まず、そもそも私どもが先ほど紹介いただいた「中之島物語」に取り組むようになった契機をお話ししたいと思います。
ちょうど2年前、2003年の7月に私は大阪に赴任いたしました。当時、近畿地方交通審議会と言いまして、15年後を念頭において鉄道網をどのようにつくるのかという計画づくりの審議会の仕事がありました。1988年に計画をつくる作業があり、それから15年後の改訂でした。
時代は15年前とは様変わりしておりました。地方ではマイカーが増加したため、郊外部の鉄道は競争力を失いつつある一方で、都心部では都心4区を中心に人口回帰が進んだため、鉄道整備が進められ、むしろ鉄道利用は増えつつありました。
こうした状況を受け、環境重視の行政ということで、公共交通の活性化に取り組もうということになりました。おりしも中之島新線が建設されておりました。これは複線化という当初の目的とは違っていたのですが、結果的には新しい都市型の鉄道を整備すること、コンパクトシティとして、公共交通を中心としたまちづくりをしようというなかで、大きな役割を担いうる鉄道整備が進められていたわけです。したがってその関係で何かないのかなと探っていました。
それから、中之島関係の様々な協議会があるなかで、中之島新線を契機にそれを活用したことをやろうとするけれども、実質的にはなかなか進んでいない、何かできないものかという相談を受けたことがありました。それならばと、公共交通活性化プログラムといって、我々は場を提供するだけだけれども、いろんな主体の方にお入りいただき議論をしていただくことができるので、そういうものを使ってみませんかという提案をいたしました。
さらに、2年前ここに赴任したとき、大阪の地盤沈下が叫ばれていました。中部は元気だけれども大阪は元気がない、しかもそれが長いと。私自身大阪生まれ大阪育ちですので、くやしい思いといいますか、何故なのだろうという思いはありました。確かに中之島を見ましても、地盤沈下を象徴するような元気のない状況で、残念だなという思いがあったのは事実です。もし自分が仕事するなかで、少しでもお手伝いできることがあればと思いました。
さらに四つ目のきっかけとして、公共交通活性化プログラムを使った三宮での取り組みが挙げられます。当時三宮には大丸の駐車場問題がありました。大丸の駐車場が十分ではなかったため、まわりの道路交通を大きく阻害している。そこで鉄道の活用で、渋滞の解消の一役を担えないかという取り組みでした。公共交通活性化プログラムを使ったことで、行政は場を設定しただけで、実際には何もしてないのですが、多様な主体の自律的な参画をよんで、近くの中華街の割引だとか、さらに当初は想定していなかった鉄道利用者の参画など、大きな動きになったわけです。
ですから公共交通活性化プログラムで議論の場を設定すれば、この潜在力のある中之島についても、大きなうねりができるのではないかと期待し、委員会を立ち上げさせていただいたわけです。
当初、私が思っておりましたのは、地元をよく考えていただける熱心なNPOと熱心な地元の公共団体が密接に協力されて、私どもが用意する議論の場でいろんな議論をかわされる。そのなかで、私どもは国のこういう制度があるから利用しませんかとアドバイスをさせていただいたり、あるいは国の制度がジャマになっているようなら国とかけあったり、新たな制度が必要ならば、こういう制度をつくってはどうかといった提案ができるのではないかと考えたわけです。ところが実際は違った展開になりました。
冒頭申し上げましたように、運輸局というと、伝統的なまちづくりという観点からすれば、役割が違うのではないか、あるいは一側面に過ぎないのではないかという面はあるかと思います。例えば球に光を当てるとすると、私どもは公共交通の活性化という側面から光を当てる、ところが実際の球体自体である地元のまちづくりは、まず地域で考えていただかなくてはならない。我々運輸局の範囲を超えるところがあるわけです。
その範囲を超えるところについては大きなうねりが生まれることによって、うまくいくのではないかと期待していたわけです。望むらくは中之島だけにとどまらず、梅田北ヤードまで広がればと。大阪市の委員会がありますが、そことの連携はどうするのか、大阪の北地区全体のまちづくりはどうするのか等、そんな大きな動きになりはしないかという淡い期待を抱いておりました。
ところがいろんな要因がありまして、どうもそんな大きなうねりになりそうもない。当時、鳴海先生のご指導をいただき、戦略的な方策を考え、それなりに仕掛けを試みたこともありましたが、実際には機能しなかったわけです。このままいけば何もできないまま終わるかもしれない。やはり行政で税金でもって働いている以上、具体的な成果を出さねばならないのではないかという思いがありました。10の理想論を言って何もできないで0になるより、1でも何か具体的なことをやったほうがいいだろうと、私自身は常々思っているのですが、何か具体的な、運輸局として責任を持って進められる分野について、やれることは全部やろうと考えたわけです。
