼羅と呼ばれるものは、 ほとんど同じ図柄です。 細かい部分での違いは、 鳥居が真っ直ぐか斜めかそんな違いがあるくらいです。
あと熊野の「観心十界図」(地獄極楽図)というのが42本あります。 一般的な地獄極楽図は全国各地にありますが、 一番多く有名なのが「熊野観心十界図」です。 熊野バージョンとして有名で、 熊野比丘尼が絵解きをしました。
参詣曼荼羅は「社寺参詣曼荼羅」と言って高野山やお伊勢さんなど各霊場にありますが、 熊野の31本は飛び抜けて多い本数です。 参詣曼荼羅は全国で百本あまりと言いますから、 そのうちの3分の1です。 熊野はそれだけ全国的な勧進活動をやったということでしょう。
31本の曼荼羅はどこにあるのですか。
山本:
北は秋田県から南は九州まで全国各地にあります。 いろんな寺院所蔵もあれば、 個人で持っていたり、 大学図書館が持っていたりといろいろです。 ただその伝来経過はよく分からないです。
質疑応答
参詣曼荼羅を描いたのは誰か
参加者:
絵解きのスタイルについて
中村:
どんなシチュエーションで絵解きは行われたか
神吉:
曼荼羅図の図柄について
難波:
熊野曼荼羅の所在地
小浦:
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