パネルディスカッション
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日常者という視点と
身近なところからはじめる都心居住

高口恭行

 みなさん、 一心寺シアターへお参りありがとうございます。

私はここのオーナーでありますので、 「皆さんようこそおいで下さいました」と言っておじぎをして引き下がるんだとばっかり思っていたのです。

そうしたら僕の昔なじみの田端修先生に、 いわば騙されたんですね。

いつの間にかここで何か喋らなくてはならないということになりましたので、 ちょっとお話をさせていただきます。

 今ご議論のような話に直接結びつくかどうかわかりませんが、 聞いて欲しい話もありますので、 とりあえず何の脈絡も考えないで、 喋ってしまおうと思っております。

日常者の視点

 フォーラム資料の中で、 私はたった一言だけテーマに関するキーワードを書いてみました。

それは「都市の日常者」という言葉です。

 これは居住者という意味と非常に似ていますが、 そうではございません。

別に住んでいなくても良いのです。

この近所に浮浪者が沢山いますが、 私は日常者という意味で浮浪者とは同等でございます。

それから犬を連れて時々散歩するのですが、 犬も同等であります。

サラリーマンの人で毎日この辺で仕事されてる方がおられますが、 こういう方も日常者でございます。

そういう日常者という視点が、 今日のまちづくりに欠落しているのではないかと常々思っているのです。

 多少とも理屈っぽいことがあるとすれば、 それは「日常者という視点をもっと考えてくれ」「俺は考えるぞ」と、 まとめて言うとこれだけのことでございます。

目立つためのソフトづくり

 今、 私がこの場所・一心寺でやっていること、 それをちょっとスライドで見ていただきます。

これは私が一種のまちづくり活動のために、 あちこちで説明するためのものです。

これをごらんいただいて、 まちづくりと「日常者」と言うことについて話したいと思います。

画像01a  写真1aが一心寺の境内です。

ここに今、 山門(写真1b)をつくろうとしていますが、 「坊主も目立たなあかん」ということを一生懸命言っています。

 今、 話の中で、 お寺とか寺町とかいうことが出ておりますが、 寺は一般に思われているほど安閑としたものじゃないんです。

企業努力をしないと無視されていじめにあって死んでしまう、 そういう状況にあるわけです。

 したがってカウンターパンチを喰らわすためには、 目立つことをやって、 「ここにいるんだぞ」とはっきりアピールしないとダメだということです。

 都市居住論は、 誰が誰に言っているのかよく分からん。

僕はそれをやめて、 寺町に住む者として自分にできること、 やってもらいたいことを考えようとしています。

画像02  写真2は今日の会場の一心寺シアターです。

このシアターをつくりましたら、 思いがけない人々がいっぱい現れるようになりました。

寺には老若男女がお参りしますが、 いわゆる茶髪系はあんまり来ていなかったわけです。

かなり茶髪系が集まるようになりました。

画像03  写真3は毎月21日に、 一心寺シアターの外側でマーケットみたいなことをやってるところです。

画像04  写真4は枝雀さんの落語芝居です。

年に1回ずつここから発信しています。

情報発信という今流行の言葉です。

まちづくりというとなんかコソコソやっているというイメージなんですが、 目立たないかんというのは非常に重要なことだと私は思います。

画像05  寺の向こう側で喫茶店を経営しています(写真5)。

この上が私の事務所なんですが、 下にPARTIIと書いてあります。

これは一心寺シアターPARTIIということです。

だんだんシアターの需要が増えて、 「あんたとこの事務所の下も空いてるやろ。

これを貸せ」と言われて貸すことになりました。

こっちの方でやっている演劇が多いんです。

キャパシティが小さいので使いやすい、 ということでどんどん使われています。

画像06  そのうちにこういう人相見も出てくる(写真6)。

画像07  今年の春、 彼岸に2日間、 写真7のように人形芝居フェスティバルをやり始めました。

この街を面白くする、 活性化するということを、 この寺町1.5kmに拡大するための催しです。

ここにお寺が25軒あります。

画像08  その日はチラシを撒きまくりまして、 2万人が集まりました(写真8)。

本部を作りまして、 スタンプラリーのようなことをやりました。

「人が集まるんだぞ」ということを目立たせているわけです。

