・名称:ヨーロッパ村周防町通り商店会(活性化協議会を本名称に付随して使用することもある。)
・地区:大阪都心部・周防町通り(御堂筋〜堺筋まで東西500m)
・設立:1992年7月18日
・組織:64店舗
特徴
大阪を代表する都心商業地区「ミナミ」。その中央部を東西に走るのが周防町通り、現在では「ヨーロッパ村」の愛称で知られ、いつも多くの人通りが絶えない。大阪では、御堂筋を挟んで西側にあるカジュアルなアメリカ村に対し、お洒落な大人のテイストの街として人気がある。
ヨーロッパをイメージさせるレンガやインターロッキングブロックの舗装、歩道と車道との間のボラード、街灯、植栽、キオスクなどが、軒を連ねるブティック、ギャラリー、レストランなどのお店を引き立てている。
以前の周防町通りは、歩道が狭く、電柱や電線が氾濫していて、景観や歩行者の安全性、緊急時の通行の妨げなど多くの問題を抱えていた。
そのような状態を変えようと地域の商店主や企業、住民の自発的な街の活性化運動が行政を動かし、昭和58年度建設省の「都市景観形成モデル事業」として採択され、整備が実現した。
最初それは、3人の女性たちから始まった
ごちゃごちゃした街を美しく、快適な街にしたい。そのような思いを持つ3人の女性たち、クロ・クリエイティブ・インターナショナルの早瀬萬里子さん、長崎堂の荒木美江子さん、輸入ファッション・雑貨の福原芳子さんらが中心になり、運動を始めた。彼女たちの目標はミナミ全体の電柱の地中化を始めとする街並みの美化であったが、最初まったく手探りの状態で、アンケートや街づくりの提案を持って大阪市に出向いたり、協力をお願いする為に方々に奔走したという。
当時の大阪市長であった大島靖市長は、ヨーロッパ村だけでなく、御堂筋を挟んだアメリカ村も含めた街の活
性化に理解を示してくれた。当時は大阪市の財政もゆとりがあったのだが、1981年7月に市からヨーロッパ村全体では広範囲すぎるので、モデルケースとなる道幅のある通りに場所を絞るよう提案され、ヨーロッパ村でもっとも幅員の広い東西の周防町通りで、地域組織ができればと考えた。ところが地域組織は、南北の通りであって、東西ではなかった為、南北の通りである心斎橋筋、玉屋町、畳屋町などが交叉し、東西の通りである周防町通りでまとめることは至難の技であった。
この界隈の町会をまとめた大宝連合会の松永会長に相談した時は、「大それたことを考えず、まずは街のお掃除から始めなはれ」と言われ、当然と思い掃除からはじめたという。それでも以後、「全体を巻き込むには仕事をしている時間がなくなるくらい大変だよ、まずは周防町通りをしっかりとまとめなはれ」と運動を応援してくれた。
周防町通りのみんなをまとめていくのに、ふさわしい方をと、タカラベルモントの吉川秀一さんに無理をお願いして引き受けてもらい、1981年10月に周防町通り美化促進連合会が設立された。
大阪市のユニークタウン第一号宣言となる
美化促進連合会は、自分たちの手でできる街の清掃大会や、交通問題の研究会を何度も行った。1982年10月には青年部会も発足し、エネルギッシュな活動を始め、同11月28日には念願の大阪二十一世紀計画の一環としてユニークタウン第一号としての推進宣言がなされた。
1983年11月に御堂筋から心斎橋筋までの第一期工事(私達の念願であった電柱地中化)が竣工し、ユニークタウン第一号共同宣言の記念セレモニーが行われ、大島市長のあいさつがあった後、大阪21世紀協会を代表として堺屋太一氏が「ユニークタウンのひとつとして、ここに日本唯一のヨーロッパ村を不退転の決意をもって推進する」と宣言、地元代表の吉川会長も「個性豊かなまちづくりのため心を一つにして邁進する」と決意表明された。
御堂筋から堺筋までの工事は1987年に竣工し、この都市計画道路周防町通線改良事業で大阪市建設局は建設