ひとつはこれまでたくさんの人が住んでそこで生活をしてきたという事実があります。
大阪市は戦前は320万人が居住人口のピークでした。
現在はこの人口からおよそ60万人減っています。
60万人減ってもまだ200万人以上の市民がこの大阪に住んでいるわけですから、 多くの人が住み続けていきたいという意味での都心居住が絶対にあります。
300万が200万になったかもしれないけれど、 200万の人がまだ住み続けていきたいと思うのは当然であって、 これは凄いプレッシャーとしてあると思います。
そこに住んでいる人は自分の生活の資産をそこに持っています。
お店とか土地を持っています。
売って簡単に引越しをしようという人も中にはいるかもしれませんが、 そこから離れると自分の生業が成立しないという人がたくさんいるわけです。
そういう人たちは住んでいかないといけない。
そういう環境とか生活の連続性を維持していくことは流行の言葉で言えばコンテクスチュアリズムです。
環境の文脈を維持していくという建築デザインの概念として生まれましたけれども、 そこで住み続けることのできる環境をいかに形成するかという人びとのニーズから生まれてきました。
よく言われるように江戸時代の町がもっとも省エネの生活を展開していたわけです。
江戸時代の町とは下町です。
その下町にサステイナブルな暮らしを支える仕組みがあるのではないか、 そういう意味で都心居住の新しい価値がそこから生まれる可能性があるという指摘があります。
これもよく言われますが、 都市では別に定住する必要がない。
例えば大学生が毎年何万人とやって来て卒業して帰っていく。
それが大阪ではどれくらいになるかわかりませんが、 都市は毎年人口を呼吸しているんです。
10万人新しい人が来たら10万人出て行く、 そういうふうに人口を呼吸しているんです。
その一番甚だしい役割をしているのが大学です。
学生が大学にずっと溜まったら大学がパンクしてしまいます。
入学したら卒業してもらわないといけない。
その彼らが住まう所が、 また同じように新しい人を引き受けて吐き出すということをやっているわけです。
そういう意味で、 そういう人たちが住まう場所は言ってみればホテルのようなものではないかというものです。
これからは若い人だけではなく幅広い年齢層で、 単身とか二人世帯で住むことがどんどん広がっていくわけです。
大都市ですともう半分は一人か二人世帯という時代が間もなくやって来ます。
そうするとホテルのような住宅が必要になってきます。
そういう意味で、 単身とか小さい世帯のように定住しない人たちのための、 ホテルのような住宅をどういうふうにどこで提供するかということが非常に大きな課題としてあります。
昔の木賃アパートとかワンルームマンションとか、 だいたい嫌われる住宅のタイプにこういう人たちが入っているわけです。
嫌われるように作っていること自体がおかしいわけで、 それをもっと堂々と作れるようにしないと本当の都心居住とは言えないんじゃないでしょうか。
誰が住まうかという観点から見ると、 そういうことが言えるのではないかと思います。