都市観光の新しい形
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都市観光・再考

 

 茶谷でございます。

 皆さんに、今日のこの長丁場のフォーラムを乗り切って頂くためのヒント、あるいはベースになるようなことをお話できればと考えてやってまいりました。

 去年(2006年)、長崎で「長崎さるく博」という「まち歩き」だけをネタにした212日間の博覧会をやったんですね。これが結構上手くいったということで、その中身をまず皆さんに聞いて頂くということがお招きいただいた理由かと思いますが、その前に都市観光の捉え方について共通基盤を少し作りたいというように考えます。


大衆観光(マスツーリズム)の時代

 「都市観光」は新しい言葉です。実は、日本観光協会のいろんなものを読んでおりましても、あるいはそこで交わされている会話を聞いても、「都市観光をなんとかしなくっちゃ」なんていうことが出てきたのは、ここ5、6年だと私は思っております。

 それまでは「都市観光」なんていう言葉はピンとこないものでした。「観光」という言葉はもちろんありましたけれども、「観光」って何なのかというと、名所・旧跡、温泉、そして温泉宿で宴会をして、観光バスでくるくるっと回って、という「名所・旧跡・温泉・宴会・観光バス」のことです。これに象徴されるような、まあ言わば物見遊山ですね。

 これは大昔からそうだったかというとそうじゃない。江戸時代も明治初めもそうじゃなかったんですが、そうなったのは特に戦後です。戦争が終わって生活が盛り返してきて余裕が出てきたあたりから、観光というものに我々庶民の目が向かっていった。具体的に言うと昭和40年前後です。昭和38年に名神高速道路が出来上がっています。1年後の昭和39年に東海道新幹線が出来ております。10月に完成しました。そのまさに10月に東京オリンピックが開催されました。

 それから40年代にはジェット機が日本の空を飛ぶようになりました。45年には東京とハワイ航路でジャンボジェットが飛んでおります。つまり、その辺りから大量の人が安く遠くに出かけられるようになるという時代を迎えました。

 この頃からいわゆる観光がお金持ちの慰みというか、ちょっとした優雅な生活ぶりを示すためのものから、いろんな人がどこへでも飛んで行ける大衆観光の時代が始まったわけです。これを主導していったのが日本の旅行代理店、いわゆるエージェントと呼ばれている企業です。

 だから産業としての観光はその辺りから色濃く出てきたんです。で、このときに登場してきたのが、先ほどから言っている名所・旧跡・温泉・宴会・観光バスという観光のスタイルであります。多くの日本人にとっては日本中に珍しいものがあふれていたので、まさにディスカバー・ジャパン、それ以降、ずっとこの観光スタイルでやって参りました。しかし最近になって、この観光スタイルにちょっとした変化が見られます。


マスツーリズムの行き詰まり

飽きられてきた名所旧跡温泉宴会観光バス
 いままで観光地の観光を主導する各地の観光協会、観光連盟の仕事はというと、名所旧跡の立派な写真を撮って、ポスターを作って貼ることに代表されました。自治体の観光担当者にとってポスターやパンフ作りは彼らの主要な仕事です。自分の県の、あるは自分の市の名所・名物をくまなく紹介して、そこへ観光客を誘客するのが目的で、それにはポスターやパンフや、いまやホームページ作成が欠かせないということになっているのです。

 けれども、この手法がなかなか上手くいかなくなってきたわけなんです。なぜ上手くいかなくなってきたかというと、いくつか原因があるのですが、一つは従来型の観光が飽きられてきたということがあります。

 名所旧跡と言われてどこがあるだろう。たしかに京都と奈良の名所旧跡はすごいもんです。北から南までいろんな所へ行っても、あれほど立派な神社あるいは仏閣といったものは他にはありません。

 例えば後でご紹介する長崎ですが、九州には国宝が5つありまして、そのうちの3つは長崎にあるんです。そのうちの1つが、明治以降の建築で大浦天主堂というゴシック建築です。これは西洋建築物では日本で唯一の国宝です。後は崇福寺というお寺の第一峰門(だいいっぽうもん)と本堂である大雄宝殿、これが国宝になっているんです。崇福寺は長崎人の自慢の寺なので行ってみました。なかなか立派なものなんです。国宝ですし。由緒諸正しいし、やってる行事も中国盆などすごいことなんですが、規模はこじんまりしています。ですからこれをいわゆる物見遊山で訪ねていく限りは、「これだけ?」ということで物足りなく感じるでしょう。つまり「京都や奈良の方がもっとすごいよ」というようなことになって、物見遊山観光に飽きてくるんです。

