都市環境デザインの仕事の展開
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全体に関わる議論

 

田端

 パートごとにまとめ方が違いすぎることが気になる。全体の組み立てがうまくいっていないのでは?
 また関西ブロックはフォーラムとかセミナーとか、ブロックとしての活動を続けてきた。その意味はきわめて大きいと思うが、各パートでこの点に言及する必要がある。関西ブロックとして、どういうことをしてきたかも検討・整理し直す必要があるのでは。

 わたしは土木景観のセクションを担当したが、この20年は土木事業の大規模化や高架化、そしてリノベーション業務などのように周辺地域との関係性を総合的・多面的に見直す必要性が高まり、その一方法として景観的視野からの検討策が導入されたということだと思う。多分野の専門家の参加・コラボレーションはその作業の推進策でもある。

 これからの都市の縮退・人口減少のもとで、また施設ストックの老朽化に対応するには、景観形成をはじめとする都市環境デザイン的視野からの厳密な方法論が求められよう。他のパートでも、同様の視座の転換が必須であると思えるので、そういった長期的見通しにまで言及するなかで、われわれの仕事の将来像を考察してもらえるとありがたい。

金澤

 いまの育てるまちづくりというのは五つのテーマの一つ。ほかは仕事の領域の分類。

 五つ目は「これからの仕事」の展開という位置づけで、他の四つとも関わる。

 ランドスケープとか、景観とかはもちろん、もの作り型とか非もの作り型も含め、横断的なところで議論しなければいけない。

 その辺の区別が必要。

堀口

 まず、まちづくりに特化した話をきちんとしておかないと、今は、ジャンプしすぎということだと思う。それは分かっている。

角野

 この20年の間に、この五つのテーマに関わる都市全体の問題、縮退とか再生と言った課題、マネージメントという視点が重要になってきているということについて、序論か、あるいは1章を設けて書くべきではないか。

 それを踏まえて、次の20年を踏まえて、開発や街をどう見ていくかという「まとめ」の章もいると思います。

 もうひとつ、緑地系だけの話だけではないでしょうが、生物多様性や多自然といったことが今日の発表のなかではなかった。これはどうしたらいいのか?
宮前

 それは公共空間のところに入れようと思っていたんですが、投稿いただいた事例になかった。どこを書いていて、どこを書いていないかも、書く必要があるのではないか。

山崎

 歴史系のまちづくりをやっているけど、JUDIの人は歴史文化をやっていない感じがする。歴まちの仕事でも、東京から人を呼ぶことになってしまっている。

 歴史を都市計画の中心に位置づけてやっていくのが都市デザインだという視点を持ってやってもらいたい。

高原

JUDIの諸先輩方が培ってきた実績や歴史を知ることに加えてこれから20年、30年について、もっとみんなの思いを入れたい。

そうすることで、多くの若手にも読んでもらえる本にして欲しい。

たとえば、いまは、業界のグローバル化や地球環境問題が大きく影響している。

そういう視点からのメッセージを追加してもらえれば。

玄道(ツーリズム研究者・元歴史街道推進協議会)

 日本の国土は傷んでいる。70年代初めから全国津々浦々歩いてきたが、その頃地方でよく見かけた耕作放棄地に心が引っかかった。都市部も伝統的な町並みが急速に失われていった。それでも良い街が残されているが、そこには分野を超えた協働の取組みがある。それは2003年鎌倉でのまちづくりの会合に出席したとき「なるほど」と感じたものだ。

 JUDIが活動してきたこの20年は日本経済の「失われた20年」の軌跡と重なる。戦後経済を振り返ると、50年代初め〜70年代初めの世界が注目するほどの驚異的な高度経済成長期と、60年代〜80年代の集中豪雨的輸出による貿易・経済摩擦の頻発期があった。その後、90年のバブル経済の崩壊を経て、2003年に至りようやくわが国の国土政策は産業・経済至上主義から「美しい国土づくり」へと大きく転換した。

 それまでは都市化に次ぐ都市化の連続だった。大きな事業がよしとされ、全国の都市が特徴のない同じような顔を見せるようになった。モータリゼーションの進展と歩調を合せるように、都市部が近郊農村を取り込む形で急速に膨張した結果、中心市街地が疲弊、空洞化すると共に、農山村地域の一部では存続さえ危ぶまれる状況が現出した。もっと早くブレーキを踏み、方向転換すべきだった。人間の欲望というものは怖いもので、行き着くところまで行かないと止らない。いま、こうした問題がどっと噴出しているのではないか。

 現代日本は経済的にも社会的にも疲弊し切っている。地方自治を担う知事の集りである全国知事会で、野呂昭彦三重県知事等を中心に地域社会に「社会の絆・人の絆」を取り戻そうと研究が進んでいるのは一つの救いだ。

 また現行都市計画法がスプロールを助長してきた面があるのはご存知の通り。2003年の国土政策の転換後、「景観緑三法」(2004一部、2005全面施行)、「まちづくり三法」(2006改正)と法整備が進み、心ある自治体や住民の取組みに法的根拠を与える等、評価すべき点も多い。しかし、国や社会の繁栄のための与件が根本的に変ったにも拘らず、基本法に触らず、対症療法的な小手先の対応を繰り返してきたのではないか。2008年には「歴史まちづくり法」も施行されたが、身近な歴史的景観は地元住民にとって空気のようなもので、法によって規定されるまでもなく、地域社会の宝であり、永年人々の生活様式に支えられ、道徳、慣習等によって守られてきたものだ。何でもかでも法律で守らねばならないところに現代社会の根深い問題が潜む。

 国も地域社会も自らの自画像を描けなくなっている。つまりはあまりに急激かつ大規模な変化に見舞われて、茫然自失の状態が続いている。地域再生に向けた自治体首長の努力は始まったばかりである。都市や田舎に生活する人たちがどのような街や村をつくり、そこでどんな人生を送り、かつ終えたいのか。元々みんなが「おらが村」「おらが街」に抱いてきたこうしたイメージや気持ちをどう汲み上げていくのか。

 20年という歳月を経てなお立ち直れない深傷を負った日本社会。これからの都市環境デザインは、いままで邪魔くさいと思っていたコーディネートの役回りも重要な仕事になるのではないか。コーディネーションの仕事は関係者の利害を調整する中で新しい価値を生み出すものであり、拙速は禁物だ。ひたすら効率を追求し、結論を急いだ高度経済成長期の仕事振りとは次元の異なる、おおらかな作法が求められよう。日本の伝統的家屋や工芸に見られる手間隙かけた美しい造作や造形、そこに垣間見る遊び心とか細やかな心遣いは本来私たち日本人のお家芸であり、デザイナーの真骨頂のはずである。

 専門家のみなさんに託されたのは、地元の人たちの夢や理想をカタチにし、こういう方向で地域、中心市街地、農山村を再生していきたいという大きなデザインを描き示すことではないか。とくに若いデザイナーの方には、このような時代であるからこそ都市環境デザインの仕事に自分の人生を賭ける、換言すれば自分の人生そのものをデザインしていく位の情熱とプライドをもってほしい。

鳴海

 若い人が読んで元気が出る本にしたい。

 一緒に勉強しながら、年内には原稿をまとめたいので、宜しく。

 以上
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