画像09  いろいろな店が出てまいります(写真9)。

道を渡って向こう側に渡る。

そしてこのPARTIIの所も人形劇をやっている。

全国から劇団が43でしたか集まりました。

画像10  文楽関係のイベントもやりました(写真10)。

画像11  下寺町のお寺です。

それぞれいろいろなことをやりました(写真11)。

画像12  写真12は別のお寺です。

子供たちが喜んでいます。

 いろいろな催しが可能です。

これも一言で言えば「目立つためのソフト」です。

目立つということが非常に重要な役割を持っていると私は思います。

画像13  写真13は一心寺の中にある客殿みたいな所でやったものです。

1.5kmの途中にあたるところでは休憩所のようなところをつくました。

画像14a  さて、 地図ふうの写真14が出てまいりましたが、 これは江戸時代の大阪の地図です。

下の方にキュっと延びてる所にある若干大きいものが四天王寺です。

そして大阪の町があって、 そこにウイングのように突き出したところ、 その一番左よりの所に寺町25ヶ寺が並んでいます。

 これをどう把握するかが問題なのですが、 寺町とは、 町の中から当時の都市計画の邪魔になる寺が外に放り出されたものなのです。

放り出されて麻雀パイみたいにずらっと並べられたと。

むろん檀家さんから切り放されて並ばされたものです。

 それに対して当時の住職たちは、 お寺巡りというようなシステムを作り出して何とか信者さんとの接触を保ったわけです。

それを現代でもう一度やろかというのがこの企てです。

 一心寺だけが目立つのではなく、 全部を目立たそうということです。

 いま、 下寺町から茶臼山、 天王寺までを含む「茶臼山・下寺町文化歴史プロムナード構想」を進めようとしています。

そのうち岩本さんの所にも持ってゆきます。

21世紀協会にも持っていきます。

あちこちへ持ってゆきます。

手弁当でそういう案を作って、 今からいわば布教に廻るわけです。

画像15  さて下寺町の北のはしに、 真言坂という坂道があります(写真15)。

画像16  写真16は、 下寺町の北の方から南の方を見た1.5kmのスタートラインの所です。

画像17  今工事中ですが、 一番端っこの所に應典院と言うお寺が公開方式の空間をつくり始めております(写真17)。

これは私が設計したのですが、 これが来年の4月に竣工いたしまして、 劇場的なかたちでオープンする予定です。

日常者という視点の必要性

画像18  写真18はシアトリカル應典院というちょっと生臭い感じの名前なんですが。

元々は大連寺というお寺の付属寺院です。

上町台地の緑が良く見え、 戦災から焼け残ったお寺がたくさん残っています。

画像19  生国魂神社です。

この辺は一帯が都市計画公園地区ということになっています。

風致地区にもなっていますが、 いざ公園になりますと浮浪者のたまり場となるわけです(写真19)。

今、 都心のことを問題とするとしたら、 こういうフェンスをどうするかが大きな問題だと思います。

画像20  写真20は源聖寺坂という坂です。

上の方は整備が行き届いておりません。

今回の『都心居住と環境デザイン』のポスターに一番上の所が出ておりますが、 私は大昔から整備して欲しいということを言っているのですがなかなかしていただけません。

画像21  写真21は最近整備していただいた例です。

口縄坂という織田作之助のゆかりの地です。

 下寺町のずっと南の方を見ますと、 急に街路樹が貧相になるのです。

これも何を考えてこういう街路樹にしたのか、 よくわかりません。

全然良くない。

画像22a  写真22a,bは人形劇フェスティバルをやった時の写真ですが、 やりますといろいろな風景が登場いたします。

いつもはガランとしてるわけなんですが、 なかなか面白くなるわけです。

画像23  写真23は清水坂という坂です。

ここはもう全然ダメです。

何とかして欲しい。

 別にあんまり変わったことをする必要はなくて、 ごく単純なことをきちっとやればそれでいいと私は思うんです。

しかし、 なかなかそれができない。

お寺も何をやったらいいか分からないという状況があります。

画像24  写真24はそのプロムナード。

横を見ますとむこうにでんでんタウンが見えます。

画像25  それからしばらく行きますと、 オートバイタウンみたいなものがあります(写真25)。

 京都の歴史の散歩道みたいなきれいごとの世界ではなく、 でんでんタウンがあり、 オートバイタウンがあり、 そして轟々と車が通っている、 そういう空間でいっこうに構わない。

