フォーラム資料の中の12ページと13ページに「動詞都市としての環境デザイン」という文章を書きましたので、 参考にしていただければと思います。
さて、 一般に私たちは、 都市空間を道路や広場、 図書館や美術館などと名詞で表現しています。 この都市を名詞的に捉えるということは、 都市を静止構造で捉えることではないかと思います。 利用実態から切り離された所有とか機能だけでみているというように思わざるを得ません。 ところが、 動詞的に捉えるということは人が変化し続ける、 生活が変化し続けることを身体感覚で捉えながら設計に応用することができるのではないかと考えるのです。
都市を「動詞的に」捉える
「動詞的に」捉える必要性
このような多様な試みがあるということをふまえたうえで、 都市づくりの具体的な手法をいくつか提案したいと思います。あるく
例えば道路上を「あるく」という動詞で表現された空間として見直してみましょう。
すると、 歩くという行為の時に様々なことが生まれてくるのではないでしょうか。
ここから歩行の復権といいますか、 ゆっくり歩くということが復権してくるのではないかと思います。
図26はよく見ると土の道です。
住宅街区で子供たちが歩く道をやわらかい緑の道にできないか、 という考え方から生まれた道です。
これはバルセロナですけれども(図27)、 歩くことを楽しむために、 様々な石のテクスチャーでこのようにプロムナード的な空間をつくっているところもあります。
夜歩ける道にしよう、 朝歩ける道にしよう、 それから雨の日の道と晴れの日に歩くことが楽しい道ができれば、 人は道も選択できます。
このように都市空間で「選択ができる」ということも歩く空間を考える際の大きなデザインのテーマになってくるのではないかと思います。
実は座るという行為を表現する空間につきましても、 私たちは見過ごしている部分があります。
座るときに、 パブリックな場所で座っていながら実はそこには二人だけの世界とかプライベートなスペースを得ようという、 個人が個室としてオープンスペースを使いたいという欲求が常にあります。
それに対応できる空間を私たちは本当につくり得たか。
渚の中で図29のように一人になれる、 ないしは何人かで座れる。
ちょっとしたデザインで実はパブリックなスペースからプライベートとパブリックとの共存形態が生まれてくる。
こういう空間が都市に多様にあることによって、 私たちが新しい都市の息吹を感じることができるのではないかと思います。
そのためにはベンチのデザインも大事な要素でしょう(図30)。
私たちがにぎやかに人が集まるところばかりをつくるのではなく、 独りぼっちになる、 過去との対話をする、 歴史と向き合う空間も必要です。
図31はアメリカのベトナム・メモリアルです。
都心部で過去の個人との対面ができ、 歴史の継続を都市の中で常に意識できる。
こういう空間が都心居住にとっても大事だと思います。
これはエジンバラですが、 こういう大きな公園がすべて芝生で緑だけの空間となっています。
ここから光と緑の変容が生まれてきます(図32)。
パリの公園では落ち葉も重要な景観要素となっています(図33)。
これを見たらなぜ日本でこんなことができないのかと思うのですね。
こういう落ち葉を踏みしめる広場が、 都市の中にあるならば、 人々の記憶に残るすばらしい空間になるのではないかと思います。
光と影も、 朝と昼、 朝と晩をドラマチックに演出する装置です(図34)。
大阪第一ビルの足もとにケヤキ樹林があります。
大阪にある高層棟の足もとでここが一番好評なんですね(図35)。
ケヤキの樹林帯は6mピッチです。
人工地盤の上にありながら本当に珍しい高密度植栽空間が生まれているので成功したのでしょう。