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「まちなか」の多様化

大阪大学

小浦 久子

 歴史的都心のもつ職・住・遊が混ざり合いつつ棲み分けている状況を「まちなか」とすれば、 都心という場所性を離れて、 都心居住のデザインの手がかりを見いだせるのではないだろうか。

◇歴史的郊外住宅地の「まちなか」化

 まちなかに暮らして、 郊外に働きにいくという生活をしている。 駅まで約8分のマンションに住む。 駅周辺の再開発による商業集積を除いて、 家から徒歩15分圏内に、 朝の4時頃まで開いている喫茶店がある、 おいしい懐石料理も食べれる。 ジャズのライブをしている店、 イタリア料理店、 バーもある。 ケーキ屋も、 花屋もある。 これらの店の多くは住宅地の中に点在する。 そして店の人とは顔見知りになる。 町で会えば、 あいさつもする。 でも都心居住ではない?ここは歴史的に郊外住宅地であり、 住むことを支える機能が成熟化してきた結果として生まれてきた「まちなか」である。

◇歴史的都心の「まちなか」の細分化

 大阪の歴史的な都心=「都市」は、 本来、 職・住・遊が混在する「まちなか」であった。 産業の近代化の中で、 都市の就業機会が多くの人を引きつけ、 その結果、 市街地は増殖し、 「都市」が見えなくなってしまった。 そして中心地区の業務商業地化、 幹線道路沿道の高度利用が進むことにより、 都心の「まちなか」の連担は分断されながら、 生き続けることになる。 空堀や天満は、 幹線道路の内側で商店街を中心に小さな事務所が混在し、 今も多くの人が暮らすまちである。 路地をはさんだコミュニティも残っているのだろうか。 上町台地の東側を歩けば、 2階建ての木造市街地にスケールの異なるマンションや小さな作業場が混在するまちがある。

◇都市の中の「まち」の生成

 ニューヨークのソーホーは打ち捨てられた古い工場や倉庫街だった。 その安い家賃と大きな空間が魅力で若いアーティストたちが住み始め、 次第に文化の発信地となる。 「まち」が生まれた。 注目されるほどにギャラリーや店ができ、 新しい人が住み始める。 ジェントリフィケーションも進んだ。 大阪のアメリカ村も70年代後半、 安い家賃と都心立地に引かれて若いファッションリーダーたちが集まってきた。 彼らの始めたマンションメーカーの活動が、 「まち」のはじまりである。 神戸の北野には多様な国籍の人々が暮らし、 ラブホテルと瀟洒な店とファッションと生活が混在する古くからの「まちなか」である。 観光化によって、 北野はひとつの「まち」となった。 都市はそのときどきに新しい都市文化の創造や生産活動の発生の場としての「まちなか」を、 そしてそこでの新しい生活を生み出す力をもっている。

◇都市のなかの「まち」の再構成

 震災によって、 都市の中に多くの「まち」=地区があることが顕在化してきた。 長田のような住工商が混在する地区、 高齢化と高密度居住が進むインナーシティエリアの地区、 かつての村が郊外住宅地化してまちになった地区等。 それぞれのまちにそれぞれの生活がある。 歴史的都心ではないが、 「まちなか」といえる生活があった。 「まち」づくりはそうした地区の居住環境整備である。 だからこそ家づくりだけでは解決しない。

◇エッジシティは都心居住か

 ヨーロッパでは歴史的都心の都市形態を改変するのではなく、 例えばパリのデファンスのように、 新しい都市機能の充足と都市居住ニーズに対応する都市を都心に隣接してつくる。 アメリカでは、 ハイウェイの結節点や空港の隣接地などに、 エッジシティと呼ばれる職・住・遊の機能をもった自立した都市ができてきている。 その職の多くは先端産業である。 シリコンバレイはそのような都市が集まる地域でもある。 このような都市では従来の高密度な都市居住とは異なる郊外住宅地に近い住まい方をしているが、 職の都市性や都市という空間的まとまりからみると「まちなか」ともいえる。 このような都市の生活も「まちなか」生活だろうか。

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