動詞都市としての環境デザイン by 佐々木葉二
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自分と都市との捉え直し

都市に住むための努力

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   私たちが都市に住むときにどういう努力をしてきたかということを江戸期に戻って見てみますと、 私たちの先輩たちは、 自分の住まい方を見つける努力を様々な方法でやってきたことが分かります。

図18は夕陽丘の原点となった家隆塚です。

塚は今でもありますが、 平安時代の歌人藤原家隆は、 夕陽を見るためにここに庵をつくってそこで没しました。

西の方角には大阪湾の海が見えます。

そういう雄大な上町台地の上に現在多くの寺院が建っています。

またそれを求めて人々が住み着いてきました。

図19は現代の今宮戎のえべっさんです。

えべっさんは耳が悪いということなんで、 えべっさんの後ろにある大きな鐘をたたいて自分の祈りを捧げます(図20)。

一人一人がこういう精神的な交流の場を都市の隅々に求めていくという、 様々な宗教行事が介在して自分と都市との捉え直しの一つの努力が現代でもなされていると考えられます。

 

民有公共−複合した利用形態に合った所有概念

画像yo21    米国ではこういう都市構造を、 建築とか土木で捉えるのではなく、 オープンスペースの拡がりだけで見ていこうという考え方が出てきました(図21)。

1947年にエドモンド・ベーコンが、 オープンスペースのネットワークだけで都市構造をとらえる手法を提案しました。

これは、 道と緑のつながり、 水のつながりをひとつのネットワークにし、 そのルート上は図書館があり、 美術館があり、 市役所があるという人間のスケールからみた都市の捉え直しをやっていこうという試みです。

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   もう一つの試みは例えばポケットパークです(図22)。

ご存じだと思いますがニューヨークのペイリー・パーク、 これはいってみれば都市という「地」の中に一つの「図」をつくっていこうという努力だと思います。

 

   これは民間の土地を公共に提供していくという考え方によって成り立っています。

 

   すなわちここでは所有概念において公共と民間とが複合されはじめていると考えることができます。

これを私たちは「民有公共」ないしは「公共民有」と呼んでいます。

 

   20世紀後半になりますと、 所有権とか機能とかいったものだけではなく、 こういう複合した利用形態が都市の住まい方の最適なやり方ではないか、 ということに利用者も気づきだしたようです。

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   ここでは市民が自由に入ってこのようにカフェテリアとして公園を利用しています(図23)。

2年前に起こった阪神大震災でも住民運動の中で生まれたポケットパークがあります。

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   図24はJUDIでも何度かお呼びした芦屋の藤原さんたちがつくっている公園です。

震災でこわれた貴金属の商店主から場所の提供があって、 この中で震災復興の拠点として自分たちで公園をつくっていこう、 自分が関われる場所をつくっていこうという努力がされました。

結果として出来たのがこの井戸のある公園で、 震災の時に活躍した井戸を今後も市民が利用する場所としていきたいという願いでできたわけです(図25)。

 

   ここにも、 民有地が公共とどう関わるかという努力の一端が出ているのではないか、 と考えられます。

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