 温泉もそうですね、今まだ温泉ブームというのが続いていて、なんだか黒川温泉が一番だとここ数年言われているそうですが、黒川にしても、その前にブームだった湯布院だって、実際に行ってみれば「こんなもんか」というところがありますね。そういう事を言うと地元からまた叱られますが、関西フォーラムだから……(笑)。

 関西では白浜へ行って有馬へ行って城之崎や湯村へ行って、足を伸ばして北陸のいくつかの温泉地へ行けば、もうだいたい温泉っていうものが全部わかります。近頃は、近所にもお湯がでます。だから温泉に飽きたということがあるでしょう。

 そして最高に飽きたというか、最大に飽きてしまったのが宴会です。若いお嬢さんに、今度温泉で宴会やるから行こうよと誘ったら、即座に「NO!」と言われます。今やそんなところまで行って、皆でドンチャン騒ぎして、200畳の大広間で飲めや歌えやなんていうのは、はやりません。これで商売をしていた旅館はほとんどと言っていいくらいおかしくなっています。

海外の魅力に負けた
 飽きたという現象がはっきりとあるうえに、具合が悪いことに、そこに海外旅行が安価になりました。海外の情報がどんどん入ってくるようになりました。パリは面白いよ、サンフランシスコもいいし、ニューヨークもいいし、まあ日本人の半数以上はソウルや北京、台北なんかの近場ですますのですが、それでも国内旅行より安い場合があって、いまや海外旅行もすっかり大衆化しました。

 昔はよからぬ目的で行った人も多かったように思いますが、最近は外国の街を楽しむというスタイルで通っている人もいます。関西からソウルなんて近いものですから、往復で3万円から行ける。下手をすると長崎に行くより安いじゃないか、ということになってソウル通いをしているファンも結構います。そうなってくると日本の名所旧跡と言っても、だんだん影が薄れてくるというのも仕方がないでしょう。


都市観光への期待の盛り上がり

地方の衰退をなんとかするために
 都市観光が期待される一つ大きな理由があります。これはですね、日本の地方が衰退してきたということです。ということは東京だけが唯一の勝ち組で、これについては今日は1時間しかありませんからあまり詳しくお話しませんが、経済状況がよいと言われている名古屋へ行っても市の幹部の方が「うちは実際は景気はよくないよ」とおっしゃっていました。数字を見ると確かにそれほどよくないですよね。大阪もご存知の通りで、地方はほとんど衰退しています。

 私はこの前、西条まつりと新居浜の太鼓祭りに来てくれと言われて行ったのですが、景気がいいんですよ、四国のあの辺りは。工場が立ち並んで、特殊鋼や造船とかパルプとかがあって、比較的雇用はしっかりしていたんですけれども、それでもまちの雰囲気はひどいものですね。高松にも寄りましたけれども、かつての元気さがありません。というのが日本の地方の現状でしょうね。

 これは九州・東北みんなそうですよ。そうなってくると地方都市と呼ばれる所はもうちょっと頑張らなくてはというか、いつまでも国に頼っていられないというか、追い込まれたというか、自ら何とかしようということになってきた。これは大変よい傾向だとは思うのですが、そういういままでとは逆のベクトルが、そろそろ出てきたというのが実感なんですね。

 そういう理由からですね、ちょっと自分たちの都市観光を真剣にやってみようとなったきたわけです。

インバウンド観光への期待
 一つ大事なことを忘れていました。小泉元首相が盛んにおっしゃっていましたが、インバウンドとアウトバウンド、日本から外国に行く方がアウトバウンドですね、それに対して外国から日本に入って来るインバウンドの方が非常に少ない。出て行く人は今2000万人に向かって突き進んでいるのに、入ってくる人が、ついこの間まで3百数十万人、それで「ウェルカム21プラン」であるとか、「ヴィジットジャパン」とかキャンペーンをはって今やっと700万人をちょっと超えたあたりです。それでもアウトバウンドの1/2に及びません。

 だからこの赤字が一時は3兆5000億円くらいという大変な金額になった。日本の外食産業の付加価値額とほぼ一緒だろう、えー?!ということで、このすごい数字が認識されることになりました。

