都心は、 英語で直訳すればセントラル・シティ、 イタリア語ではチェントロ・チッタといい、 都市の歴史的中心を指す。
CBDという用語がある。 中心業務地区の英語の頭文字をとったもの。 東京では丸の内、 大阪では御堂筋地区といったところだが、 商業集積も含むともっとエリアは広がる。 シヴィック・センターの概念もこれに近いが、 これはCBDに包み込まれてしまう。
日本人にとって解りやすい都心概念は繁華街あるいは盛り場である。 これはどちらかといえば商業、 娯楽施設の集積する地域というイメージで、 都市の中枢機能の集積する地区というイメージはない。
住・商、 ときに工が混在する地域としてのまちなか。 都心居住という時の都心は、 こうした地域を指していることが多い。 伝統的で典型的なものは、 城下町の町人地。 この町人地が大きな広がりをもった地区が、 かっての船場や島之内。 京都の町がその原型。
明治になって、 こうした古いまちなかの周囲に新しいまちなかが広がっていった。 こうした市街地は、 混在地区といわれる。 戦前の都市計画では、 地域の用途を明確にとらえきれなかったため、 無指定地域とされたところも多い。 戦後の大都市拡大の過程でも、 新たな混在地区が生まれていった。
(1) 歴史的地区として
ドキシアデスはダイナポリスという概念をかって提唱した。 つまり、 都市は都心をもち、 その都市が成長するために、 古い都心は新たな機能に適応できなくなる。 あるいは、 都市成長は歴史的中心を変化させるように働く。 そこで健全な都市の成長のためには、 都心を移動させていくべきという考えである。
ヨーロッパの都市では、 歴史的中心が比較的よく保存されている。 つまりダイナポリス的動きをしているようだが、 日本の都市は、 歴史的中心と今日的都心とが重なり合う方向をとった。 したがって歴史的中心の中核的な部分は、 新たな都市中心機能とのせめぎあいのなかで、 ほとんど居住機能の受入れの可能性を失っている。
(2) 歴史的な慣性力をもった地区として
もう少し大きな広がりをもつまちなかは、 空間的な枠組みや生活の基盤が存在しているという意味で、 これからも存続していく慣性力をもっている。 つまり、 まちなかの構造はじわじわとしか変化しない。 そこに都心居住の可能性があるのだが、 古い構造を維持する方向に働くのか、 あるいは新たな構造をそこに生み出すのかによって、 居住のあり方が違ってくるのは当然のことである。
こうした居住資産の継承を支持する考えは、 これまでにも多い。 環境や生活の連続性の維持。 もともとコンテクスチュアリズムはこうした考えを背景に生まれてきた。
まちなかの生活と環境の人間らしさ。 そしてその構造は、 サステーナブルな都市を造り出す可能性を秘めている、 と。 ここにまちなかの新しい価値を見出そうとする動きもある。
もう一つの都心居住は、 都市ホテル論に象徴される。 家を出て、 自立する過程における若者の都心居住。 それは多くの場合、 単身都心居住である。 大都市では、 居住すべき都心として、 この役割が大きい。
単身ないし二人世帯は、 若者のものだけではなくなってきており、 高齢者や熟年層の間にも広がりつつある。 これらを背景に、 こうした都心居住の性格はますます高まっていくと思われる。
図式的にはその通りである。 しかし、 〈歴史的な慣性力〉はしたたかに市場の論理に歯向かってもいる。 そこにさまざまな〈たのしみ〉や〈あやしさ〉が生まれてくる背景がある。
今、 経済も産業も文化も生活も変局面を迎えている。 そこに新しい地価構造が生まれるかもしれない。
「今アメリカでは、 人々も生産も都市を見捨てつつあり、 中心都市には絶望的に貧乏な人々とモダン・エリートのみを残している」とロバート・フィッシュマンは嘆く。 アメリカの都心居住はどのように進むだろうか。 そして日本のそれは?