先ほど「中之島物語」のご説明のなかで、「できることから」とか「守備範囲を超えた」というようなことがありましたが、実はそんな経緯があったわけです。これは放っておくと、何もできないぞと、とりあえずできる範囲で、今すぐできることはなんでもやってしまおうとなったわけです。若干守備範囲を超えたことはあるかもしれませんが、どちらにせよ組織がありますので、大きくは超えることはできないわけですから。
またすぐ北に天神橋筋商店街があり、頑張っておられる商店街の会長さんがおられます。今、中心市街地がこれだけ元気を失っているなか、この商店街が極めて活性化しているのは、個人の力によるところが大きいのではないか。そこで“ビジットジャパン”という切り口で、天神橋商店街について一定の試みをしていただき、その連動性で中之島地区全体について活性化するという形で実現に結びつけたわけです。私は途中の8月に転勤になってしまったわけですが、その後をお聞きしたところ、うまくいったようです。参加者は大阪市内が4割、やはり近郊の方が多く参加していただきまして、大阪府が4割、他府県が2割、年齢層では50代から60代の方が多いということです。
参加者の感想を若干ご紹介させていただきますと、「日ごろ何気なく歩いていた道を、色々説明していただいて、大阪の歴史や建物など、興味深く見ました。参加するにも良い場所で、遠くまで観光に行かなくても大阪にこんな良い所があるのかと改めて思いました」。これは60代の女性の方です。
「大阪に住んでいながら、こんなに古きよきものがあるのに、驚かされました」。これも50代の女性の方です。それから東京在住の70代の男性の方で、「大阪の都市美を見直しました」。「梅田の人ごみに驚いたあとで、中之島に来て、大阪にもこんな所があるのかと、美しさに感動しました」。大分県に住んでいらっしゃる30代の女性の方。「大阪にはラテン系の血が入っているのではないか。大阪人の芽を見たような感じがします。このパワーを持って元気な大阪の中心地として中之島の未来を明るくしていってください」というような感想もいただいております。
また快適なトイレや気軽に休める所がほしい。あるいは中之島の魅力を最大限発揮させる公園作りなどは当初我々がすぐにできる範囲を超えておりました。またブルーテントの問題にしても、改善すべきだろうとの指摘もありました。そういう意味では、より大きな動きにしていなかったところも課題かなと思います。
さらに、交通固有の問題として、京阪の子会社として中之島新線が建設されています。川辺につくりますので工事が難しいのだと思いますが、多くのエネルギーがハード整備に注がれております。全体として京阪本線と連動してどのように誘客を図っていくのか、多分内部で検討されているのだと思いますが、そういう検討を加速する必要があると思います。
以上でございます。
小浦:
ありがとうございました。奈良平さんのほうから、中之島をめぐって近畿運輸局という公の範囲での動きをご報告いただきました。
中之島物語
前国土交通省近畿運輸局企画振興部長 奈良平博史
中之島物語に取り組む契機
私は現在、国土交通省自動車交通局貨物課長として、トラック事業を担当しているのですが、今年の8月まで約2年間近畿運輸局で企画振興部長をしており、その関係で中之島の仕事もさせていただきました。私は、大学時代は法律を勉強しており、いわゆる事務屋であります。まちづくりというと旧建設省系の方を想像されるのが普通で、運輸省サイドの事務屋ということにアレッと思われる方もいらっしゃるかと思います。そもそも近畿運輸局は、公共交通の活性化や観光の振興などに取り組んでおります。例えば海外から日本に来る方を増やそうと、地方の公共団体の方と協力しながら「ビジットジャパンキャンペーン」を展開したりといった仕事をしております。先ほどのご説明では、御堂筋は整備局、中之島は運輸局という構図になっておりましたが、決してそんなことはないと私どもでは考えております。
プロジェクト「中之島物語」
「中之島物語」では、何をやったのかということですが、まず舟運関係があります。「もうひとつの旅クラブ」にかなりのご協力をいただきましたが、ローズポートに舟屋をつくって周囲を活性化する、あるいはマジカルショーボートなどによる舟運の活性化に資する試み、また中之島地区の良さをよくわかっていただこうと「中之島1dayチケット」の発行や、それをサポートするためのマップづくり、さらにはガイドツアーも開催いたしました。
今後の課題として
一方で、事前の周知不足であったという課題もあります。これは、自分たちだけでは限界があるので、いろんな方に入っていただいて、動きを大きくしたいということに、かなりのエネルギーと時間をかけたため、結果的には周知する時間が少なくなってしまったというところです。その裏返しとして、例えばバラ園のように集客が必ずしもうまくいかなかったプロジェクトもありました。
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