新田和成さんの作品では20cm角の白い布にいろいろなメッセージを刺繍してもらいました。100人も集まらないだろうと言われていましたが、一人の女子学生が戸別訪問で頼んだら、最終的にお年寄りの参加で8,000枚目標のところ、12,000枚が集まりました。雨も多かったため、最後には雑巾にもならないほど汚れてしまいましたが、これを降ろすときにはほんとうにみんな悲しんでいたそうです。 大地の芸術祭の作品
お年寄りと向き合う
新田和成作(2003)
この地域の人々の多くはお年寄りです。十日町市街地を入れても30%近くで、市街地部分を除くと40%を越える高齢化率にもなります。今時の価値では、高齢化は悪のように言われることがありますが、全然そんなことはありません。この地域ではお年寄りこそが大切なのです。
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蔡國強さんという、北京オリンピックの全体ディレクションを担当しているアーティストも参加しました。中国の近代化の中で、捨てられることになった30mもある登り窯を日本に移設し、さらにこの中で作品展を行いました。日本の近現代の美術館では絶対に呼べなかった大アーティストがここに滞在して作品を作りました。
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越後妻有には、外国から建築巡礼する学生たちも来ます。これは釜川という川の側にある場所です。50年くらい前まではカップルたちのいい散歩道だったそうですが、産業廃棄物の捨て場になっていました。ここをカサグランデ&リンターラというフィンランドの建築家グループが、瞑想の空間をつくり変えました。
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MVRDVはまつだい農舞台という中心施設を作りました。カバコフの棚田が2000年に既にできており、線路からラッセルされる雪があり、また高圧電線が通っています。そういう場所を上手く使ってどうやっていくのかを考えてもらいました。いろいろな場面をアーティストと一緒にやるという条件で、日本の里山、越後妻有、松代が入れ子になっているショールームを作ろうとしました。
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トンネルとトンネルの間に広がる、田畑が広がる場所をフィールドミュージアムとして使いました。最短でこの辺りの里山を知りたい人のために、ここを2時間かけて歩いてもらおうという作戦です。
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旧松代町の1400軒の家がそれぞれ自分の家の色を決めて、さらに屋号を入れました。駅とまつだい農舞台をつなぐ回廊に設置されています。
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張永和という北京大学の建築家も参加しました。彼は、この辺りは3mもの雪が積もるということを聞いて、作品が埋もれてしまっても、そばにあるミニチュアは見えるようにしました。けれども、雪が降ったら誰もこの場所に行くことができないので、今まで誰も見たことがありません。
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ここではいろいろな勉強会も行いました。地域は人を選べません。だから僕らができる最高の人たちを常に呼ぶようにしています。それと同時に、地域のおじいちゃんたちの知恵と経験も同じくらい重要だと教えています。
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アートというのは知識ではなく、経験・五感なのです。この写真はさわる彫刻展の模様です。
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レストランでは、料理コンテストを時々やりました。地域のレストランやお店、家の人たちが料理を出し、それに料理の鉄人などが加わってメニューを作りました。 週3回はとバスに乗って、これを食べに来る人たちがいます。地域の米や野菜だけでなくて、地域のお母さんたちの労働を付加価値として付けることができたのです。オランダやフランスなどの大使館がパーティーのケータリングにこの地域の食べ物を入れるようになりました。ようやくアートをきっかけにして、地域の関わりが動き始めたのです。 また、代官山の店でも産直を行うようになりました。 棚田オーナー制度もはじまり、今年はファンクラブの250人くらいに米を送りました。
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旧松之山町は3000人ほどのエリアです。ここに2003年にできた森の学校キョロロという自然科学館には、3人の博士が公募で入っています。ここは里山が色濃く残っている地域で、日本のイエローカード(絶滅危惧種)の昆虫の2/3がいるぐらいすごいのです。 ここでは3000人の人たちの知恵と経験が最も大切だということを示そうとしました。 GPS内蔵のカメラを渡して、オニヤンマが出たら撮ってもらう、舞茸が出たら撮ってもらう、それを料理したら撮ってもらう。 それらがいつ、どこで見えたのかをGPSによって把握することができるのです。例えば、ある人がアブラゼミを見たとしたら、どこで見えたのか、どのくらいの時期に見えたのかをすぐ把握できるのです。つまり、この地域に普通に生きてきた人の生活、また知恵・経験こそがあらゆる価値よりより大切なものだということです。そして、それを繋いでいくのが私たちメディエーターの仕事です。
