都心のまちづくり その担い手
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永遠に完成しない街づくり〜淀屋橋WEST〜

ケイオス代表取締役 澤田充

 

小浦

 それでは続きまして、澤田さんのほうから淀屋橋WESTを中心に企業からまちをどうプロデュースするかというところをお話いただきたいと思います。


ケイオスについて

テーマそして事業ドメイン
澤田

 「永遠に完成しない街づくり」というテーマを掲げておりますが、これは昨今、何事においても効率が重視されすぎているのではないか。目標を決めてしまうといかに効率的に向かっていくかを考えてしまう風潮のもとでは、モノは作り上げるとすぐに陳腐化が始まるのではないかという思いを、私がずっと持っていたためです。それならば、いっそのこと目標を設けずにやっていったらどうだろう、到達点を設けずにやっていくとプロセスが重視され、陳腐化が防げるのではないか、街というのはそういうものではないかと思って、これをテーマにずっと仕事をしております。

 私どもの会社は、社名をケイオス(カオス=混沌)と申しまして、三つの事業ドメインをもっております。一つは住宅・住環境づくり、もう一つは商業施設及び店舗企画開発、さらにもう一つは地域活性化というカテゴリーになるのですが、人が暮らすという観点から見ると全て共通しているものだと思っております。

ケイオスのまちづくりへの視点
 私どもはソフトによるまちづくりをしておりまして、ハードには直接は関わっておりません。株式会社で営利企業ですが、ハードで売上を立てることはほぼございません。私は13年前にリクルートという会社から独立したのですが、そのときから街をつくりたいという思いだけでやっておりまして、結果として13年経った今、こういう場に立たせて頂いたのも、ハードに関わらなかったからではないか、ソフトによって生業をたてていくということを頑なに守ってきたからこそなのではないかと思います。

 世の中には、評価されたものと、これからの可能性のあるモノとがあると思います。モノが繋がっているというのは、評価されたものだけを持っているのではなく、これから可能性のあるモノと合わせて何かをつくっていく、それが時代を築いていくのであって、それらをミックスしながらモノをつくっていきたいと考えております。

 さらに関わった人が皆ハッピーになるようなフィニッシュワークにしていきたい。よく企画などをしていると、プレゼンテーションは素晴らしくても、できたものは首を傾げざるを得ないような話があるのですが、私どもは「実現化請負稼業」というものを目指したいと思っております。理念や文化、例えば歴史や地域との共生、自然といった流れに沿って、どう舵取りをしていったらいいのかということを考えながら仕事をしております。


淀屋橋WESTの考え方

価値観の変化と淀屋橋WEST
 そんななかで今日は淀屋橋WESTという我々の仕事をお伝えしたいと思います。昨今、価値観やスタイルが変化しております。私が子どもの頃は、「古いものよりも新しいものがいい」とか「仕事場と楽しんだり暮らしたりする所は別なのが当たり前」という感覚で育ってきたように思います。しかし最近色んな人の話を聞くと、「新しい建物よりも古い建物を再生して暮らしたい」とか「おいしいレストランのある話題のエリアで働きたい」とおっしゃる方が出てきました。もちろんメジャーではないのですが、無視できない数の方がそういうことを思っておられることを感じたわけです。

 ではそうした現状を踏まえ、街をブランド化していくという方向に、価値観の変化をもっていくことができないかと考えたわけです。そんなことを考えながら取り組んだのが、この淀屋橋WESTというプロジェクトです。

淀屋橋WESTの立地
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淀屋橋WESTの立地
 
 大阪には南北に御堂筋という通りがありますが、豪商淀屋が御堂筋に架けた橋“淀屋橋”の南西エリアを淀屋橋WESTと名づけ、この辺りの良さを活かしながら再生し、大人の人がゆっくりくらせる街をつくろうというプロジェクトです。

 いわゆるオフィス街でして、中には大阪ガスビルであるとか、御霊神社などがあります。

 まず最初にロゴを作りました。元々はこのエリアにあるオフィスビルを所有している企業さんから「店舗でもいいから入居テナントを探してもらえないか」というご依頼があったのがきっかけでした。なかなか難しいエリアでしたので、まちづくりの中から賑わいをつくっていくとどうなるのかということを考えたプロジェクトでございます。

街のポジショニングはコンサバティブ
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街のポジショニング
 
 とは言いましても、街というのは色々あると思います。よく「堀江のような街にするのですか」と聞かれるのですが、街にはポジションがあると思います。堀江には堀江のポジション、淀屋橋には淀屋橋のポジションがあるわけです。淀屋橋は、堀江のように、若い人たちが倉庫のような所で安い賃料でインキュベートするような街ではありません。グレード的にはアッパーで、コンサバティブな街、保守的な街ではないかと思ったわけです。