 なんとかしなきゃいけない、外国人にもっと日本へ来てもらってお金をばら撒いてもらうようにしなきゃいけない。そのためには日本の観光がしっかりしなきゃいけない。なにが駄目なんだと調査をすると、「日本の都市観光が貧弱だ」ということに気づいた。この辺りから、都市観光という言葉が盛んに言われ始めたのです。小泉内閣あたりから俄然脚光を浴びてきたということですから、都市観光という言葉もそれだけ新しい言葉であるということができると思います。


都市観光をめぐる障害

 しかし、ほとんどの方は都市観光のとらえ方を間違っているということをご指摘しておかなければなりません。このことは後でちょっと触れさせていただくのですが、それでは都市の観光をどのようにしてやっていくべきかということを考えたときに、それほどの妙案が浮かばない。答えがなかなか見つからないんですよ。

都市観光は商売にならない
 都市の観光って何なのか、うまくいく術(すべ)がないというか、答えが見つからない理由が二つほどございます。

 一つは日本の観光を主導してきたのは間違いなく旅行会社という存在です。この旅行会社という存在は、都市観光などということをいままで真剣に考えたことがない。なぜ考えたことがないかというと商売にならないからで、東京観光を例に考えても、「ディズニーランド」や「はとバス」を斡旋すると商売になるが、新丸ビル観光を斡旋するわけにはいかない。更には、神楽坂の料亭や銀座のクラブでお遊びをするのを定番の旅行商品に仕立てるのは非常に難しい。それよりも何とか温泉に連れて行って、大量にドカーンと泊まってもらうというほうが旅行商品としてはラクですよね。都市観光はあくまでも個人旅行の範疇なので旅行としての商品にはなりづらいのです。

 まあ京都の島原の輪違屋さんとかでちょっとした太夫さんのショーを見てと……、これは観光そのものですから、はい、はい、とコースどおりに進んでもらって、また次から次へと入ってもらうという定番化はできますけれども、じゃあ祇園の一力や南禅寺の瓢亭へ行って、それで観光のコースを作れるかというとできない。なかなか面倒だということがあるんですね。

 なんか組織でもって、制度でもって、こっちへ観光しなさい、あっちへ観光しなさいというふうな形では、都市観光というのはなかなか扱いづらい。扱いづらいものは商品化しないから、旅行会社からは観光の対象としてとらえられてこなかったということです。

 そうすると多くの日本人は、仙台で今何やっているか、佐賀で何やっているかを知らないんです。高知がどうかとか、大阪ではわからないんです。日本人は東京の都市情報だけにはやたら詳しい。それはなぜかというと、マスコミ情報の8割くらいは東京で作られて全国に流れていきますから、東京の渋谷で今何が流行っているかとか、表参道の裏側でこういうのがあったとか、新しいビルができてどうだとか、それは一様によく知っているんだけれども、地方のニュースは逆に全国に行きません。そういうことを考えると、なんでしょうかね、情報の食い違いということも含めて、都市、地方の都市情報というものがなかなか我々のところまで届いていないということも日本の都市観光の貧弱さを助長しているといえます。

観光を産業として認識していない
 もう一つ、大きな原因があるんですね。それは地方の都市で観光客を受け入れる体制の問題です。これが全く整っていない。全くという言葉を強調したいと思いますが、整っていない。これはどういうことかというと、まず観光客に来てもらいたいという意識がないということがあります。観光客に来てもらうとうるさいんです。車はいっぱい来るし、不法駐車は増えるし、それから観光客は旅の恥はかき捨てでマナーは悪いし、ゴミはいっぱい落とすわりに、小さな地方都市ではお金を落としてもらう方法がなかなかないんです。だから受け入れがたい。受け入れがたいところへ、さあ都市観光だ、観光開発だ、魅力を掘り起こせ、今まで無かった価値がどこかにあるんだ、ああだこうだと言っても、乗らないんいですよ、誰も。

 こういう現象もあって日本の都市観光というのがなかなか腰が重いというのが現状です。しかし何とかしなくてはということで掛け声だけはすごいんですよ、都市観光ブームだとか。

 ただですね、幸いなことに大阪であるとか京都であるとか、大都市になりましたら、主要な集客施設というものがもう整っているんですね。だから外からお金を持って入ってきてくださる観光客に、それなりのお金を落としてもらえる仕組みがあり、直接的な利益になる。お土産だっていろんなものがあります。「お土産物ではありません、名産品です」と叱られたことがありますが、ルイ・ヴィトンだって貴族のグッズをお土産物とすることから始まったそうですから、土産物を低く見るべきではありませんよ。

