都市を訪ねてみたいと思うのは、さまざまな理由づけがある。見てみたい、食べてみたい、体験してみたいといった、さまざまな「○○したい」という願望を実現するため、その都市を訪ねることになる。
ただし、現地に行く前に雑誌やガイドブック、インターネットなどで事前に十分な情報収集をしすぎると頭の中で過剰にバーチャル体験ができるので、現地では追体験をするだけという事態もありうる。あんまり情報過多になると、新しい発見がないので、興奮するというより安心するといったことになってしまう。
その新しい企画は、ユーザーの声を集めて紹介する、編集者がその店舗を点検し、かつ店主の声も紹介するというガイドブックである。編集者が店の評価をするミシュラン方式ではなく、評価は市民がする多数決方式であった。最初、某県が予算を手当し、作成した観光ガイドブックを出版ルートに乗せて売るという出版社としてはリスクの少ない方式で出したところ、結構、評判が良い。こんな田舎の県(失礼)でも売れるなら、人気の観光スポットを持つ都道府県なら採算ベースで出版できるという判断のようである。
市民が選ぶ「我が地域の名所、名店」ということである。よっぽどひどい都市計画やまちづくりをしない限り、どんな地域にも住民から愛される「良い場所」「良いお店」が必ずある筈という信念がないと、こんなガイドブックを作ろうとは思わない。この出版社の眼力には敬意を表したい。
ガイド本を売るには読者が何をその地域に求めるかが重要であり、そのテーマに絞って市民の評価を聴かねばならない。編集者曰く「京都なら神社仏閣より小洒落た京町屋レストラン」「大阪ならバラエティ豊かな食べモン」というポイントに絞ってアンケート調査しましょうということになるらしい。主要な観光地でアンケート調査を行い、そこから評判の良い店をピックアップするという算段である。
ところで私達の住んでいる大阪バージョンはまだ発刊されていない。これはよほど愛される場所がないのか、あるいは愛される場所があまりに多すぎて、編集者も収拾がつかなくなっているのか、どちらかである。ちなみにその地図会社は大阪の会社なので、きっと社内でも意見百出、このまま掲載するとガイドブックが電話帳のようになって困るということで永遠に出版されないのではないか?と勝手に予想している。
最近の参加型観光の流行は、エコ・ミュージアムやアグリツーリズム、エコ・ーツアーなどである。
エコ・ミュージアムは必ずしも自然体験だけを指すものでなく、都市や地域の生活や空間をそのままの形で体験し、異なる文化的な事象や歴史的空間、自然環境などと接することで知的な興奮を得るものである。今回のテーマである、まちの観光と比較的近い関係にある。
農作業や酪農体験など、自然環境の中で土や動物とふれあうアグリ・ツーリズムも都市住民と農村との交流の重要な手段として、重要な要素になりつつある。
伝統的建造物群や町並みの保全を推進する時、その結果「観光客が増え、町に活気がでますよ」といったことを強調することが多い。伝統的な町並みを維持することに伴う生活面の不便さ、建築費の増加を補うため、観光によって地域経済が潤うことを説得材料としている。同じことが、農村部や自然地域にも起こっている。人の手が入って良く管理された農村や森林の景観を維持し、人工的な構造物は出来るだけ排除し、自然の循環システムによって生態系を維持するといった努力はツーリズムという形で地域経済へと反映されている。
リゾート開発などのツケが貯まって財政破綻した夕張市で「石炭の博物館」を訪ねたが、産業博物館として一流の博物館である。夕張を含む空知地方には多くの炭坑施設、炭坑住宅がそのまま残っており、これらを巡る旅はまさにエコ・ミュージアムそのものである*2。これまで取り壊されつつある炭坑施設、炭坑社宅や企業保養所(倶楽部)などが残存していれば、この施設群は世界遺産に指定されるのではないか?と思わせるような資産である。残念ながらリゾート開発の最中にこれらは負の遺産として評価され、今となっては、その多くが取り壊されている。(ちなみに九州の炭坑・炭坑住宅とも大きく異なっており、特有の住宅形式や都市構造を形成している。財政再建とは別次元で興味あるテーマである)。
