槇さんが「日本の中で元気なのは、アニメ、マンガ、多少建築、多少芝居」と書かれていましたが、なるほどと思いました。これらがなぜ元気なのかは単純なことです。文化庁が何もしてこなかった分野は強いのです。
自前でやってきたジャンルは、現実の需要供給関係とか社会の動きに、真正面からぶつからざるをえなかった。明治に入ったときに建築は芸術として評価されていなかったので、建築もそれなりに頑張ってきたのです。音楽と美術は芸術として評価されました。特に彫刻と絵画がそうです。未だに、ミロのビーナスとかを持ってきて、感動もないのに石膏でこれを描けというのです。あれはただの粉です。今もまだそれの名残があります。すなわち明治以前にあったおもしろいものを全部捨ててきたわけです。これに関しては美術史の中でやり直しが進められています。このような感じで、規範がある世界というものは崩れて来ています。これが僕の基本的な出発点です。
少し個人的な話を申し上げますと、私は21歳の時に急に絵が描きたくなりました。その大きな理由は、ボナールの展覧会と、竹橋にあった近代美術館で村上華岳という日本画家が京都市立芸大の卒業時に描いた「二月の頃」という、何の変哲もない絵を見て感動したからです。それから必死になって絵を描きました。
しかし日本は結局隣の芝生だったわけで、美術的に何もできなかった。政治経済的な動きの中で、あんな素晴らしい絵を描いていた村上華岳さんも、後半生はフランチャイズを失って、仏画なども描くようになり、おかしくなってしまった。岸田隆盛、菱田春草、靉光などもみな同じで、最後は自分のフランチャイズを失っておかしくなっていってしまった。そのフランチャイズそのものも問題で、誰のところに自分は軸を置き、どういう形で生きてくのかということが、日本の場合大きな問題なのです。
これをもう少し広く言うと、日本には市民社会の経験がないということになります。恵まれた国なので明治以降もなんとかやってきたけれども、あらゆる可能性を持っていた20世紀の都市が、ついに今までの枠内で収まらなくなり、地球環境時代の中で、都市の可能性はなくなりました。もっとミクロに言えば、冷戦構造がなくなってしまい、日本はどうしたらよいのか分からなくなってしまったのです。今までと違う局面に入ってしまい、そうした中で総括のしようがなくなった人は、「美しい国」と言うしかなくなりました。
政治・経済的には統合したけれども、文化に関してはカルチュラル・キャピタル(文化首都)という概念を掲げました。一番貧しいギリシャの文化大臣メリナ・メルクーリが、政治経済的な統合はしょうがないけれども、文化の多様性が今後重要な意味を持ってくると説きました。
中世にそれぞれ自立していた地域が重要なのです。現在のロンドンとかベルリンやパリが元気がいいのは、政治的な中心だからではありません。オランダやベルギーも圧倒的に強くなり、ブリュッセルなどは桁外れの大都市になろうとしています。ポルトガルで言えばポルトなどもそうです。
それに対して、日本はグローバリゼーションの中で、まだ国家という枠の中で物事を解決しようとしているのです。そのため日本は思想的には完全に世界の中で孤児になっています。
このようなチグハグさがありながら、私たちが足を付けているのが実際の生活拠点である地域です。その地域には、まだかろうじて今までいろいろな人たちが生きてきた蓄積があります。そこをもう一度見直してどうするかということになると思います。
文化の意味
文化庁が何もしてこなかった分野は強い
ヒルサイドに関係して槇文彦さんのお話をします。槇さんは、もともと日本橋で仕事をしていたのですが、代官山ヒルサイドテラスに移ってきました。ここ10年ご一緒に仕事をすることが多くなってきています。
グローバリゼーションの中での文化
世の中は、良し悪しは別にしてグローバリゼーションの中にあります。通信から始まって金融、社会システムまでも均質化しようという流れがあります。こうしたグローバリゼーションにEUはよく対応しました。
このページへのご意見はJUDIへ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