 ただ日本人の感覚の中のお土産っていうのは、厳島の紅葉まんじゅうや鳴子のこけしのイメージの域を出ないんです。そこから一歩踏み出して地域の基幹産業という捉え方がなかなか出てこないものだから、いくら観光客がやって来たって、ホテルと旅館と観光バスとお土産物の類だけが頭に浮かんで、そんな産業に地域経済を依存するわけにはいかない、というのが日本の地方都市に共通した認識です。観光産業24兆円で広告産業の4倍、全国の百貨店の売上高の3倍もあるというのにですよ。それほどに観光を産業として認識してもらっていないということなのでしょう。

 この辺の議論を進めていくととても長くなるのでよしますけれども、たとえばニューヨークという都市も世界中のお上りさんが集まってくる都市ですが、このまちの最大の産業はまぎれもなく観光です。ですから9.11直後に観光客が激減してニューヨークは空前のピンチを迎えました。この状況を打破するために、日本からの航空運賃が5万円になったり、ホテルが20ドルになったりして、必死になって観光客を集めようとしたことは記憶に新しいことです。じゃあニューヨークの観光資源って何なのかというと、よく考えてみると、それはもうまちの全部なんです。グランド・ゼロだとかエンパイア・ステイトビル、自由の女神、メトロポリタン美術館などの施設だけでなく、チャイナタウンからソーホーからハーレムまで「まち」そのものや、地下鉄やミュージカル、ジャズ、サブカルチャー、ショッピングといった機能まで、まちの中のありとあらゆるものがニューヨークの観光資源なんです。この「まち」全体が観光資源であるという考え方が、都市観光の重要なヒントになるだろうと思います。

 だから彼らはベッドタックスをとっています。世界中の主要な都市はほとんど取っています。オペラもバレーもそれで支えられています。世界の一流都市はこうして維持されているのです。サンフランシスコに泊まると、ベッドタックスが宿泊費の14%もかかります。東京も課税されるようになりました。東京では1万円以上のホテル料金に100円、2万円以上で200円ですね。それで観光産業や地域芸術・芸能をどんどん盛り上げようとしています。これは石原知事がぶち上げましたが、ぶち上げたものの、地方の首長さんから「反対だ!東京だけがそんな税金をかけて!」ともう無知丸出しの反対意見が出てきました。東京が上海やソウルに負けてしまっては日本は大変なことになるので、この資金で東京での観光のクオリティを高めてもらいたいと、私は思っています。大阪も、京都も、神戸も、このような取り組みを急ぐべきです。


これから、どうするか?

発地型から着地型へ
 今日の議論のベースとして、都市と観光というものがこういう目に遭ってきた、ということを少しお話させて頂きました。

 今から、都市観光をどう扱っていくかということなんですが、エージェントの問題は自ずと解決してくると思うんですね。これは発地型の観光から着地型の観光というふうにエージェント自体がもう随分前から言い始めております。

 発地型とはどういうことかというと、例えば、皆さんは自分の住んでいる所で沖縄の観光をしているんです。大阪の人の沖縄観光は大阪でやるんです。どういう意味かというと、飛行機の切符も大阪で買うしホテルの手配も大阪でやるし、それから旅行に着て行く服装だって靴だって旅行に必要なものは大阪で買うんです。ですから大阪人の沖縄観光は多くの部分が大阪で完結しているのです。ですから旅行産業は発地型なんです。エージェントは、切符を売ってどこかへ旅行してもらうことで、ビジネスをしているんです。やって来た人々を受け止めてビジネスをしているわけじゃない。観光関係者の中でもこの辺の事情をとり間違えている人が一杯います。

 日本でも着地型の観光をもっと開発しなくっちゃというのは、これは外国では着地型の観光需要こそが観光ビジネスの重要な部分であるからです。

 たとえばパリについては、観光ビジネスというのが沢山あって、それはバスから船からレストランから、何から何まで含まれます。シャンソンからセーヌ川から、それからルーブルをはじめとする美術館、あらゆるものが広い意味での観光産業という枠組みの中で形成されておりますから、着地型の観光によって都市が形成されているといっても過言ではないでしょう。パリを訪れると、まち全体が来訪者を楽しませようとしていることに気づくはずです。そのことが観光客にとってとても気持ちよく感じられます。花の都パリはこうして存立してきたのです。