街の歴史
 歴史を見ていましても、堂島の米市場はシカゴよりも先に世界で最初に先物取引をした所であり、その前は各藩の蔵屋敷が集まっていました。丸の内は大名屋敷が集まっていて政治デポであったわけですが、こちらは蔵屋敷が集まって経済デポであったわけです。明治になって廃藩置県の結果、蔵屋敷は新政府に供出されましたが、その後大部分は大阪府によって払い下げられました。明治38年に住友がこの土地を購入し、通称「住友村」と呼ばれるようになりました。

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旧住友本館 銭高組分室 大阪瓦斯ビルヂング
 
 大正から昭和の初期にかけて、御堂筋や御堂筋線ができ、大阪の大動脈になっていきました。太平洋戦争では奇跡的に戦火を免れ、近代建築が今なお残っています。その後日本の経済成長とともに、大阪の金融ビジネスの中心地になりますが、80年代のバブル崩壊以降、大阪の企業の本社機能の東京移転、金融機関の統廃合など、大阪の地盤沈下の象徴的な場所の一つになりました。

にぎわいのイメージ
 こういう大阪のビジネス街の中心地、淀屋橋の南西部に大人の人がゆっくり暮らせる場所をつくろうと考えました。街のにぎわいのイメージとしては、レストランがある、バールがある、ジャズクラブがあるということではなくて、「おいしいレストランがある」「にぎわいのあるバールがある」「大人の香りのするジャズクラブがある」、あるいは「手入れの行き届いた住宅がある」。

 やはり街は当事者がいないと街にはならないと私は思っています。自分の家の前なら掃くわけです。その当事者をいかにつくっていくか。元々は船場の商人が住んでおられた場所のはずが、どんどん郊外に居を移されて20〜30年経ってしまったわけですが、元々は人が住んでいた街なので、そういったことを考えながらやっていくのがよいのではないかと考えたわけです。

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オフィス街の様子
 
 ここはオフィス街です。大手企業が多く、街区が整備されています。一方通行で一車線で両方に歩道が整備されています。しかも中に入りますと、ほとんど信号がありません。信号がないので、車がスピードを出して走れません。木の文化である日本から見ると少し異質な石の文化という感じがいたします。

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美々卯
 
 それから老舗の小売店が多いところです。例えば大阪鮨の「すし萬」、あるいはお菓子の「鶴屋八幡」、あるいは「美々卯」等々です。

淀屋橋WESTの特徴
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特徴
 
 このように、オフィス街であり大手企業が多く、街区が整備されており、歴史的建築物が多い、老舗の小売店が多いといった特徴を、マーケティングの視点で分析してみました。

 まず「良質のストックがある」ということ。我々の前の世代、さらに前の前の世代が残してくださった良質のストックがあります。さらに大阪のビジネスの中心地なので、「上質の生活者」がいらっしゃる。文化的レベル、あるいは学問水準の高い人たちが働いていらっしゃるわけです。それからここはいい所であるという「プライドの高いビルオーナー」に取り囲まれている。ただし「時代に取り残された街」であるわけです。

 要するに今っぽいものが、俗っぽいものも高尚なものも含めてないということです。良い街だと皆さんは思っていらっしゃるのですが、マーケティング的には取り残された街であると思ったわけです。

活動姿勢
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活動姿勢
 
 そこで我々はここで“活動姿勢”というものを作りました。活動理念としては、快適かつ上質な生活を実現するということ。それからゲニウスロキ(土地固有の地霊)は重要であると考えています。したがってこのあたりの歴史的事実に裏付けられたコンセプトを大切にしていくということです。それからできるだけ建物の風格を活かしながら、リノベーション(更新)ではなくコンバージョン(用途変更)を中心に進めるということ。さらには、まず事実を創っていこうと考えました。組織よりもまず事実。我々はいろんな組織で街を考えてきましたが、なかなかスピードが上がらない。そこで、まず事実を積み上げていくことからしようということで取り組みました。


淀屋橋WESTの経過

2003年5月〜 開拓者精神あふれる3店舗の“入村の儀”
 まず2003年5月、開拓者精神あふれる3店舗の“入村の儀”を行いました。もちろん皆さん長い間住んでおられるのですが、3店舗にまず入っていただき、周囲の皆さんの支持が得られれば何かがおこってくるのではないか、そういう意味で開拓者であるという意識で行いました。3店舗を別々の所に同時オープンさせたことで始まったわけです。

