パネルディスカッション
暮らしを観光することの意味
北京胡同から見えること
(株)DAN計画研究所 吉野国夫
1982年の北京です。お店の看板はあっても中身は商品がほとんどありません |
どこにでも見られた胡同(フートン)と呼ばれる路地もメジャーな観光の対象となっていることで、北京空港や故宮博物院のブックコーナーでは、観光本の配置で3〜4位の地位を占めていることであった。以前は建築や都市の関係者が四合院とセットで見学する対象であり、そこら中が胡同なので、観光のコンテンツとは考えられなかった。胡同の歴史は1267年の元朝の大都建設に始まるとされているが、明代以降、さらに不規則な路地が開発され、清朝期では2076、1949年には6000以上あった(wikipedia)らしい。北京市観光局のHPでは現在も4550余を数える。オリンピック関連開発で多くの胡同が消滅しているが、一方で2002年に策定された歴史文化名城保護計画では旧市街の30ヶ所を保護区にしており、その面積は1278ヘクタールで実に21%を占める。
北京9月、胡同、三輪車観光の風景 | 胡同の四合院の中に文化大革命の頃に増築された長屋の並ぶケース |
「胡同観光」は実はそれほど古いものではない。1990年代の初期に始まって急速に発展。2004年に人力三輪車を利用した観光事業者に対する特別営業許可制を施行し、営業範囲と車両台数を制限したことが、悪徳な事業者の抑制となり観光客の増加と客層の拡大に結びついている。事実、訪れた胡同でも女子高生グループや若いアベック客が良く見かけられた。値段はあってないような所もあるが30〜50元(交渉次第で15元)、観光局のHPでは四合院での食事や什刹海の船めぐり込みの本格的なパックもので180元というものもある。しかし、本当に胡同を満喫したければ歩くしかない。
胡同の写真本やガイドをもってとにかく歩き回ることである。
ここで問題となるのが、住民の方の生活上のプライバシーとの折り合いである。胡同の空間の面白さは通り景観だけでは味わえない。より細い路地に入ったり四合院の中にも路地があったりして、住んでいる人の日常生活垣間見る所に醍醐味があるのだが、当然見られる方は心の準備ができていなかったり、そもそも他人しかもカメラを持った外国人が生活空間に入り込んでくることに不快感を持つ人が多い。微妙な言い方ではあるが、筆者はこうした体験を世界中で30年もやってきたので、かなり危険な所でも入って来たし、感情面のトラブルを回避する感覚とコミュニケーションセンスもあるつもりだが一般の観光客にお勧め出来るものではない。
三輪車観光の良いところは、プロが住民と合意した一定範囲を定めて路地を巡るのでトラブルがないことだが、逆に人々の暮らしを身近に体験し、見知らぬ人と出会うといった可能性も少ない。ここに町並み観光のその先にある暮らし観光の難しさがある。パリの家具工房街の中庭式パッサージュは、そこに数件のお店があることによって部外者の存在を許される。
空堀の通り抜けられる路地 |
神楽坂はどちらかというと来外客に開かれた路地である。しかし、ここでも・花街が創り育てた「しつらえともてなし」の路地・飲食店、物販店、娯楽点が連なる、賑わいの路地・住宅が連なる生活系の路地、の3つがある。(山下馨氏)しかし大事なことはこの3つがバラバラに存在するのではなく一体の路地の町としてあることだ。氏はこれを「一見の来外客は足を踏み入れにくい…マナーの空間」としている。賑わいの路地も神楽坂らしさがあり、生活路地も下町の路地とは趣をやや異にするのであり、下町の空堀とは随分違っている。ここで面白いのは毎年秋に行われる「まちとびフェスタ」であり、和とモダンが渾然となり「まちに飛びだした美術館」というコンセプトで町をあげての文化祭となっている。また、夏や秋には着物でコンシェルジェという着物を着てもらって着物を着たボランティアガイドが案内するという1000円で写真や茶菓子のサービスもあるイベントが人気だ。対して空堀では今年で7回目となる「まちアート」が人気であるが、熊野街道の団体ウォーキングや1〜2名のリピーターによる街歩きが中心であり、観光ガイド的な取り組みは見られない。
吉野国夫(よしのくにお) 1949年大阪府生まれ。(株)ダン計画研究所代表取締役社長。独学で様々な仕事を覚える。73年、ダンアソシエイツを設立、翌年(株)ダン計画研究所に改組。主に官公庁の長期計画、まちづくり事業を手がける。著書に『タウンリゾートとしての商店街』(学芸出版社)、『路地からのまちづくり』(共著、学芸出版社)など。 |