第15回都市環境デザインフォーラム関西
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時間と現実を繋ぐメディエーターとしての
都市環境デザイン

 

効率主義、均質空間の果てに

 今日のお話は最終的に、建築家というか都市に関わる人はメディエーター、媒介者であるということをお話しようと思います。

 現在は、あらゆる空間が、効率第一主義の中で決められてしまう状況です。文化行政あるいは美術というものも、「人が来ないとだめだ」という考えの中で、美術館には指定管理者制度が取り入れられました。実態はビル管理会社と旅行会社と清掃会社が主体になっています。学芸員を1/3ぐらいの割合で残すという島根方式と呼ばれるやり方もでてきていますが、何かおかしくなってしまっています。

 皆さんご存知のように、20世紀はある意味で機会均等で、またある意味で形式的であるという方向で進んできました。ミース・ファンデルローエの均質空間が、哲学を越えて20世紀の最も重要な概念だったのです。つまり空間とは置換可能であり、オフィスでも住居でも店舗でも、何にでも使えるということです。一つの作品があったら、大阪でも横浜でもヨハネスブルクでもニューヨークでも、どこでも同じように見えるということが、20世紀の最も重要な考え方とされ、それなりに進んできました。

 そのなかで、日本の現代は、何のコンセプトもなく、アメリカの属州になっています。政治的経済的にもアイデンティティを持てなくなり、文化的にも完全に取り残され、主体性を失ってしまっています。20世紀の技術主義や均質化概念の悪い部分を受け入れてしまったのが日本なのです。

 何でも坪いくらという世界から唯一取り残されたのは時間だけです。時間と現実を繋ぐものとして、都市デザインに関わるデザイナーたちが重要な媒介者であるという話をしたいと思います。


東京という幻想の風車に闘いを挑む大阪の徒労

 私は時々大阪に来ますが、大阪は、全く架空の情報空間である東京という、ほとんど幻想の風車に無理に挑んで意味のないことをやっているように思います。

 東京は大阪に比べて、いろいろな意味で文化的な場所がありません。わずかに佃島くらいにあったくらいで、本当にありません。大阪では、驚くことに近代建築という言葉がごく普通に使われています。東京ではある建物を近代建築と呼んだことがありません。大阪にはそれだけ近代建築がたくさんあって、よく見てみると個々のデザイナーやまちづくりの活動の質はずっと高い。けれど、とんでもないことにそれが全然伝わってこない。関が原の壁で、完全に情報が分断されてしまっています。

 その反面、東京は情報は集まってきているけれど、文化はない。情報の部分で大阪は無理をしている。情報は出てこないのに、架空の幻想の戦いをしている気がします。

 とにかく東京には独自の文化はありませんから、ただ欧米の流行を受けているだけの異常な街です。大阪は個々のデザイン活動や、元々持っている場所のキャパシティは強力です。これをどのように活かしていくかを考えるうえで、越後のもっとひどい状況を参考にしてもらおうというのが今日の大きなテーマです。

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