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色彩にできること、できないこと

日本カラーデザイン研究所 杉山朗子

 

80年代の色彩ブーム/ベース色の確立

 1974年小研究所創立者小林重順は講談社より『日本人の心と色』を上梓。欧米の色彩そのままを日本に持ち込むことに対して異議を唱える。この本に啓発されたパネラーも当時の高彩度の家電や内装材の色を使いやすいものにすべく奮闘。年2回の情報誌を創刊(80年)し日本の社会にふさわしい色の提案を継続展開した。86年には大日本インキがカラー見本「日本の伝統色」を発売。これで様々な分野の人が色彩に振り向いた。

 他方、トヨタからは塗装技術の高度化による「スーパーホワイト」をまとったソアラが発売(81年)され非常な注目を浴びる。この後数年間、高級・上質というコンセプトを目指しての開発が進み、高級感覚のある素材感の研究、それを引き立てる微妙な洗練された、都会的な色として低彩度色がもてはやされることとなる。小社でも彩度2以下の低彩度色票を91年度に発売。石や砂を使いこなしてきた業種でもコンクリートや金属の使用と相まって使われる頻度が非常に高まった。物販・飲食の店舗でもグレイッシュに変化した。

 ところが、あまりにも何処にでもグレーという状態で郊外のあかるい田園風景の中でもグレーの住宅群が出現する有様に見直しを開始、98年、彩度4まで彩度アップした専門のプランナー・デザイナーのための色群を提案。住宅産業や住宅周辺のエクステリア産業ではこれを取り入れる。インテリアコーディネーター、カラリストの方々など住宅を中心としたプライベート空間では巧みに色彩を使いこなす人材も増加。生活の中での上質空間を作り出すのに貢献してきた。

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左側が彩度2以下 右側が彩度4までの色票
 

気づいてみれば、90年代後半から迷走の10年、今後の課題

 ベースの色彩計画を行う材料は揃えたはずだった。それがなにやら、色彩は使い放題。どこも同じようであり変だ。せめて色だけでも揃えたら何とかなるのではと言われて信じていたが、それでは何も実現できなかった。

 色彩計画の観点から気づいた今後の課題をいくつか挙げてみたい。

 形を揃えたり、高さを揃えたり、面を揃えたり、素材を揃えたり、ベースとアクセントという全体を見通したデザインマネジメントが必要だろう。街路樹は言うに及ばずプランターの花でも、形状や色や種類までも重要な要素としてきちんと計画されるべきだ。

 新旧をつなぐ色・形態・素材という考え方を実践していくとはどんなことなのか、改めて考えるべきときなのではないだろうか。関係する人が自分たちの地域の良さを実感して、みんなで共感して同じコンセプトに向かって計画し、メンテナンスしながら年月を経ていくことの大切さを考えるときといえよう。それなくして、色彩にできることなど無力に等しいのだ。

 素材の経年変化が素晴らしいという中で、何故色彩だけが退色しないものと問われなければならないのだろうか。きれいなペイントの色、使うのならば、塗り直していけばいいはずなのに、メンテナンス費用がつけてもらえない。個人の家も修繕費やリフォーム費用を考えているのが普通だ。公共こそ、メンテナンスの費用、継続していくオペレーションの費用が重要なのだ。生き続けるデザインのために、いろいろな分野の人たちが少しづつ関わりあい方を変化させなくてはと思うこのごろである。

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2006年9月 景観色彩計画セミナー風景
 
     
     杉山朗子(すぎやま あきこ)
     早稲田大学第一文学部心理学科卒業、株式会社 日本カラーデザイン研究所入社、現在取締役。ヒトとモノと街の関わりの解明をテーマとしながら各種分野の色彩計画、デザインコンサルタントに携わる。色彩提案資料「イメージ情報」を創刊し、2006年に50号記念展開催。主な景観色彩計画としては大型商業施設や工場施設の色彩計画を皮切りに、東京港レインボーブリッジ、明石海峡大橋、景観色彩ガイドラン作成など。
 
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