画像26  むこうには通天閣が見えてます(写真26)。

このルートからちょっと横に行くと通天閣があるということです。

画像27  写真27は私がやった一心寺の一画に建っている坊さんの寮です。

建物をつくるときにこのようにプロムナード風になるように配慮する。

自分のところでできることはやっています。

 やってみてわかったことは、 それぞれがちょっとその気になってやれば、 街は随分きれいになるいうことです。

 ただそのことが地域のコンセンサスとなっているかどうかが問題です。

人形劇フェスティバルであるとか、 各寺がそれぞれに門を開いていくとか、 ソフトが必要だと思います。

画像28  写真28は左が美術館、 右が動物園なんですが、 このあたりがレジュメに書いている「日常者」的視点とかかわる場所なんです。

 この公園から私は弾き出されてしまった。

元は右の柵はありましたが左の柵はなかったのです。

この辺は浮浪者のカラオケ屋さんが密集している所なんですが、 カラオケ屋も私も犬も放り出されてしまった。

画像29  両側にアルミかステンレスの非常にむかつく柵があるわけです(写真29)。

これはどう見ても外来者的な発想だと思います。

まちづくりをやっている発想が、 どうも外来者的なんですね。

 通天閣の色も変わりました。

夜中に赤の光と緑の光にブワーっと変わります。

あれは外来者がちらっと見る分には面白いかも分かりません。

ですが、 近所に住んでいますと、 僕の寝ているベッドルームが緑色になったり赤になったりするわけです。

これはちょっと問題やでと思うのです。

 その横で、 霞町の再開発をやっておりますが、 これも何か難儀なもんができつつあると僕は思います。

 やはり視点として欠けているのは「日常者」です。

日常者が何を考えるかということがはっきりしていないので、 変な柵ができてしまいます。

我々はこの柵の間をずっと歩くわけです。

散歩をするためにです。

動物園行く人もここを歩いてる。

 この柵を見て思われますでしょ。

何にも考えていないと。

何かその他のカタログの中から、 これって決めてパッとつくったっという感じがする。

もっとよう考えてくれ。

このレベルのことをじっくり考えないと、 結局は日常者の生活空間は良くならない。

画像30a  写真30は有料化して柵でかこった天王寺公園です。

冬場なんか行ったらここには、 誰もいないんです。

そしてその横の柵の外側の所に我々は追い出されているわけです。

これやっぱり何かちょっとおかしいというように思わないわけにはいきません。

 今、 あちこち話して回ろうとしています。

一軒、 一軒のお寺に「あんたとこの塀直せ」「1mあたりなんぼかかる」ということを説いて回るしかないと思っているわけです。

 いろいろなことが都心居住について従来言われてきたわけですが、 結局の所、 誰が誰に言っているのか全然分からんということがあります。

例えば市役所の方に向いてそういうと「そうですな。

その通りですな」とおっしゃるんですが、 その後あんまり変わったように見えない。

そういうことの連続で現在に至っていると思うわけです。

 そうなるとやっぱり「視点を変える」そして「私がやる」ということを何とか仕組んでいかないと私のいる環境は良くならない。

私は「大阪の」ですとか「都市の」とか言うのはやめようと思っています。

私の近所のことだけを考えている。

これが最も重要なことではないかと思います。

これはあとの議論のためにあえて私の立場を極端に説明したということです。

小浦さん

 どうもありがとうございました。

 身近な所から始めるという視点も含め、 日常者という視点についてお示しいただけたかと思います。

続きまして、 加茂さんの方からお願いしたいと思います。

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都市環境デザイン会議関西ブロック


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