パネルディスカッション
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都住創を通して都心居住を見る

安原 秀

 安原です。

私にとりまして都心居住というとやっぱり都住創です。

都住創でコーポラティブで都心に家を建てようということをやり始めて、 ちょうど20年たってしまいました。

その20年間に大阪の中心部、 谷町界隈から少し周辺部の下町と呼ばれる区域まで広がってつくってきました。

 どの土地も比較的環境は整備されていました。

ちゃんと区画整理されている、 都市としての形態が整っている所でやったわけです。

大阪で17棟作りまして、 中に入った戸数は240戸ぐらいです。

その内の3分の1ぐらいが非住宅で、 多種多様な仕事をする人たちがそこに入っています。

 バブルの頃に、 土地の値段が手に負えなくなってやめてしましました。

今はバブルは沈静化してきたのですが、 銀行が全然ダメになっていて、 新しい事業はやっておりません。

だけど今もその当時一緒に動いた人たちと、 つながっています。

 当然その間には別の家に移った人、 あるいはその家を誰かに貸した人とか、 物の使われ方の変化があります。

人の側で言いますと、 亡くなった方が関係者で10人を越えています。

それから離婚した人、 転勤した人などがかなりの数います。

 年齢的に言えばその間一緒に歳をとったわけですから、 当時元気だった人たちで、 もう老境にさしかかっている人もいるわけですし、 子供たちはもう成人した。

あるいは次の世代の子供がそこで産まれてボツボツ大きくなりかけています。

都住創センターについて

 当時とにかく「都市の真ん中に家をつくって住もうではないか」と一生懸命だったわけですが、 そこでの都心居住とは一体どういうことだったのかなと、 今日ここに来てから考えています。

 確かに場所は都心というか都市部にあったわけですが、 決してそれだけではなかったと感じております。

それは何かと申しますと、 一つは住宅以外に、 例えばデザインの関係の仕事をしている人とか、 我々のように設計事務所をしている、 あるいは写真のスタジオであるとか、 自営で貿易商社をしているとか、 そういう人たちがいっぱい混在して入っています。

そういった人たちと、 住んでいる人が、 決して無関係ではない。

一緒になってビル運営をしているわけです。

 もちろん区分所有でバラバラに所有しておりますので、 その合意に立って運営しているわけですが、 みんな一緒になってビル運営をしている。

そうしながらそれぞれ個性的に自分の生活の仕方を表出している。

それらの情報を事務局でキャッチして維持管理その他を進めています。

こういう複合した生活の部分がまさに都心居住なのかなと今日は感じました。

 都住創の中に都住創センターという100m2ほどの小さい空間を作ったのです。

当時はそういった物が都市の真ん中にあんまりありませんでした。

ですからみんなすごく喜んで使ってくれました。

谷町の真ん中でやりましたので、 ご近所のそば屋さんであるとか、 いろいろなお店が、 何か出しもんがあったらポスターを貼ってくださったりしました。

 だけどこういうことは、 少しお金があること、 それから少し暇があることによって維持していけるわけです。

居住者たちがお金を出し合って、 それに加えてなにがしかの借金をして、 施設を作って動かしていったわけですが、 居住者は全部の生活をそういう遊びの部分に集中することはなかなかできないのです。

