都心のまちづくり その担い手
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質疑応答

 

大阪駅北地区はどうあるべきか?

吉田(まちづくりWS)

 現在、大阪でもっとも話題となっていることは、大阪駅北地区の貨物ヤード跡地だと思います。1日240万人が利用している西日本最大のターミナルですが、そのヤードを巡るプランニングや事業に、関経連と企業は頑張って市と協議会をつくっていますが、市民はあまり関与できていない状況であると思います。

 また、いかに開発エリアと周辺部との連続性をもたせていくかという意味では、従来の敷地内での自己完結型の域を出ていないと思います。私は茶屋町のまちづくりに25年間関わっていますが、茶屋町でさえ北ヤードとの関係性が不十分だと思います。阪神や阪急などの企業を含めた周辺部にとっては、北ヤードがどうなるかは大きく関わってくる問題です。もっと周辺部との関係性を考えていく必要があると思っています。

 現在、大阪梅田の70年の歴史が北ヤードによって大きく変わろうとしています。そのプラスとマイナスの問題をいかに調整していくべきなのでしょうか。また、誰が担い手であるべきなのでしょうか。未来の大阪にとって、北ヤードがどうあるべきかアドバイスをお願いしたいと思います。

蓑原

 1983年に中曽根民活が始まって、梅田の南側や、東京の錦糸町や汐留の開発が始まった頃、私は官房政策企画官をしていました。その頃にも、そのような議論が出たため、私は「このような問題はちゃんと都市デザインをやって、全体を議論してからにしないとだめだ」という話をしました。しかし、誰も理解してくれませんでした。皆、土地は高く要領よく売ることが問題であり、都市デザインなど関係ないという考えだったのです。恐らく、このようなことは現在もあまり変わっておらず、誰も都市デザインの有効性や大切さを理解していない状況だと思います。したがって、現在の段階で公共や都市機構に何かをしてくれと言っても無理だと思います。財務省自体が土地を一番高く売ることしか考えていないため、汐留みたいになることは避けられないのです。

 では、このような状況の下、何ができるかと言うと、そのようなことをやらなかったことによりいかに悲惨になっているかという失敗例から勉強することであり、そして、大阪では汐留のような品の悪いことはやめて、もう少しましなことをしようという提案をするくらいしかできないかと思います。そして、皆さんが、北ヤードをどうしたら良いかという提案競技をして、大々的に宣伝することなどをしないかぎり方針は変わらないと思います。

 以前、ケルンのメディアパークという操車場跡地約20haの開発がありました。私は原広司さんと清水建設、NTTと組んで提案をしました。最後の6社に残って、最後までお金をもらいながら作業をしましたが、ドイツでは徹底した議論が行われるのです。約2年間で、メディアパークに関するケルン地方紙の切り抜きがスクラップ帳2冊分たまるくらい、議論をし、その中で我々が提案をしたり意見を言われたりする構造になっていました。日本は恐らくそのような議論は全く起こらない構造になっているため、現段階で公共に期待しても無駄なのです。だからこそ我々が提案をしていく必要があるのです。

 JUDI関西がテーマ型コンペなどを行い、先導していく必要があるのかもしれません。


都心の担い手は誰か?

山崎(立命館大学)

 都市が変化し、これまでの概念がほとんど通用しない状況になっていることが大きな問題だと思います。都心にほとんど人が住んでいない現状での都心のまちづくりにあたって、どこから意見を汲み取っていく必要があるのでしょうか。

 これまでは働いている人は住民と考えられてきませんでした。しかし、都心に働きに来ている人は、人生の大事な時間の大部分を都心で過ごしているため、これからの都心の担い手として意見を聞くべき対象になるのではないかと思います。都心のまちづくりにおいて、誰が担い手で、誰の意見を聞いて都心のデザインを決めていくべきなのか、という点について意見を聞かせていただきたいと思います。

蓑原

 住民がいないから、働く人を住民とみなすべきという議論は多くありますが、私は反対です。そのようなところで働く人達は、基本的に会社のためにならないことはやらないし、言えないという立場でしかありません。したがって、働く人の意見を聞いていることにはならないと思います。東京の丸ノ内でも、三菱地所が、NPO大丸有エリアマネジメント協会を作って、モデル的に頑張っています。しかし、その結果、都心を都心として考える良い流れになっているかというと、そうはなっていないと思います。

 丸の内という場所は、21世紀型の都市構造のイメージの中では、多くの都市核の一つでしかありません。したがって、丸ノ内が東京全体の中心であり、丸の内だけ容積率を高くして、土地利用密度を上げようとすることは間違いなのですが、丸ノ内の人はそのような発想を持てないのです。

 それでは誰がそのようなことを議論すべきなのでしょう。本来は役所が議論すべきですが、現在の役所は必ずしもパブリックな形で強い影響力をもちえない構造となっています。したがって、専門家がパブリックとして機能し、主張していく必要があるのだと思います。カルフォルニア大学のピーター・ボッセルマン氏にアメリカで都市デザインを支えるもっとも強い力は何かを尋ねたところ、彼は大学だと答えました。行政はお金を使う当事者になってしまうため、本当にパブリック性を担えるのは、大学やJUDIのような組織だと思います。このように、パブリックな場を外に求める構造が必要だと思います。

 大阪の都心をどうするかという問題も、大学はもちろん、JUDIなどの場での議論を積み重ねて、常識を上げていく仕組みが重要になってくると思います。

 現在の大学のあり方が、そのような方向に向かっているかどうかは疑わしい面もありますが、私はそのようなところに期待したいと思っています。

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