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波板、三階建て、家の窓はまちまち、中にはいろいろな物を詰め込んでいる、といった妻有の家を見事に捉えている作品です。
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これは空き家プロジェクトとして2000年に始めたものです。村山さんというおばあちゃんは、法事で年に一回だけ帰ってくるだけですが、家をたたもうにもたためない状況でした。
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それをマリーナ・アブラモヴィッチが、村山さんの部屋だけ残しておきながら、夢を語り継ぐ「夢の家」として作品化しました。ベッドとなる棺桶などが置いてありますが、黒字でやっています。マリーナ・アブラモヴィッチのミニギャラリーであり、民宿でもあります。村山さんはお金をかけずに自分の家を維持することができ、管理でお手伝いをして下さっている地域の人たちの収入にもなっています。
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これは時間というものを教えてくれた、僕にとっては決定的な作品です。中里村立津津小学校土倉分校という最も雪の降る地域で、ここの校舎の外には昭和39年に8m50cmまで雪が積もったという記録のポールがあります。これは約4倍の35mの雪が降ったということです。 岐阜に住んでいる北山善夫さんが、4ヶ月ここに入って作品を作りました。夏の後、僕らは残してくれと村に頼みましたが、廃校は、維持管理が大変だということで壊されました。
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やがて捨てられることになる卒業式の送辞、写真などを見た彼は、自分の作品以外にそれらを教室などを全部使って再展示しました。最後の十日間にたくさんの人たちが来ていましたが、入った瞬間に子供たちのざわめきが聞こえ、子供たちがいるようにも見えてしまうのです。これが時間を蘇らせたということだと思います。
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ボルタンスキーの作品です。1haの畑に、等間隔に使い古された白い服を設置しただけですが、これを見るとここで亡くなっていった人たち、都市へ行った人たちの魂のうめきのようなものが聞こえてきました。
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彼は2003年に、17年前に廃校になった東川小学校を使いました。お金がないので、残されたスリッパを吊るしました。廊下に戸を立て、そこの小さな窓から中を除くと、体育館のピアノが見え、「シャボン玉飛んだ」の歌が聞こえてきます。2階の理科室には子供たちの衣服が吊るされています。校庭には雪囲いをステージのようにしたものを作りました。主人公がいなくなった場所というせつなさがわかります。ボルタンスキーは、今年の芸術祭で新しい作品を展開し、この廃校をパーマネントなミュージアムとして再生しました。
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この空き家では2年間、日大の学生、OBが通いつめて、家を彫りつくしました。それによって壊される寸前の家が蘇りました。これも空き家プロジェクトの一つです。
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いろいろな地域とのつながり
いろいろな地域とのつながりがあって、イギリスのピーターラビットの故郷の財団と関係があり、フィンランドは国自体が支援していて、家を買うとも言っています。
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フィンランドのマーリア・ヴィルッカラの作品です。蓬平という46軒の家からなる盆地状の集落です。お祭りの時に菅笠を出す習慣があり、それを真似た裸電球を設置しました。夜になるとみんな付け始め、寝る時には消します。もちろん付け忘れや消し忘れもあるのですが、美しいものです。つまり、ひとつひとつの家に生活があって、それがこの家を残してきたということが伝わってくるのです。
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この作品を紹介する時にはいつも申し上げているのですが、星の王子様の著者であるサン・テグジュぺリは飛行機乗りだった人でもありました。彼はジオメという伝説的な飛行士からこのように言われました。
「君はとてもいい飛行機乗りになるだろう。ただし、この二つを忘れてはいけない。灯りがあっても、その灯りをただの記号としてみるようになってはいけない。灯りがあるということは、そこに家があり、人が生活しているのだ。また、地図上で平らだからといっても、そこに降りられると思ってはいけない。そこでは羊たちが鐘を鳴らしながら走っているのかもしれないのだから」。
現在では、とにかく全て記号になってしまっている。だけれども、都市全体あるいは地球全体が大きく何か考えなおさなければならない状況になっている。少なくとも日本に関しては、政治経済という面ではどうしようもない状態になっています。それでも、人が生きている土地の中でやれることはまだあるのです。わずかでも、やることはそれしかないのです。その中でやることができる、私たちがメディエータとしての役割は決定的であろうと思っています。それが今日のお話です。
どうもありがとうございました。