 だから大阪に観光客が来た場合、何でもって都市を楽しんでもらうかはとても重要です。まあいろいろあるでしょう。赤い灯・青い灯のネオンサインも海遊館もあるんでしょうけれども、じゃあ、まち全体で観光客をドンと受け止めているか、そういう受け入れ体制をまともに持っているかというと、とてもそのようには思えません。特に外国人に対してはまだまだ非常に未熟です。あるいは、日本の他の都市からやってこられる方々に対して、大阪の懐であたたかく迎えてあげるようなそういう体制をなかなかつくれない。

 ところで、またこれを誤解して「ホスピタリティ」と言っちゃうわけです。で、ホスピタリティというと、ニコッと笑顔をつくって対応することだと思われているけれど、これはとんでもない間違いです。無理やりそんなことしても気持ち悪いだけです。よそから来た人に突然ニコッと笑うなんて、お嬢さんにやったら逮捕されますよ。不審者ということでね。「ふれあい」とよく言いますが、知らないもの同志が突然ふれあうというのも難しいんです。受け入れ体制とは、そんな態度のことを言うのではなくて、「この街を楽しんでください、自分たちの街を見てください」という仕組みのことで、半日ツアーの個人集客型の観光バスが充実していたり、ガイドサービスが容易に手に入ったり、食事や演劇の情報が豊富に提供されたりということがあります。いまはやりの「コンシェルジェ」機能をまちが発揮することです。この点は、日本は非常に遅れていましたが、今年には旅行業法も改正されて旅行会社以外でもそのようなサービスを有料で提供できるようになると、日本の都市観光も一皮剥けるのではないかと思っています。

観光客にお金を落としてもらう仕組みづくり
 来訪者がその都市で宿泊すると、お金を使ってくれます。(観光客という言葉を使うと、また物見遊山であちこちまわる人とごちゃごちゃになるんで、いつも私は使い分けているんですけれども、本当はこういう使い分けはあまりしたくないんです。生活者と言ってみたり、消費者と言ってみたり、本当はどっちでもいいんですけれどもね)。つまり経済効果が発生するわけですが、宿泊施設がないと難しいので、都市観光の経済効果はなんといっても宿泊施設の有無に左右されます。ホテルや旅館があれば夜型の観光も成立します。これからの都市観光は、特に地方都市では、優良でしかも安価な宿泊機能をどのように確保するかが非常に重要なポイントです。逆に言えば、四季を通じて宿泊客が発生するような都市観光のあり方が求められます。一時的な一過性のイベントだけでは有効な都市観光は成立しません。

 泊まってもらうのがお金を落としてもらうのに一番確実な方法です。泊まってもらえれば、水道も使ってもらえるしトイレットペーパーも使ってもらえるし、クリーニング屋さんもなんとかそれで商売が盛んになります。いろんなことでその都市の地域エリアの経済が大きく動いていく。だから第二の市民というふうに言われているんです。

 特に人口がどんどん減っていくこれからの時代では、第一の市民だけではなかなか市域内の経済の活性化が図れないので、第二の市民である来訪者(観光者)にどんどん来てもらわなくちゃ、という発想はとても重要です。このような考え方で、都市は外に向かって開放され、交流が進むのです。

 先ほども言いましたように、京都や大阪や東京は、宿泊を受け入れる機能がすでに充実しているから、都市観光には有利な地位にいます。長崎の場合もそういう意味では、1万5000人の宿泊客のキャパシティがあります。これは人口四十数万人、今は市町村合併で45万人になったんですが、それからいくと相当大きいものです。京阪神では総計4〜5万人とか、今不景気だからちょっと落ちてきてるんじゃないかなという気がしますけれど、それくらいです。これを埋めるための都市観光の魅力をもつというのが当面の課題です。

まちへの愛着を育てる
 都市観光が進むと、自分とかかわっているまちへの関心が高まります。自分のまちを他のまちと比較してしまうという現象が現れるからです。うちのまちはあそこに勝ってるだろうかとね。勝ってる、負けてるというのは日本人は大好きですから、優れている、優れていないということが意識にのぼってくる。私はこれは重要な事だと思います。

 いまや二眼レフに東京と大阪を喩えるなんてことは、とっくになくなってしまいましたが、かつては東京に負けたくないという大阪があった。江戸に負けたくない浪速というものがあった。そういう競合意識のある都市というのは活力が維持されて輝いているというのは、これは間違いありません。

 特に自分が「ここで生まれて」というプライドを満足させるほどに、よい都市であってほしいと思うでしょう。そしてここが重要なのですが、「ここで死んでいきたい」という思いを抱かせるかどうか。今までの都市の発想の中で、住んで良かったというのはまあ都市の目標としてあるのですが、「ここで死んでいきたい」と思わせる発想がなかなかなかったんです。これから終の棲家としての「自分のまち」が満たされるかどうかが問われています。

