私は京都の持つ豊かさの恩恵をたっぷりと享受しながら、 それを当然のことのように暮らしてきたと思う。 その豊かさに気付いたのは働き始めてからだった。
私が入社した頃、 大阪ガスには新入社員の研修のなかに、 「ファンヒーターの訪問販売」というのがあった。 担当の地域を決められ、 そこを一軒一軒歩いて売るのだ。 私が女性であることを気遣った周囲の先輩方は、 私の担当地域をある高級住宅街にして下さった。
私は京都以外の町を観光以外の目的で、 隈なく歩いたことがなかった。 初めて知らない町を歩き回り、 疲れた私は喫茶店を探そうとしてはたと気が付いた。 そうか、 ここは住宅街だった。 住宅しかない。 喫茶店だけではなく、 本屋も郵便局もない。 ただただ住宅が並んでいる。 住宅街というのは、 住宅がある所ではなくて、 住宅しかない所だったんだ。
私が子供の頃、 来客があると母は笑顔で「おいでやす」と言うと奥に引っ込み、 父に応対をさせている間にお茶を入れつつ、 「すぐ、 おまん(じゅう)買おてきて!」と、 私は頼まれたものだった。 私はすぐに走っていったが、 行って帰って10分とかからない。 入れ直したお茶と一緒に和菓子を出すタイミングには充分に間に合った。
父の帰りは毎日遅かった。 加えて母は家事が嫌いらしかった。 家は商売、 母もその手伝いで忙しい。 子供のためだけに食事を用意するのが面倒な時なのだろう。 近くの洋食屋まで食べに連れて行かれたり、 寿司屋の出前を取っていて、 それはむしろ子供にとっては楽しみだった。 寿司屋も歩いて3分である。 電話をしてから15分後には夕食の寿司をほおばっていた。
京都の町には何でもある。 これは「暮らしにとりあえず必要なもの」が、 「歩いて5〜10分のところに」何でもある、 という意味である。 銀行、 郵便局、 本屋、 金物屋、 電気屋。 市場、 和菓子屋、 洋菓子屋、 雑貨屋、 たばこ屋、 化粧品屋。 薬局、 医院、 美容院、 散髪屋。 喫茶店、 寿司屋、 レストラン。 これらが家から歩いて10分程度にあること。 これがどこかの町の駅前ならば、 当然のことかもしれない。 しかし私が京都をすばらしいと思うのは、 京都の碁盤の目の中ならば「どこでも」大概そうだということである。
京都の町には何でもある。 もう一つの“何でも”は「ちょっとした楽しみのための施設」が、 「交通手段を選べば30分以内で着くところに」何でもある、 という意味である。 映画館、 百貨店、 繁華街。 植物園、 動物園。 美術館、 博物館、 図書館。 そして鴨川。 これらの中には京都では一つしかないものもある。 しかし、 京都の碁盤の目の端から端まで行ったって、 車なら30分内外で着く。 つまり碁盤の目の「どこからでも」30分以内で着いてしまうのである。 都心居住の意味でいう都心・京都とは、 その碁盤の中すべてを含んでいるような気がする。
極端な京都人発言をしてしまった。 しかし、 都心居住の豊かさとはそんなことじゃないか、 と私は思う。
都心居住というのは、 都市機能の享受できる所に居住空間を求めることなのだろう。 居住空間とは、 人が普段の生活の中で「認知し、 行動しうる」範囲だと思う。 認知し行動しうる範囲を超えた空間は、 その人にとって無に等しいのではあるまいか。 とすれば、 その範囲内に、 都市の断片ではなく都市の居住に関わる「すべての」機能が揃っていることが、 都心居住だと思う。 スプロール化し、 巨大化した都市から居住空間として切り取られた空間が、 都市の断片でしかなければ、 そこでの生活は都心居住とは言えないのではなかろうか。 ファンヒーターを売って回った高級住宅街も、 いわゆる都市であった。 しかしそれは都市の断片でしかなかったのでは、 と思う。
こんな意味での都心居住が、 誰に最もやさしいか。 私は高齢者ではないかと思う。 私の父も老いている。 もちろん仕事はとうの昔に断念してやめた。 動くのも辛いはずである。 しかし父は、 「今日は牛乳を買いに行かなあかん」「郵便局にお金を下ろしに行かなあかん」「病院に行かなあかん」「頼んだ本を取りに行かなあかん」と、 「あかん」と言っては一人でよたよたと動き回っている。 私はつくづく、 父の「行かなあかん」所が、 行ける範囲にあって本当によかったと思う。
「行ける」ことがわかっているからこそ、 気が向かない時に「行かない」選択もできる。 そして行くのか行かないのか、 「自分の行動を自分で選択すること」が父の自立を支えているのだと理解している。
都市ってどんなものなのか。 都心居住ってどういう意味なのか。 私は一人の高齢者の「認知し、 行動しうる範囲」において、 語られるべきだと思う。