必然的に事務局がそれを動かしていくということになります。

 そうしますとさっき高口さんのお話にありましたような、 すばらしいプロモーションをしていくということは、 簡単にはできることではありません。

忙しいときには多少儲かっていてお金があるのですが、 その時には暇がない。

今度暇になったら金が無いというようなことで、 なかなか維持していくことは難しいわけです。

 大阪市というのは、 多少語弊があるかもしれませんが文化にあまり金を出さないことで有名でした。

芝居をやっている連中、 その他芸術をやっている連中は、 そのことをずっと言い続けていました。

年間200万ほどお金をもらったら、 それでセンターを動かしていけるのですが、 そのお金がなかなか出せない。

しかし公のお金をもらったら、 すごく動きがぎこちなくなるだろう。

口を出さずに金を出すということはなかなかないだろうと思いながら、 孤軍奮闘しながらやってきているわけです。

 そうこう言いながらも都住創センターはかなり街に定着して使われてきました。

今もそれなりに使われています。

今週の火曜日と水曜日には、 綾部知恵さんというジャズの歌手の方がライブショーをここでやりました。

すごくいいコンサートだった。

これが都住創センターでやる出し物だな、 と僕はそこにいて感じました。

 どうしてできたかというと、 近所に昼御飯を食べに行ったり夜飲みに行ったりするお店があります。

そこへは近所で働いている人たちがいっぱい来るし、 古くからある家でご主人が亡くなった奥さんなんかが、 朝ゆっくり起きて昼御飯を食べに来るわけです。

僕と並んでそういう方が昼御飯を食べているお店です。

そこのお店に集まっている連中が、 「綾部さんをいっぺん担いでやろやないか」ということで「彼女にCDを作らそう」というようなことから始まって、 「CDできたからいっぺんライブやろやないか」というようなことで実現したのです。

 都住創センターでやる出し物でもチケットをぴあで売っているということもあるのですが、 このコンサートは手作りのチケットを作り、 全部口コミで人を集めた。

一緒にそこで飲んだり食べたりしてる連中が外の連中に呼びかけました。

二日間で100人ほどの小さいライブショーでしたが、 彼女がジャズが本当に大好きで、 一生懸命歌ってくれて、 すごくいいステージになりました。

 お店をやってる人はその日は仕事ほったらかし、 応援していた回りのデザイン事務所は、 夜は仕事をほってステージを支えたというような状態でした。

 今日、 昼御飯を食べている時に詩人の佐々木さんとお話していて、 「都市に住むときに死をイメージしていない」というお話がありました。

実は1年ほど前に都住創センターで我々はミニシンポジュウムをやりました。

死をプログラムした都市居住とはどんなものかというテーマでした。

 その時は、 例えば共同浴場のような物を作って、 それを外の人に開放しながら、 歳とった方がお医者のロビーをサロンにするのではなく、 風呂屋のロビーをサロンにするような形でものを作っていったらどうだというような、 非常に低次元な話で止まっています。

それ以上答えが出てこなかったのですが、 綾部さんのを見たときに「ああ、 こんなこともあるんだな」と思いました。

これは物の世界ではないのですが、 仲間がいつか死んだときに、 どこか分からん露地の中からすっと人々が出てきて、 葬式に参列してぱっと花を手向けて帰っていくといういう風な格好で、 老人とその他の人々がどこかでつながっていくというような形があるのではないかと、 その時にふと思いました。

一向に良くならない住む環境

 それではその都住創のエリアが一体この20年間に良い環境になったかどうか、 ということを考えてみますと、 我々の場所はひとつも良くなっていません。

大阪はやれ国体だ、 やれオリンピックだとか言って、 そういった施設はすごく整備されています。

だけど我々の場所は何にも変わっていない。

バブルの頃にワンルームマンションが乱立したとか、 あるいは地上げした場所が駐車場になって空き地になってほうりだしてあるとか、 そういった変化だけなのです。

 コンビニだけは確かに増えました。

こいつは便利です。

都市生活はコンビニに支えられていると感じるぐらいで、 これだけは役に立っています。

あと環境で言えば、 もう言い古されているのですが、 経済優先はこういうことになったのかという感じなんです。

 つまるところは、 政治にしても、 経済のリーダーにしても、 結局は地方出身の農耕民族であって、 都市のことなんかあんまり考えていなかったのではないか。

あるいはこれは何もリーダーだけではなく、 住む人たち、 大衆というか、 市民というか、 住む人たちも同じ発想で郊外の戸建住宅の環境に幻想をもって、 そっちへばかり気持ちがいっているということが、 結果として都市の環境を良くしなかったのでしょう。

