都心のまちづくり その担い手
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良いデザインプロダクトを生み出すには

 

 三つの事例を紹介してきましたが、最終的に良いデザインのプロダクトを生み出そうと思ったら、これまで言ってきた上記の問題の一つ一つに的確に応えていく必要があるのです。しかし、それは簡単ではありません。

 その中で、現在我々は、グローバリゼーションの流れ中で、システムが作動してつくられるものに対し、デザインの過程で社会的評価を行う仕組みをつくる必要性を主張しなければならないのです。我々がそのような方向に現行の法制度や社会システムを動かしていかない限り、グローバリゼーションの中で起こってくる巨大な投資に対してデザイン的な改善を施すことはできないと思います。

 また、多くの人が住んでいて、住み手自身がまちを少しずつ変えていく場合どうするかということも考えていく必要があるのです。これは、神戸市では1960年の真野地区に始まり、1980年代からは一斉に市全体のまちづくりを地区ベースで考えていこうという方向になったように、関西では昔からやられていることです。それらは、必ずしも全てうまくいっているわけではありませんが、旧居留地などのような優れたコントロールシステムを持ち、高いクオリティをもつまちができています。そのような場所を考えていく場合、これまでの法定都市計画には全くない文脈主義を導入していく必要があるのです。場所や空間を変えていく際、ある種の連続性を失わない形で、文脈を生かしながら変えていくプロセスにいかに持ちこむかです。そして、その時に大切なのが公共の役割だと思います。

 銀座の場合は、中央区がそのような役割を果たしているためうまくいく可能性があります。下北沢の場合は世田谷区が、そのような役割を果たしていないため壊滅的な状況に進もうとしています。このような意味では、公共の役割も大きくなっています。しかし、それを支えるのは技術者やデザイナーであり、技術者やデザイナーが介入しない限り、絶対に優れたものはできません。

 先ほどの銀座の例でもありましたように、一般の人がいくら頑張っても森ビルのような資本には勝てないのです。森ビルに勝とうと思ったらデザインツールを使ってイメージを共有することによって、こちらの方が良いということを示す必要があります。そして、そのためにはお金を出して専門家を雇う必要があるのです。このようなことをシステムとしてやらなければならないのです。幕張の場合は、100回以上ものワークショップを行ない、40回以上の都市デザイン会議を行い、我々のような事業調整委員や計画デザインの調整者に対して一定のお金を払うというソフトの仕組みがあったためできたのです。また、実際にそれに携わっている企業庁長や地域整備部長は4代〜5代と変わっていますが、我々は一貫して10年以上やっているため、軸が揺るがず、ある種の伝承が可能となっているのです。このような意味でも我々デザイナーの役割は大きいと思います。

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