 これは非常に重要なことです。東京に行ってもいいよ、でも帰っておいでね。ここがあなたの死に場所ですよと思わせるようなことを、地方都市が言えるかどうか。これは病院があるとか、福祉が充実しているかとかいうこともあるんだけれども、それ以上に、ここに戻ってきたいと思わせるような何かですね。それは箇条書きは書けません。それが愛着というものです。あるいはそこにしがみつきたいほどの思い入れというものです。そこへくるとたまらない安心感があるんですよね。母の胎内にいたときのような。そういうものですよ。

 そこで、そういう都市をいままでつくってきたかというと、高速道路ができたり、高い建物が建ったり、大工場が誘致されたりしましたけれど、そういうことでは、そういう感情は出てこないということもはっきりしてきました。だから都市観光という形で自分のまちを見つめていくと、それは都市を自分の人生観の軸で評価するという意識が出てくるということなんです。


気をつけなければならない点

都市観光の適正な規模の把握
 日本の都市観光は、ここまで来ました。そこで、この後の課題はですね、実はまだ沢山あるんですけれども、今申し上げたことだけでもなかなか皆で意見がまとまるというか、認識、合意が整わないんです。つまり都市観光をやるという合意をとりつけていくことだけでも大変なんです。何で都市観光を我々がやろうとするのかということに対して、なかなか合意ができないというのが現実です。そういうこともひっくるめて、現状での最大の課題はですね、都市観光の適切な規模、量をどのように合意するかです。

 例えば「観光入れ込み客数」という言葉がございまして、これの集計方法は日本観光協会がある程度の基準を出しておりますが、実態は各市町でバラバラの集計方法を採用しているために、数字に統一性と安定性がありません。この観光入れ込み客数という統計は市・町のレベルでまず集計され、府・県のレベルではそれを合算します。東京都では3億5000万人くらいとか出てますよ。

 東京都はこんな不安定な数字は算出しないとか言ってたんだけど、大阪府や千葉県は1億4000万人などという数字を発表するもんだから、負けてなるものかと集計し始めました。兵庫県もすごいでしょ。1億2000万人を超えていたと思うけど、神戸市だけで1700万人とか言ってます。それぞれの数え方を詳細に紹介すると「なんだそれは」ということになりそうな身勝手な数字が多いのですが、あんまりこのことを言うと、後でひどいお叱りを受けるので、よしますけれども。

 話題を戻しますが、都市観光では、その都市に適正な規模の観光客、来訪者を受け入れることが重要な問題として出てくるわけです。ここには既存の観光資源をどのように活かすか、特に宿泊施設を稼動させるかという問題もあるし、そこから新しく見いだしていく観光関連ビジネス、あるいは商品開発というものも関係してきます。何度も言いますけれども、フランスやイタリアへ行ったら、いろんなブランドのアパレルやバッグが並んでいますけれども、あれも実際の所、最初は地元の観光グッズとしてスタートしたわけです。それが立派な地元産業として育っている。日本でも観光グッズが他の生産品と比較して何にも卑下することはない。大きく飛躍して国際的な観光グッズに成長することも期待したいものです。

都市観光に求める質
 それからもう一つは観光の質の問題があります。これはマーケティングにおける量と質の問題なんですが、まあ安っぽい質でも、何でもいいからワイワイ大勢の観光客が来てくれたらいいやと言うんじゃなくて、高度な質である程度の人に来てもらった方がよいという考え方もあります。これはどの道を選ぶかという選択の問題でもあります。高度な質をその都市の来訪者産業として育てていこうと思うと、それに応え得るような高度な受け入れ体制を持たなければなりません。このように意思を固めて「まち」を育成していくのも今後のすぐれた都市戦略だと思います。

 そりゃあ、誰でも来てくれたらそれでいいや、ジュース一本でもいいから買っていってくれたらそれでいいんですよ、ということであれば、そんな高度なレベルの質はいらないからマス観光の路線を徹底して突っ走るんですね。

 今各所で進められている都市観光の戦略のなかで、その適正な規模とそれに応じた質の選択という問題に明確に答えを出した都市は、まだどこもありません。このひとつを取り上げても、日本の都市観光はすべてこれからだと言っていいと思います。本当は早急にやって欲しいですけれども。

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