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分科会A
共振し生き続けるデザイン

ランドデザイン 中村伸之

   

     
     虫や鳥が住処をつくるように、人にはうつくしいまちをつくる能力がある。
     かつて、まちには寺や教会があり、時を告げる鐘の音は隅々に響きわたり、人びとの心にまで沁みわたり、鐘の音が聞こえる範囲がまちの境界であった。
     そこには、形のない光、風、水、土、緑を共振させるデザインがあり、日々の営みや育ちゆく子どもたちと共振するデザインがあり、時を越えて生き続ける力がある。
 

消費され尽すデザイン

 次々と装いを変える都心の店舗、あっという間に田園風景を消滅させる高速道路やロードサイドショップ、建売住宅が延々と続く郊外……。

 都市環境はいともたやすく、要領よく作り出されるが、一方でその商品としての寿命は短く、新製品が次々と送り出される。

 その背景にある経済のカラクリはよく分からないが、これらのデザインがなぜ消費され尽すのかは理解できる。短期的な欲望に対応したコンセプトの陳腐化(賞味期限切れ)、欧米モデルの縮小再生産、安普請のデザイン、ディテールの未熟と貧困、マガイモノ素材など。このような要因がプロジェクトへの愛着を希薄にし、手間を掛けない設計施工、維持管理への無関心を横行させるのである。

 その結果、誰も心から欲していないモノ(都市環境)があふれかえる。

 それは、都市環境を享受する人々の意識まで変質させる。ファーストフードに味覚が犯されるように、本物(風土・場所性・オリジナリティ)がわからなくなるのである。


都市環境のポエジー

 一方、都市では日々、ドラマが営まれ、私たちの生を彩る瞬間が生まれている。生活者としても作り手としても私たちは、もっと都市での時間を味わい楽しむ術を考えるべきである。都市環境デザインは、様々な表現ジャンルに比べて深みがなく、ポエジー(詩的陰翳)に乏しい分野であると思われがちであるが、人々の内面との「共振」に注目すれば、決してそうではないことが分かる。

 「家路」というフランス映画(マノエル・ド・オリヴェイラ監督)では、一人暮らしの老俳優(ミッシェル・ピコリ)がパリのカフェ、靴屋、街路で過ごす時間が丁寧に描かれている。「暗く孤独な自宅」と「明るく出会いに満ちた街角」の対比。ガラス越しに撮られた都市生活の影と光。それは度々繰り返される「楽屋」と「舞台」のシーンに見事に重なる。

 都市は、私たちの生に華を与えてくれる舞台装置、人々は役者なのである。私たちは、舞台装置が役者の顔かたち、ファッション、立ち振る舞い、気分と共振することを願うと同時に、大人の鑑賞に堪える奥行きを持つものであることを願っている。

 また、私の住む京都には、伝統的な住居(町家)で生まれ、路地で遊び、祇園祭で育った人々がいる。彼らの思い出(空き地での冒険、様々な階層の大人との出会い)を聞いていると、人格がまちと同化したような一体感が感じられる。彼らにとって都市は、自分と共振する風景・場所・祭であり、共振するに足る質を持った「精神の鋳型」なのである。

 記憶を託すことの出来る場所には、「変わらない」という安心感があり、「変わらないでほしい」と願うわけだが、もし、それが消え去ると記憶喪失になったような喪失感に襲われるのである。

 「不易流行」という言葉のごとく、時代を超越して人々と共振し続ける土壌が無ければ、移りかわる時代に共振する華も咲かない。


場所の生命と共振

 デザイナーは、風土、社会的関係、空間、構造、工法、素材を駆使して一つの場所を作り上げるが、それらが「共振」することで、生き続ける場所の質、つまり「場所の生命」が生まれるのではないだろうか。また、場所を育てる住み手や場所に育てられる子どもたちが、新たな共振を生み出す。関係性が広がり成長する中で、場所の生命はより深みを増す。

 場所に陰翳や奥行きを与え、形や時代を超えた生命を吹き込む力。それが、「デザインの力」である、というシンプルな命題がこの分科会の出発点である。

 分科会では、様々な現場に生命を吹き込んできた都市環境の作り手をお招きした。

 それぞれの現場から、人と場所(モノ)との関係を、そこで生まれる様々な「共振」を、感性豊かに語っていただけるであろう。

 竹原義二氏は数多くの住宅設計を手がけ、職人さんや地場の素材との真剣勝負から、独特の存在感を持つ作品を生み出してきた。特に大断面木軸を駆使した空間は、緻密な構造の緊張感と圧倒的な迫力と木の温もりをあわせ持つ。

 辻本智子氏は「奇跡の星の植物館」のプロデュース・デザインをはじめとして、「理想郷としての庭園=ガーデン」を追求してきた。風土と植物の特性から発想した「自然と共に生きるライフスタイル」を感性豊かに表現している。

 乾亨氏は、コーポラティブ住宅の先駆けである「ユーコート」のコーディネート・設計を手がけ、以降20年以上にわたって、コミュニティと場所の「育てる」「育てられる」相関関係、そこに育つ子どもたちの姿を追跡調査している。

 菅博嗣氏は「ヨコハマ市民まち普請事業」をはじめ、コラボレーションによるデザイン・環境マネジメントにランドスケープアーキテクトとして深く関わってきた。「参加」を超えて「主体」となりつつある、地域住民のデザインの力を高めている。

 会場の皆さん共に、「デザインの力」に様々な角度から迫り、大きな共振を生み出すことを期待する。

     
     中村伸之(なかむら のぶゆき)
     1958年生まれ。関西学研都市の公園デザインや里山再生、福井市の都心再生、京都市のまちづくり観光やまちなか緑化、中国の新都市開発に参加。有限会社ランドデザイン代表。宝塚造形芸術大学講師。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。技術士(都市及び地方計画)。
 
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