手のひらに載る都 by 佐々木幹郎
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ローマンタン近郊の風景

13世紀末に作られた洞窟での生活

画像sa56  ローマンタンからさらに北の方へ行きますと、 これは13世紀末くらいにできた、 山の上の砦の跡です(図56)。

その崖下の所に洞窟が百数十あります。

これも13世紀末に作られた洞窟なんですが、 ここでの穴居生活は現在も行われております。

洞窟の大半は今は倉庫になっておりますが、 七家族が現在も住んでおりました。

 チョセールという村です。

最初この村を山の上から見たときにおもしろいなと思ったのは、 山の上から大きな岩が転げ落ちているんですね。

村の広場に落ちた巨岩が転がっておりまして、 まるで枯山水のような庭園になっています。

チョセールはたいへん貧しい村です。

画像sa57 画像sa58  この村に少し近づいてみます(図57)。

 さらに近づくと、 広場にチョルテンがあります(図58)。

 転げ落ちてきた岩のまわりを村の人たちが歩いています。

 ここに住んでいる大半の人たちは1960年代にチベットから亡命してきた人たちです。

家がありませんのでこの穴の中で生活しているわけです。

画像sa59 画像sa60  その壁面です(図59)。

 穴を日干しレンガで埋めて部屋をつくっています。

見事なデザインだと思いました。

 洞窟の入口に近づいてみます(図60)。

画像sa61 画像sa62 画像sa63 

 洞窟の中へ入ってみましょう。

子供が出てきました(図61)。

写真中央に座っている若い奥さんは31歳。

この洞窟で生まれました。

抱いている赤ちゃんは生まれて15日目だそうです。

前にいる女の子は3歳(図62)。

 洞窟の天井は長い間のすす、 油にまみれております(図63)。

干し肉が吊るされています。

足がありますがあれはヤクの足ですね。

こういうふうに燻製にしていつでも食べられるようにしておきます。

これを「スクティ」とチベット語では言います。

曼陀羅が描かれた寺院と洞窟

画像sa64 画像sa65 画像sa66 

 チョセール村からさらに北の山の方へ上がってきました(図64)。

ちょっとでも赤い岩肌があるとそこには宗教施設があるんです。

山に近づくと、 崩れかけた洞窟がありまして(図65)、 この洞窟を上がっていきますと、 突然13世紀の寺院の部屋の跡にぶつかりました(図66)。

画像sa67  天井に曼陀羅が描かれております。

ここが昔いかに壮麗な寺院であったかということがわかります。

人間と上の曼陀羅絵とを見比べると大きさが分かりますね(図67)。

そして現在も、 洞窟が寺院として生きてるところがあります。

画像sa68  図68の寺院は、 外側の壁面だけは新しく作られていますが、 中の本堂の部分は13世紀の洞窟をそのまま使っています。

 写真手前の庭に黒いかたまりがいくつも転がっていますが、 あれはヤクという高山牛の糞です。

ヤクの糞を日干しにしておくと、 マッチの火だけで燃える、 高カロリーの火力をもっております。

村の集会風景

画像sa69  村の人たちはどういうところで集会をするのか。

集会場というのはありませんので、 村人の会議は昼日中のこういう広場でやります(図69)。

村長さんがいろいろみんなと相談してるんですが、 ほとんど誰も聞いておりません。

 手前の方に布製のチベット靴を作っている二人組がいます。

上の方ではおじいさんが大きな鋏で鼻毛を切るのに夢中になっています。

会議は実にのんびりと進められています。

ところが、 肝心な問題になると必死になって女の人も男の人も喧嘩しあうんですね。

画像sa70  夕方の村の路地を歩いてますと一斉にこういう形で放牧帰りのヤギたちが路地いっぱいに広がって進んで来ます。

気をつけないとこの山羊の群の中に迷いこんだらたいへんなことになります(図70)。

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都市環境デザイン会議関西ブロック


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