 町人の生活文化が継承されることが都市の中でうまくいかなかったことが一番大きな問題だと感じます。

そういう意味で居住環境としての都市の中は、 一種の死に体に近い状態かと思っています。

ちょうど熱帯の森林を伐採した後は当分木は生えないというのに似たような格好に都市が陥っていると感じています。

 一方で、 先ほど小浦さんから話がありましたが、 郊外にもちゃんとした都市環境が整備されています。

本当にどこに行ってもビックリします。

住宅だけは非常に矮小化された空間となっていますが、 それ以外の商業施設、 あるいは劇場であるとか、 いろいろな施設はすごく立派に、 複合的に整備されて何でも間に合うという格好になっていると思います。

 ただ一番の問題点はそういうところでは、 やっぱり強いものしか住めなくなってきている。

言い換えたら、 交通弱者がそこで発生している。

若者など元気な者は車に乗ってビュっと駆けつければどんなことでもできるのですが、 元気でない人は動けない。

動けなければ誰かに連れていってもらわなければ参加できないというのが郊外の都市の現状ではないかと思うんです。

 もう一つ、 これは個人的な感想ですけれど、 そういうところは非常に清潔にできていますが、 清潔さだけの所はちょっと気にくわない。

そうすると期待しなきゃならないのは、 やはり既存の歴史的ストックのある都市の中で住む環境を作っていくことです。

まわりまわって都住創のある町の問題につながってきます。

みんな知っていることの実現へ向けて

 それでは僕らは何をしたらいいのかというと、 今は仮に交通弱者と言いましたが、 そういう人たちがまちなかで動きやすくするということだと思います。

動きやすくする条件はあるわけです。

さっきタクシーがすぐ捕まるいうお話がありました。

地下鉄にだって乗ろうと思えばすぐ乗れる。

交通機関が非常に発達しているわけです。

 エレベーターが駅にないなら付けるとか、 道を歩くときにそういう人たちがちゃんと歩けるようにすれば良いわけです。

目の悪い方が街の中を歩いている感動的な写真を佐々木幹郎さんに見せていただいたのですが、 ああいうことができる都市の環境がベーシックなところで整備されるということが必要だろうと思います。

これをやらないと何を言っても始まらないと思います。

 それからもう一つは、 佐藤さんが住宅のタイプを示してお話になられましたが、 やはり居住空間のビルディングタイプをきちっと作り上げねばならないということです。

そこに向けて思いっきり投資することが必要です。

 いまだにどこかの山の中に行ったらダムのための予算が何百億の単位でドーンと付いていたりします。

長良川の河口であるとかいろいろなところが話題になっています。

そういうところにすごくお金が付いて、 そのお金が計画があるからということで使われているのですが、 こういう金を何とかして都市のストックを改良しながら新しい都市の環境を作っていくために使わないといかんということをいつも思っているのです。

 今日の議論の対象であるデザイン論からは少し外れて来るのですが、 僕はやっぱり一番もとのところで、 計画者としての立場をはっきりさせなくてはならないと思います。

 一方で、 都市に住む市民たちも郊外の住宅地幻想を捨てて、 都会の中の環境で、 あるところは我慢してやっていくとか、 「他人と同じでなくってもいい、 自分の生活はこうだ」というようなことでもって生活を打ち立てていくこと、 そういう一つの決断をしなければいかんのです。

 決心するということが大事だと思います。

この話はもっと広げていくと、 例えば原子力の問題であるとか環境資源の問題であるとか、 そういったことに都市生活の中でいかに取り組んでいくかということにもつながります。

サスティナブルということはずっと言われています。

環境問題だってみんな知っているわけです。

いつも口にしているわけです。

みんなが知っていることを、 どうして実現できないんだ、 どうしたら実現できるんだ、 ということをデザイン論と一緒に考えていくことが必要です。

そして、 それを強烈にアピールしていく、 しかも都市に思いきった投資をして都市住宅の新しいビルディングタイプを打ち立てる、 そういう都市ができて、 そこに住めたらすごく素敵だと思っています。

小浦さん

 ありがとうございました。

いろいろ大阪市についてはご意見が出ているようですが、 岩本さんの方から都心居住、 あるいは都市に生活するということを含めてご意見をいただきたいと思います。

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このページへのご意見は前田裕資
都市環境デザイン会議関西ブロック


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