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1 エルポニエンテカルボン(コンバージョン前と後)
 
 コンバージョン前とコンバージョン後です。カウンターで飲んだり座って食べたりできる本格的なスペイン料理店です。コンバージョン前は非常に暗く、用がなければ来ないし、用が終わればすぐ帰るという場所でした。ですから外から中の賑わいが見える、光がこぼれてくる、そして通りからダイレクトに入れるつくりにしました。オフィスビスの一階で、もともとはシティバンクのあった場所です。

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8キチリヨドヤバシ(コンバージョン前と後
 
 これはもう一つのお店です。番号がついていますが、これはプロジェクトアドレスといいます。街に住所があるように淀屋橋WESTにはプロジェクトアドレスがあります。これは任意にお店がつけられている番号です。かつてのシティバンクの金庫室も個室にして使っております。

 三軒目はへっつい館ここりです。

2003年12月〜 新たなる開拓者として2店舗の参加
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7愛蓮 淀屋橋店(コンバージョン前と後)
 
 12月に新たなる開拓者として、2店舗の参加がありました。これは化粧柱をとり除いてダイレクトに入れるような形にし、テラスを設けてつくりました。オフィスビルというのは、普通共用部から入るようになっているのですが、それではしらけるので、ダイレクトに入れるようにしました。

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50 BELGIAN BEER CAFE BARREL(コンバージョン前と後
 
 これはベルギービールレストランです。日本で初めて、世界で50番目ということで、50番です。

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光りのルネサンス2003
 
 レストランは文化だと思っています。これはイルミネーションで大阪市のイベントに参加させていただいたときのものです。お金がないので、店の皆さんが自らイルミネーションをつけました。

2004年2月〜 老舗店舗の参加によるニューステージ
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24 美々卯庵 花卯
 
 2004年の2月に老舗店舗の参加によるニューステージが始まりました。ここから第二幕が始まったと考えています。

 老舗の美々卯さんが新たに淀屋橋WESTに参加したいというお申し出があり、法外の喜びでした。花卯という、天ぷらうどんと天丼の専門料理店をオープンされました。

2004年5月〜 地方都市とのコラボレーション開始
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39 鹿児島かのや篠原
 
 次に鹿児島県のレストランが来ました。焼酎のお店です。

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1ST ANNIVERSARY スタンプラリー
 
 これは淀屋橋WESTの一周年記念として中之島の川の上でマジックショーを見ながら特製弁当を食べるイベントです。スタンプラリーで三つ押していただいたお客様から抽選させていただいたイベントです。

2004年8月 専門料理の幅に拡がり
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2 RISTORANTE VOGLIO(コンバージョン前と後
 
 スペイン、ベルギー料理に次いでイタリアンレストランが入村しました。これもコンバージョンで、通りから直接入れるようになっています。

2004年11月 既存店のリニューアルによる進化
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03 遊亀淀屋橋(コンバージョン前と後
 
 リニューアルした店舗です。造り酒屋さんのレストランです。

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光のルネサンス2004
 
 住宅街ではよくイルミネーションをされるのですが、オフィス街にやってみようではないかということで、十数社と協力しつつイルミネーションをやっています。今年もそれを引き続き拡大していこうと思っております。

2005年3月 バラエティ拡充による盛況
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11 とり神楽(コンバージョン前と後
 
 これは長年倉庫として借り手がなかったところを、宮崎の地鶏料理の店にしました。しかし我々は別に飲食街をつくろうとしたのではありません。もともと目的性の高い飲食店から始めたというのに過ぎません。

2005年4月 国際的メゾン参画
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1961 LA BECASSE
 
 その後、2005年4月にはフランス料理店「La Becasse」という国際的メゾンのレストランが参加して、格、奥行きがましています。これもコンバージョンです。

2005年8月 初めての物販店OPEN
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1948 NAKAGAWA
 
 初めての物販店が8月に入村しました。中川さんという1948年創業の店です。


これまでの歩みとこれから

 このように、着実に事実を積み上げていくことから始めております。この地域は、大阪のコテコテのお笑いというイメージ、ステレオタイプの情報発信ではないエリアだと思っておりますので、最近はクラシック楽団や中之島の美術館等と提携しながら少しずつ広げていこうと考えております。こうした活動を「永遠に完成しない」というスタンスで、今後も展開していければと考えております。

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プロジェクト年表1
 
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プロジェクト年表2
 
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プロジェクト年表3
 
小浦

 一つひとつの積み重ねをどう街と繋いでいって、変えていく力を持つかというのが、少しイメージできたのではないかと思います。

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