都市観光の新しい形
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「長崎さるく博’06」の成し遂げたこと

 

 

 「長崎さるく博’06」は、オープンエリア型の博覧会の形式にそって、わがまち長崎の魅力を広くプレゼンテーションしようとするものであった。

 きっかけは、長崎への観光客数の歯止めのきかない減少で、この10年で1割以上の落ち込みを記録しているが、この状況を改善するために長崎市と市民の検討委員会で「まち歩き」の推進が提案された。「長崎市観光2006アクションプラン」がそれである。このプランでは、「まち活かし・ひと活かし」の基本理念のもとに、長崎の観光を従来の見物型から体験型へ転換し、まちの生活文化にふれて長崎の魅力を体感する観光のあり方を実現し、それによって市民自身がわがまちへの誇りを高めることが強調されている。このプランを受けて「長崎さるく博’06」の実施計画が推進委員会によって策定され、そのなかで「まち歩き」を中心にした博覧会の内容と、それを実行する市民参加の方式が示された。「市民が企画し、市民が実行し、結果としての利益も市民が享受する」という実施の基本方針もここで確認されている。

 一般の博覧会では、最終的に何人の入場者数があったかという数値が評価の一番の対象になる。「長崎さるく博’06」は、達成した数値も十分に誇れるものであるが、何よりも博覧会そのものが持つ意味を評価しておかねばならない。

 日本の都市観光が外国に比べて貧弱であることは常に指摘されてきたことであり、それを打開する手法として「まち歩き」があることもいわれてきた。しかし「まち歩き」が大規模集客に結びつくか、それも長期の持続的な観光客誘致の資源になるかということが疑問視され、この冒険に踏み切る都市は日本では現れなかった。この意味で長崎は都市観光に先駆的な役割を自ら買って出たことになる。それが「長崎さるく博’06」であり、長崎は見事にそれを成功させた。都市の歴史や風土や市民生活をありのまま示して、「まち歩き」するだけの観光が、長期間にわたって十分な集客力をもち、それ以上の効果をもたらす有効な方法であることが実証されたのである。

 長崎のまちに、まち歩き観光客やまち歩き市民があふれた。ユニフォームを着た「さるくガイド」と共にさるく一団や、マップを手に持ってひとりで、仲間でさるいた人々である。この光景は長崎の景色になった。

 達成した数字でいうと、しばらく漸減しつづけてきた入込観光客数が、期間中ついに逆転して前年比6%ほど増加した。しかも宿泊客では9%増加するという宿泊型集客を実現している。700万人が「まち歩き」をし、博覧会への延べ参加者総数は1000万人を超えたと推定される。実際、春の大型連休や閉幕前の10月には、さるく人々が長崎のまちに充満し、グラバー園も出島も記録的な入場者を得た。これらの数値は「長崎さるく」として今後の「まち歩きのまち」の継続を決意した長崎市民によっていずれ更新されるであろうが、当面の指標としては十分に満足できる。さらに、これらの結果が3年間の事業費16億円という、いわゆる地方博の10分の1以下の少ない費用で達成されたことも付け加えておきたい。

 しかしながらこれらの数値よりも重要だと思われることは、「わがまち意識」を高揚させ、長崎への誇りを謳い上げた延べ2万8022人の市民の直接参加である。「長崎さるく博’06」におけるこの市民エンパワメントの高まりは、今後長く語り継がれるであろう。パビリオンも大型映像も人寄せパンダもない博覧会を、こんなに活気あふれるもにし、212日間、日々前進させたのはガイド、サポーター、イベント出演者、さらには訪れた観光客に「さるきよっとですか」と声をかけて迎えた商店の人々や休息施設を提供した人々、すなわちすべて市民であった。彼らが成し得たことはホスピタリティの域を超えて、長崎に新しく加わった都市魅力として存在している。

 遠くから来る朋あり長崎を自慢たらたら歩かせており(西部稔・マイさるく短歌の部大賞作)−長崎市民が「わがまち意識」を強くすることで都市の個性が回復し、都市の輝きが再生され、長崎はさらに魅力的なまちになっていくはずである。

 「長崎さるく博’06」がつくりだした都市観光の構造は、いわゆるサスティナブルな(維持可能な)都市インフラとして長崎にながく定着していくにちがいない。こうして長崎が日本の都市観光のあたらしい時代を切り開いた。

 (大阪ガスエネルギー・文化研究所「CEL」2006/3、長崎さるく博「記録集」2006/10をもとに加筆・修正)
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表2 長崎さるく博’06延べ参加者数
 
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表3 さるく博効果がうかがえる主な参考指標(4月〜10月) 図6 長崎さるく博’06の経済波及効果
 
     
     茶谷幸治(ちゃたにこうじ)
     1946年大阪生まれ。1969年早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業、同年株式会社電通入社、1981年電通退社後、株式会社経営企画センター設立。1993年「アーバンリゾートフェア神戸’93」チーフプロデューサー、1994年「ジャパンエキスポ世界リゾート博」催事プロデューサー、1999年「ジャパンエキスポ南紀熊野体験博」総合プロデューサー、「しまなみ海道'99」広島・愛媛両県総合プロデューサー、2002年「播磨の武蔵」キャンペーン総合プロデューサー、2002〜2003年(社)日本観光協会都市観光活性化会議委員、2004〜2006年「長崎さるく博’06」コーディネートプロデューサー。
 
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