パネルディスカッション
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都市が非日常型になっている

高口恭行

 僕は自分のかかわりうることだけに話を限定すべきだというスタンスで言いますが、 町中のお寺は瀕死の状態です。

 何故かというと生活するいろいろな仕組みが全部非日常型になっているからです。

例えば、 私の子供がどういう小学生時代を過ごしたかと言うと、 毎日近鉄百貨店の屋上に行って遊んでいたわけです。

子供のくせにバンバン金を使うわけなんです。

金のかからないところなんか無いからなんです。

むろんゲームセンターも近くにありますから行きます。

タクシーが便利だという話がありましたが、 ついついタクシーに乗ってしまって何かとお金がかかるわけです。

 一方お寺でいうと檀家さんはどうなっているかというと「お家が段々遠くなる」というやつです。

船場・島之内、 帝塚山など近所に住んでおられたのが、 どんどん遠くなっていくわけです。

結局お寺だけがこの辺に取り残されているわけです。

そういう取り残された寺が何をすべきかということで、 もうこのまま死んだふりをしているかなと、 いうことがあるわけだけれども、 それはあまりにも悔しい。

助けてもらうのが当然とは絶対に思っとりませんが、 大阪市が、 あるいは誰かが、 何とかすべきだという論はあるけれども、 そんなことは期待してもしょうがない。

これは自分でやるしかしょうがないというように僕は思うのです。

 それで「住みあう楽しみ」「行き交う怪しさ」という話の時に、 そういう瀕死の業種というのが本当に全部死んでしまったら「まちなか」は本当に面白いのかっていうことです。

うどん屋だってなかなか成り立たなくなってきているわけです。

ホテルの地下のうどんを食ったら600円とか1000円とかのうどんであればいいですけども、 その辺の昔ながらのうどん屋なんかはどんどんなくなっていくわけです。

 郊外からやってこられる方は、 都市の持っている既存の機能をひたすらエンジョイしようと思ってきているわけです。

あんたなにしてくれんのって言うと、 ひたすらエンジョイするだけでです。

タクシーに乗るだけ、 映画見るだけ、 あれを見たりこれを買ったりするだけで全然面白くない人たちがやって来るわけです。

こうなると元々面白く怪しい人たちはダメになる。

主体性のない面白くない人が増えてくる。

これはちょっと問題やなと、 僕は都市の居住者としてそう思うんですよね。

そういう人やったら来ていらんわと、 というような感じなんです。

 これは議論のための整理ですが、 この手の話をする時いつも向こうの方からやってくる人の話ばっかりが出てくるんです。

実際それを受け持っている人たち、 例えばここ一心寺シアターでも、 管理業務があるわけですが、 こういうところに茶髪の連中がいっぱいくると、 その辺にゴミが散らかるわけです。

空き缶がいっぱい散らかったりするわけです。

それを僕はここの事務局に「君ら掃除せぇ」って言うているわけです。

朝から一生懸命掃除しとるわけです。

地元日常者はこれを維持管理せなあかん。

責任を持って維持・運営して面白くしなくちゃあかん。

外からやってくる人は、 面白い面白いっていうばっかり。

それで、 これはたまらんなっていうことで、 そうすると一体誰が面白くしてくれるんだ、 というそのことをちょっと考えてくれっというのが僕の意見なんです。

小浦さん

 ありがとうございました。

NEXT 21のような実験的ないわゆる都市に住む新しい住み方提案であるべきものが、 本当に人が都市に住んでいるのか。

確かに都市を使うという意味で住んでいるのかもしれないけれども、 都市に住むという意味においてどういうようなことを考えていらっしゃるか、 あるいは何かそういうことで試みてらっしゃることとか何かあるんでしょうか。

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都市環境デザイン会議関西ブロック


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