「仕事は何ですか」と問われていつも答えに困っている。もちろん建築家やデザイナーではない。「都市計画のコンサルです」と答えることがある。間違っていないけれど、都市計画決定の手続きがいるような仕事は数えるほどもない。「都市プランナーです」と答えることがある。間違っていないけれど、実際は雑用をなんでもする便利屋だ。「まちづくりのコンサルタントです」と答えることがある。間違っていないけれど、「まちづくり」より「まち壊し」、経済性優先の仕事の方が多い気がする。「都市開発の事業コンサルです」と紹介されたことがある。なるほどそうかもね。と思ったりする。いずれにしても、私の仕事に共通しているのは、まちを本当に良い方向に変えているのかを実感することができにくいことだ。
私の仕事は、まちを変えていこうとする時、まちの悪化を阻止しようとする時、すなわち、まちをコントロールしようとする時、どうすればよいのかを考えることだったりする。そこで私は、地区計画を提案したり、まちづくりガイドラインを策定したり、デザインコードなるものを考えたりして、多くの関係者と長い時間の中で、何とかまちが乱れてしまわないようにしていくのだ。
でも、ガイドラインではまちは魅力的にならないこともわかっていたりする。最終的にまちを魅力的にするのはやっぱりデザインの力なのだ。魅力的なデザインがまちに挿し込まれた時、まちがもぞもぞと活性し始めるのが感じられたりする。デザイナーこそがもっと、もっと、もっと、まちに責任を持ってもらわないといけないのだ。同時に私もデザイナーが責任を持って仕事ができるための交通整理をする役割を怠ってはいけないのだ、などと思う。
私は三休橋筋という船場のど真中にある道でのまちづくりに少し関わっているので、今回のフィールドとなる京町堀通との比較を考えてみた。
三休橋筋と京町堀通は、いずれも道幅12mほどの道路で、歩道の幅員や街路樹の存在、一方通行規制など道路断面が大変良く似ている。道路断面が似ているだけで比較するのは愚かだが、あえて比較すると、この2つの道において求められているデザインの力がまったく違ったものではないかと思うのだ。
三休橋筋は現在、大阪市によるプロムナード化(市によれば電線類の地中化)が進められている。これにより歩道が広くなり、街路樹が植え替えられ、そしてガス燈が立つ。三休橋筋の沿道には綿業会館や浪花教会、八木通商など歴史的建築が多く残っているが、その他には沿道に目立ったスポットもなく、強い個性のあるエリアでもなかった。そんな中、公共によるプロムナード整備が先行し、それが今後のまちのイメージを方向づけようをしている。この場面では、道路と調和した沿道のデザインガイドラインも少しは効果を発揮するのではないかと思う。
これに対し京町堀通は、歴史的には大阪府庁のあった西の江之子島から東の大阪城を結ぶメインストリートであった道である。これまで地元に活発なまちづくり組織があった訳でもなく、行政のお金が注がれることもなく、なんとなく「いい感じ」になってきたまちである。隠れ家的な穴場スポットとしてかなり以前から知られているエリアであり、南船場や堀江のような爆発的な変化を起すことなく息づいてきた。これには靱公園に隣接していたこと、船場と違い古くからの住民とコミュニティが比較的残っていることなどいくつかの理由が考えられる。いずれにしてもまちの個性がある程度つくられていて、その魅力が道路にも薄っすらとにじみ出ている状況は、三休橋筋とはかなり違っている。
なんとなく「いい感じ」なまちを、今後もなんとなく「いい感じ」に方向づけていくのに、都市計画としてできることはほとんどない。できることは三休橋筋の前例が安易に京町堀通にコピーされないようにすることだろうか。必要なのはこの場所にある「いい感じ」を共有化できる「いい感じ」なデザインであり、その実作を示すことだ。今まさにとても高い技量がデザイナーに求められているのだ。この難しい問題を解く鍵、それが歩けば見えるファサードデザインという気がしてきている。
困った!
まちはコントロールだけで美しくはならない環境開発研究所 岸田文夫
岸田文夫(きしだ ふみお)。
1963年大阪市生まれ。大阪大学大学院環境工学専攻修了後、(株)竹中工務店へ入社し、その後(株)環境開発研究所へ出向。現在は兼務。95年フィレンツェに滞在(イタリア政府給費留学生)。御堂筋や中之島などの都市開発事業の調査企画計画業務に携わるかたわら、自主活動グループ、NPO、まちづくりの研究会、タウンマネジメント組織などを通じて、大阪や船場のまちづくりにも参画している。
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