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茶臼山--下寺町・文化歴史
プロムナード構想

-あえて言えば都市日常者の視点とコミニティの再生について

一心寺

高口 恭行

 私の発言は私が一心寺の住職であることと一心寺がこの場所にあることにもとづく一つの特殊事情であって「都心居住」と言う一般概念に対する提案ではない。

 

 私はこの場所に四半世紀ちかく住んで来た。 この場所は「便利」な場所である。 しかしその「便利」は稀に必要な特殊用件に対するものでしかない。 そこに住む日常者としての私は四半世紀の間、 徐々にこの都市空間において疎外されつつある。

 

 今、 明確に言える疎外の第一の契機は1987年の天王寺博であった。 この時の整備によって天王寺公園は、 古木が撤去され、 地下駐車場が出来、 柵によって有料化され、 公園を享受しようとする目的をもつ人、 つまり非日常者だけの空間となった。 私はこの公園に犬を散歩させる日常者であったから、 結果において浮浪者と犬と私はこの場所から締め出されたことになる。 古木の消滅は犬にとっても私にとっても、 テリトリーの消滅を意味した。 第二の契機として、 今まさに模様替えのなった通天閣の新イルミネーションをあげることができる。 赤・緑・ブルー・白のネオンは新世界ばかりでなく動物園をはさむ当地をも照らし、 日常者たる私の夜、 私の夜景、 私の寝室の闇を赤色・緑色・ブルーに変色させてしまった。 今さらに霞町のアミューズメント開発が何らかの意味で日常者たる私に影響を与えるかもしれない。 もっと一般的な問題、 自転車の締め出し、 ……。

 

 そこへ昨年、 大地震とオーム事件が起こった。 事件の展開は都市における日常者の視点とコミニティの欠落の問題を顕示したかに思えた。 同時に、 日常者自身、 特に寺院がその視点とコミニティの再生にむけてコミットすることの必要を示唆したように思われた。

 今、 私がはじめている二つのこと。 それは都市日常者のコミニティの再生を企画する一心寺シアターの運営と一心寺日曜学校の開催である。 このことの体験を少し紹介させていただきたい。 そして次に私がこれから始めようとしている二つのこと。 それはこの日常者問題を私のテリトリーに拡大すること。 つまり、 下寺町1.5キロでの「なにわ人形劇フェスティバル」の定常化と、 これをハード的に補充する「茶臼山--下寺町・文化歴史プロムナード構想」である。 このことを少し説明させていただきたい。

 

 「私が都市の文化である」と考える以外に都心居住の条件は整わないだろう。 私はそのように思う。

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