第15回都市環境デザインフォーラム関西
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まとめ

大阪大学 鳴海邦碩

 

 今日の3つの分科会のまとめを全部私がやるのはいささか難しいので、今年はなぜこういうテーマのフォーラムにしたかを簡単に紹介することで、締めくくりのコメントにさせていただきます。今回の試みが次のフォーラムテーマに繋がっていけばと思っています。


「デザインの力」というテーマについて

 JUDI関西の立ち上げから15年が経ち、JUDIフォーラムも15回目の開催となりました。第1回目はちょうど私がスペインに行っている時で、開会挨拶をビデオでやったことを覚えています。JUDI関西もずいぶん長いこと活動をしてきましたが、15回目の開催にあたって少しやり方を変えることにしました。なぜやり方を変えたかについては、3つほど理由があります。

(1)「デザイン」そのものを議論する必要がある
 今までは、都市環境デザインやまちづくりはどうあるべきかというテーマが繰り返し議論されてきました。しかし、その前提となる「デザイン」そのものについて、ちゃんと議論したことがありませんでした。

 15回目を迎えるに当たっては、ちゃんとデザインを論じなければならないという問題意識がありました。

(2)世代交代の問題
 もうひとつは、JUDI会員の世代交代の問題です。15年も経つと、JUDIの立ち上げに関わった当時現役の人々にも高齢化の波が押し寄せてきています。当初は50歳を超えたら名誉会員になってもらおうと言ってたのですが、気がつくと名誉会員だらけで、JUDIの存続を考えるととても心配な状況です。会費が高いせいか、若い人が入りづらいようです。

 ただ、フォーラムには若い人も沢山来てくださっていますから、それはそれでいいのですが、今後団塊の世代が引退していくことを考えると、やはりJUDIも若い人が中心になってやっていただきたい。そうした世代交代の狙いもあって、今回は3人の若手の人にフォーラムの企画・運営をお願いすることにしました。

 若手メンバーを中心に、半年ほど濃密な議論を続けてきましたので、フォーラムの準備過程に参加した若い人には、学校の勉強よりよほどためになったと思います。会員になって、いろいろな行事を担当していただくと、自分がしゃべった意見に対して他人からの批評やサポートが返ってきて濃密な話し合いが展開されますから、非常に良いトレーニングの場になると思います。デザインをやっていきたい若い方には是非とも会員になっていただきたいところです。

(3)ジャンルの違う専門家で議論できるか
 最後は、今の学校教育で行われている「デザイン教育」について、もう一度再考してみたいということです。

 今の学校には「デザイン」を標榜している所がたくさんあります。それぞれに優れた先生がいて指導されているのだろうと思うのですが、時々コンペなどで「こんなのが出来たら困る」と思える作品が入選しているのです。それぞれの学校がそれぞれの思惑でやっているのでしょうが、お互い専門家同士が意見を交わすことがないこともあって、特異な作品がコンペの上位に来てしまうきらいがあるような気がします。

 ですから、今日の分科会委員長にはそれぞれジャンルの違う人を選んで、どんな観点からデザインを議論できるかのモデルになってもらおうと思いました。今回は、建築・造園・造形という3つの分野の人が、半年の準備を経て組み立てたプログラムです。


分科会それぞれの感想

 3つの分科会それぞれを全部見ることはできませんでしたが、それぞれ印象に残ったことを感想として述べます。

(1)A:共振し生き続けるデザイン
 作家が作り上げたデザインでも、ちゃんと使い続ける環境を提供するわけですから、作りすぎない、デザインしすぎないことが大事ということが話題になっていました。

 ただ、それを学生にどう教えたら良いかが難しいと思って聞いていました。学生さんの多くはデザインは格好良くなければいけないと思っていますので、こんなのデザインと呼べないと言われる可能性もあるでしょう。使い続けるデザインというと民芸みたいですが、都市環境デザインにも民芸のような見方があることを、どうやって学生に伝えるか。それもけっこう面白い課題です。

(2)B:歩けば見えるファサードデザイン
 話題の多い分科会でしたが、「デザイナーも重要だが、理解力のある施主が欲しい」という贅沢な意見が印象に残りました。理解力のある施主があまりいないのが、日本社会の現状であり問題を表現しているのでしょう。

 施主を良い施主にしていくのもJUDIの課題にしたいところですが、難しいでしょうね。まちづくりの現場ではリーダー=パトロンという存在がしばしばいるのですが、施主が賢いというのは本当に少ないように思います。

(3)C:レイヤーのデザイン
 私が聞いたとき「文化のレイヤー」という言葉が出ていて「受け手も作り手も文化を共有できるのか」が話題になっていました。今は若い世代と年配の世代が文化を共有できなくなっています。文化の継続性をどうするかはとても大きい課題で、次のフォーラムはそれをテーマにしてもいいかなとも思います。今回の分科会委員長が自分たちより若い世代を巻き込んでやってみるのも、面白いかと思います。

 最後に、今年のセミナーテーマで取り上げた2つのトピックスで今回のフォーラムを締めくくりたいと思います。


芭蕉とデザイナーの立場の共通性

 これはフォーラムの準備段階で開催されたセミナーでの発言です。一つは「悪党芭蕉」(嵐山光三郎著)という本からの情報です。芭蕉は軽み(かろみ)の俳句で侘び・寂びを体現したとして後世に残っていますが、芭蕉が生きた時代の俳句は派手好みが主流だったんです。その中でどうやって侘び・寂びの世界に到達したかを考察した本なのですが、実際の芭蕉を取り巻く世界には派手で目立つ俳句を作らないとパトロンである裕福な町人が支援してくれないという現実がありました。その中で頑張って晩年の軽みのある俳句に達したのですが、若いうちからそんな境地になれる人っていませんよね。

 若い時はどうしても派手で面白いものを作って人々をびっくりさせたいと思うものなんです。それもひとつのデザインですが、それは先ほど言った民芸のような一見デザインしないようなものを生み出す力とはちょっと違うものだと思います。1人のデザイナーが年を重ねることでデザインの質を変えていくこともあるわけで、デザインについてそういうとらえ方をしていくことも必要かなと思っています。


これからの日本のデザインの方向性は?

 もうひとつは「サイト」というアメリカのデザイングループが提唱する「ナラティブ・アーキテクチャー」(しゃべる建築物)についてです。

 アメリカのような多文化国家では、メッセージは饒舌でないと伝わらないというのが彼らの主張です。それに比べると日本のデザインは軽いですね、とサイトグループの一人が名古屋のシンポジウムの時に発言しました。

 これから日本もグローバリゼーションが広がっていく中で、地域の固有性や文化の継続性をどう表現するかが課題になってきています。そんな時、過度に饒舌にならないで、日本らしいデザインを追求すべきでしょう。それを考えるヒントになればと、この2つのトピックスをとりあげました。

 今日はまだ話したりない点については、これからの懇親会で意見交換していただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

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