近代のハウジングは、 それ以前の都市住居とは全く異質のレイアウトプリンシプルのもとに建てられてきた。 近代以前の都市には、 街路との絆を持ち、 都市に直結する都市住居の伝統があった。 イギリスのロウ・ハウス、 フランスのアパルトマン、 わが国の町家、 長屋などはみな、 街路に直結した街路建築であり、 連続する建物が街路や広場といった生活空間を縁取り、 統一したタウンスケープを創り出し、 連続的なコミュニティを形成していた。 街路に沿った接地階には都市生活の利便性を支える様々な都市的アメニティが組み込まれ、 多くの人々がそこに働く場所を持ち、 それらが一体のシステムとして都市居住を支えていたのである。
近代のハウジングは、 そうした都市居住の伝統を否定し、 衛生思想に基づいてオープンスペースのなかに距離をおいて住棟を配置するという、 全く新しい郊外型ハウジングを出現させた。 その結果、 「太陽・緑・空気」と引き替えに、 街のなかから都市的な場所が失われ、 コミュニティを形成していた街路や路地が喪失し、 まちらしいアイデンティティも消滅することになった。 C. Alexanderが指摘したように、 近代建築は自ら都市空間の担い手であることを否定してきた。 現代では都市空間がネガティブなもの-建物の建ったあとの残余の空間-になってしまっている。 都市居住を再生するために、 集合住宅は単に集合して住む形態を越えて、 「都市を造る住居」として再定置されなければならない。 都市住居の伝統を再評価し、 現代的に再構築することが、 今求められているのである。
都市住居はそこに住む人々のためにだけあるのではなく、 その前を歩く全ての人のためにある。 都市住居は、 活気と味わいのある街路空間などポジティブな外部空間を創り出す、 都市空間の担い手でなくてはならない。 また都市居住はハウジングのみによっては成立し得ない。 かつての住居専用のコミュニティではなく、 人々の働く場所や都市居住を支える都市的アメニティを一体的に組み込んだ「都市コミュニティ」の建設が図られねばならない。 そのために物的な計画の側面はもとより、 事業手法や管理運営などのソフト面でも従来の郊外型コミュニティ建設のそれとは異なる全く新しいシステムが求められることになる。
かつてのコミュニティ建設においては、 子供を持つ核家族のための居住環境がなによりも重視された。 しかし成熟社会という新しい局面を迎えて、 今日そうした家族は都市居住世帯のなかで既に少数派となり、 代わって若者、 高齢者、 単身者、 ディンクスなど、 多様な人々が都市居住の主役となりつつある。 健康な子育て環境もさることながら、 高度な都市的利便性や文化的な刺激、 多様な人々の交流など、 真の都市的環境が要求される時代となっている。
このような意味で、 今まさに都市居住の再生が必要とされ、 「都市を造る住居」が求められているといえよう。