はじめまして北川です。高槻からやってきました。生まれは長崎県ですが物心ついたときから高槻で住んでいますので今は高槻人です。現在の仕事は高槻で喫茶店をしています。
もともと高槻は戦前戦後の疎開地から現在の36万人にも人口増加していった町なので、地元の人といっても元はといえばほとんどの方は他の地域からやってきた人ばかりなので、歴史もそれなりにはあるのでしょうが、実際はあまり自分の町意識は無かったように思います。
喫茶店をやっていて私が思ったことは、うちの町は(ベットタウンとしての特徴として)年末年始やゴールデンウイークなどの行楽期間は町から人が出ていってしまい、街中には人がいなくなってしまう、行楽時の街中はいわゆるゴーストタウンのようになっていたということです。
それにひきかえ他市では何とか人に来てもらおうとするいろいろなイベントをやってられたり、様々な施設に人が集うのを見てとても羨ましく思っていました。正直自分自身でも傍観者になって「誰かイベントする奴おらんのか?行政は何やってんねん?商業団体は何やってんねん?意識無いんか?」などと思っていました。しかしよくよく考えると、自分自身が傍観者になっているようでは何ごともはじまらない!自分たち自身で何かをやろう!と考えるようになりました。
しかし今まで何もしていなかった高槻で、どのようなことをしたら人が集まってもらえるのだろう?ジャズフェス(音楽イベント)で盛り上げようという大まかな夢はあったのですがいったいどのようにしたらいいのだろう?とみんなで考えました。例えば神戸ジャズストリートくらいになると、神戸のブランドイメージもイベントの成功に一躍かっていますが、高槻となるとそのようなブランド力などありません。同じようなことをやっても決してうまくいかない(=人が集まらない)ことはわかっていたので、私たちはイベントの内容を一から考え、高槻でも人が来てくれる究極のイベントとは何かを検討し、そこで現在のスタイル(全会場をすべて入場無料にする)を考えました。またゲストにもプロ中のプロを呼び、それもすべて無料で楽しんでもらおうという(今思えばまったくバカな)考えに至った訳です。
第一回に来ていただいた日野皓正さんに関しても有名人を呼ぶぞと意気込んだものの、誰もジャズの事をよく知らないのでジャズ演奏者の名前で唯一日野さんの名前があがったといっても過言ではありません。(笑)
ましては日野さんの連絡先すら知らない状況だったのですが、スケジュールを調べ、いろんな会場に出向き、直接お会いして、何とかこの無謀なイベントに出演していただけないかと熱くお願いをしてみたところ、気持ちよく快諾していただきこのイベントが現実になりました。 高槻ジャズストリート:まちを楽しみ、まちづくり
高槻ジャズストリート実行委員会、高槻まちづくり株式会社代表取締役 北川潤一郎
町としてのイメージの無い高槻
高槻は観光地ではなくベットタウンなのであまり町としてのイメージがありません。テレビで話題にされるのは辻元清美さんが何かやらかしたとか、駅前で放射能を撒いた人がいるとか、重信房子が捕まったとか、あまり良い話題がありません。
ジャズストリート実行委員会の立ち上げ
人が来ることを自分たちでできないか
私が喫茶店をしている城北通商店街は50年以上の歴史もあり、阪急電車の駅にも面している好立地にありながら、バブル崩壊以降の商店の減少、経営者の高齢化などにより、10年ほど前はいわゆるシャッター通りと言われるような最悪の状態にありました。当然、商店街の組合員数も少なく、予算が無いことからゴールデンウイークの(人が来なかった)ときには商店街の電気まで消してしまっていて、見た目にも破綻した商店街のようでした。大好きな音楽で街を盛り上げよう
高槻ジャズストリートというイベントはジャズ愛好家が集まって出来たイベントではなく、街が好きな、人と音楽が好きなメンバーが集まり結成されました。それゆえメンバーも主婦や学生、お年寄りなどなどジャズとはまったく無縁の人たちも多いのが高槻ジャズストリート実行委員会の特徴です。高槻ジャズストリートは今年10周年を迎えますが、当初は「1回でもいいからまずはじめよう!」という意気込みではじまりました。
ジャズ好きの人ばかりでもないので、色々な人に楽しんでもらうような仕組みも大事だと思います。 企画はおのおのが行っているので色々な内容があります。気球を上げようと試みたものの一回も上がらずに失敗した企画もあります。また子供向けに移動動物園をやってみたら、糞だらけでものすごい異臭を放ってしまったということもありました。
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日本の国内はもとより、現在は海外(外国)の方との交流までもできてきたことを誇りに思います。
また高槻ジャズストリートは他所より高槻に来てもらうことを目的にしていたので北海道から九州まで高槻ジャズストリートを宣伝しに回ったりしたものです。
よくイベントは一過性のものであるといわれますが、私はそうは思いません。なぜならイベントによって出来たコミュニティー、人と人との繋がりはそのイベント以外にも影響を与えるし、またそれによって得た良きことは必ずまちづくりのための起爆剤になっていくと私は信じています。現に高槻では高槻ジャズストリート実行委員会だけでなく、他団体も積極的な活動をしていくようになりました。
実行委員会の中でも、365日の中のたった2日のイベントだけではなく、普段からまちづくりを考えるようになった人が大勢おられます。その中でも高槻ジャズストリート実行委員会で知りあった仲間たちがみんなで出資して民間のまちづくり会社を作って、普段からいろんなことにチャレンジするようになりました。
音楽イベントを通じた交流
イベントを通じて様々な地方との方々との交流がうまれてきました。
韓国の人たちとの交流も行っています。韓国の国民的サックス奏者の方に来日ご出演していただき、お返しに私たちが韓国に日本人ミュージシャンを連れていって無料コンサートを行いました。
高槻がみんなに来てもらえるような魅力のある町に
このようにまったく自分たち自身が自分たちの街を盛り上げようと企画したイベントなのですが本音のところ、「やってみたら出来ちゃった」くらいのものでしかありません。
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