来訪者から見れば、非常にユニークな空間や装置が存在し、その生活や特別な機能が多くの発見や感動を生むといったことが可能である。ところがこういった地域の資源がそこに住む人々の目から見ると、悲しい過去を連想させるものであり、忌み嫌うべきものとして扱われることが時には生じる。余所者の視点を持ちつつ、固有の歴史性や地域文化を反映した空間やイベントを継承することの重要性に気づかされる。
再開発や区画整理事業などまちを計画的に作ることは出来るけど、それがどこの町でもよく似た様相を示すのは、同時期に同じような経済環境の中で施設立地やテナント誘致が進められるからである。新規に都市開発や商業開発をする際に「地域に根ざした都市デザイン」というと格好が良いが、実際に出来てくる施設は、どこそこ風であったり、レトロ風であったりする。何故かというと商業施設・娯楽施設は、今日的な経済環境下で短時間の内に非日常体験の場を作ることを要求されているから、何とかして「ここではない、どこか」のイメージを借りることになる。急ごしらえの商業施設に「地域らしいデザイン」を求めるのはどだい無理な相談である。
都市観光が面白いのは、異なる時代背景と地域事情を反映して町ができあがっているため、それぞれの町が個性的であり来訪者に非日常的な体験を与えることが出来るからだと思う。これからの新しい観光地は日常生活の中に発見されるのであろう。
都市観光と都市デザイン
今日的都市観光に求めるもの
地域計画建築研究所 堀口浩司
口コミ観光ガイドブック
とある有名な地図会社で観光ガイドブックの企画があり、縁あって何度か担当される方と相談した。一般に観光ガイドブックは、神社仏閣や景勝地などいわゆる観光地以外は、よほどの有名店や老舗でない限り出版社とその企業とがタイアップした紹介記事も多い。玉石混淆のガイドブックは逆に信頼性が低く見られてしまう。都市居住者のためのガイドブック
地方自治体が観光ガイドブックを作成し、大手出版社のラインナップに乗せた先駆けは「るるぶ練馬区」であろう。練馬区はもともと観光には縁のない住宅区で、一般的な観光客はみこめない。「まち歩き観光」に着目し「よそ者」ではなく区民を主対象にしたガイドブックを発行するという点がユニークである。区の世帯数の1/6にあたる5万部が区内で販売されたという*1。この後、るるぶシリーズでは杉並区、足立区、江東区、川崎市、相模原市、八王子市なども発行されている。ここで出てきた「まち歩き観光」とか、「近くの名所・観光資源」という概念こそ、究極の都市観光であり、住民こそ何度でも来るリピーターである。最近はやりの観光地
昔からオーソドックスな観光地の要件と言えば、珍しい風景、美しい景色、壮大な眺めなどがある。古くからの観光地には風光明媚な地形をテーマにしたものが多い。この手の観光地と並んで古典的なものとしては温泉保養地や門前町などがある。これは「見る観光」ではなく古くからある「する観光」である。地域の日常、余所者の非日常
放置された採炭施設(幌内市)
現存する炭坑社宅住宅(夕張市)
バブル経済真っ盛りの時期、全国各地のリゾート開発が進んだ。先陣を切って開発を行った北海道や九州各地の大型施設整備は今も不採算な施設を抱えて苦労しているようである。都市デザインにおける体験空間の創出
都市観光の醍醐味とは、町を歩いて見て、風景や暮らしぶりの中から、発見、興奮、癒しを得ることである。
*1:井上:「居住者向け観光情報誌発行の試み」(日本観光研究学会19回大会論文集)
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*2:吉岡:「炭坑遺産でまちづくり」(富士コンテム社)
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