それより以前のころは昼間人口・夜間人口双方の密度分布がピークを描くところが都心地域であった。
その昼間の時間帯、 例えば放課後の都心は、 わいわいと遊びまわる子供たちが路上にあふれ、 仕事にたち働く大人たちと交錯するといった場所であったわけである。
今もなおこの一帯が都市活動の中心地であるといっても間違いではないが、 その中心性を支えているのは青壮年層に偏った昼間人口である。
そこでは、 情報管理・操作が仕事の主流であり、 実際のモノやカネの移動・やりとりは補助的役割にとどまっている。
業務地の環境は、 かつての過熱・喧騒状態から、 いまはごく静かな空間へと変貌してきている。
取り澄ましたビル街の「たたずまい」はまさにその象徴であるといえよう。
いまや、 都心で激しく人が動くのは通勤時間帯と昼食時くらいなのではないか。
そういう経過をみながら、 「このままではいびつな都市になってしまう」「これはちょっとまずいのではないか」という思いが、 都市の現状や未来に関心をもつ人々の間に広がりつつある。
都心部における地域社会の衰退や環境ストックの低利用性を押し止め、 都市活力の劣化状態を抜け出し、 再び活力を回復・創造することなどを目標として、 若年世帯等に対する家賃補助策や公的援助型の賃貸住宅建設に取り組み、 あるいはビル建物への住宅付置誘導策などが試みられている。
けれども都心地域ではビル化の勢いのほうがまだまだ優勢であり、 結局のところ夜間人口はなお減少を続けているというのが現状である。
まっとうな都心地域へのつくり直しの作業には、 都市政策的な論点だけでなく、 住む環境としての多様性や魅力をより具体的に人びとに知ってもらう、 郊外住宅地では得られない新鮮な住み方が都心にはあることを感じ取ってもらう、 といった側面が重要である。
都市環境デザインという立場からはこのような提言・提案が可能なのではないか。
これが今回のフォーラムの大きな目的である。
考えをめぐらせると、 郊外への住宅スプロールと都心の業務地域化という流れしかないというこの一方的な都市構成を演出したのは、 近代都市計画の方法、 つまり機能純化・ゾーニングなどの手法への過度な依存とそれに連なる建築における機能主義への傾斜などではないか、 とも思われてくる。
その機能主義的建築作法が敷地のもつ歴史・場所的個性を忘れ、 またヒューマンスケールを置き去りにするなかで、 モダニズム批判がまき起こったわけだが、 都市づくりの場面においてはこの議論はまだまだ中途半端なままにあるといわねばならない。
ここに提示しようとする、 都心居住のありようを環境デザインとして表現する作業は、 その意味ではゾーニングの方法を批判し、 都心をヒューマンスケールの視座からとらえ直す仕事であり、 ポスト近代都市計画を目指すひとつのスタートなのである。
匿名性や部分的接触、 断片的・一時的接触といった人間関係が顕著化するという見方もある。
都市においてこそ、 異なる文化の接触・混合・融合がはじまるという文化論的視点もこれらの延長上に描かれる。
これらの少々込み入った考え方をわれわれなりの切り口に変換すると、 都市環境のデザインは、 多層・多様な要素群の混成体である環境を集中・高密性という枠組みのなかで秩序づけ、 総合化する作業である、 ということになろうか。
そして、 ここで考えようとする都心地域は、 これらの特性が最も鋭い形で現れる場所なのである。
このような文脈にそって都心居住のための環境デザインを考察する手がかりとして、 次のふたつのとらえ方を考えた。
ひとつは、 大量の人口が限定された空間・場所に居住することに対して、 〈住み合う〉場所としての都心地域という視座、 そしてふたつは、 多様な機能が限定された空間・場所に集中することに対して、 〈往き交い〉〈混じり合う〉場所としての都心地域、 という視座を立ててみようというわけである。
多くの住み手の創意が集まり、 経験や知恵、 時に力を出し合って形成されてくる環境的特性をアメニティと呼ぶことにすれば、 いっぽうで多種多様な属性からなる人びとが〈往き交い〉〈混じり合う〉ことは新しい発想や強いエネルギーの源泉となり、 時には異質要素間の衝突や融解が「あやしさ」をも生成するなかで、 とりまく環境にいわゆるアーバニティが醸成されるに至る、 ということにならないか。
これらを合成する格好で、 第5回都市環境デザインフォーラム関西のメインテーマとしての「都心居住の環境デザイン」を補うサブテーマに「住み合うたのしみ・往き合うあやしさ」を設定したわけである。