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都心は移動する----「都心居住」再考

甲南大学

井野瀬 久美恵

 都心居住とは何か、 なぜ都心居住なのか、 それを手放しで是として進むのか。

 現実の都市政策・都市計画から距離をおいたところに位置する歴史研究者の立場から、 その本質を今一度問い直したい。

◇1. 都心居住とは何か?

 私は現在、 大阪北部の千里地域に居住している。 千里中央までモノレールの駅から5分、 車で10分の距離である。 交通の利便性は高く、 買い物にも不便はない。 千里は梅田からみれば郊外であるかもしれないが、 その先の地域に住んでいる方から見れば「都心居住」と言えなくもない。

 こう考えると、 果たして次のどこまでが「都心居住」にあたるのか。

 ----梅田に住む、 十三に住む、 庄内に住む、 豊中駅前に住む、 豊中市郊外(千里)に住む、 宝塚に住む、 三田に住む……… ---- 千里全域を都心と呼ぶかどうかはともかく、 千里中央は都心(少なくとも大阪府は新都心・副都心と言っているようだ)としての機能は有しているように思われる。 また、 都心という概念を大阪市だけに当てはめるとしても、 梅田や難波に住むというのと、 住吉・帝塚山に住むのは違うだろう。

 すなわち、 これらの例をひいて私が提起したかったことは、 「あるエリアへの居住が『都心居住』となる条件とは何か」ということである。 平たく言えば、 都心居住という時の“都心”とは何か、 ということだ。 都心とは、 そのエリアの昼間人口が夜間人口より多いとか、 単に著しく交通利便性が優れている地域であることとか、 職住近接の地域であること、 あるいは高密な市街地であることを指すような単純な概念ではないと考えられる。 それゆえに大阪市が300万人(既に昔の計画目標となったが)の人口を目指すのと、 梅田や難波に人を住まわせるには、 全く異なるアプローチが必要であろう。

 今目指そうとする、 もしくは目指すべき、 都心居住とは何だろうか。 まずは、 この整理からはじめることが重要である。

◇2. 都心居住を促進するには、 ふたつのやり方がある

 都心居住の定義を明確にすることが第一であるが、 これは難問である。 そこで視点をかえて、 対立概念として語られてきた「都心居住 対 郊外居住」のなかに、 都心居住とは何かをあぶり出してみることにしたい。

 たとえば、 次のようなアンケートをしたと仮定しよう。

 (1)〜(3)の回答は、 ほとんどが都心居住に肯定的な意見となるだろう。 逆に(4)〜(6)は、 (例えば大阪市都心部への居住を前提とすると)ほとんどが都心居住に否定的な意見となるだろう。 (7)〜(9)は、 意見が分かれるところである。

 こう考えると、 都心の利便性に対する魅力が自然環境や経済的条件に不満を抱きつつも都心居住を選択させているということ、 逆にいえば、 自然環境や経済的条件が満たされないので、 都心居住を選択できないケースがあるということが再認識されよう。

 都心居住を選択するもうひとつの理由は、 都市というある種の無機質な機能本位の環境と過度なまでの人間の集中が本質的に持っている条件 ----個々の人間が互いにつながりをもたない集団の中に、 あるいはそのすき間に埋もれるという都市の匿名性とその匿名性への快感---- を志向するところに見出だされる。

 それゆえに、 都心居住の促進を図るためには、 次のふたつの取り組み方が考えられる。

 このふたつの取り組み方は、 「都心居住とは何か」を考える上で、 非常に重要なポイントとなる。 (1)を先鋭的に進めていくと、 都心は都心であるがゆえの機能集中を緩和しつつ、 その特性を失いながら一般市民の定住を促進することになるだろう。 他方、 (2)は、 都心の特性を維持しつつも、 地域コミュニティの成立しない市民層を都市に集中させることになるだろう。

◇3. 「都心」は移動する

 1000年、 100年、 いや、 50年という単位で見ても、 歴史的に都心は移動し続けてきた。

 我が国の都市を見ても、 為政者が変わるたびに国の首都、 もっと広くはある地域の拠点が変わってきた。 新たな産業の台頭による、 もしくは新しい人々の流入による都心の空洞化は、 都市の宿命でもある。 また主要交通機関の変遷----徒歩あるいは馬車から鉄道へ、 そして自動車へ----によっても、 都心は推移してきた。 (大阪を例にとれば、 江戸時代には水運により中之島が都心として栄えた。 明治期以降は鉄道ターミナルを核に、 キタとミナミに都心が移動した。 )

 都市は新陳代謝する。 その過程で、 都市そのものが常に試行錯誤を繰り返してきた。 たとえばイギリスでは、 17世紀以来、 「どこまでがロンドンか」という議論が展開されている。 この議論は、 裏を返せば、 「ロンドンの中心はどこか」の問い直しでもあり、 そこには「ロンドンは何で生きている都市なのか」という問題が含まれている。

 すなわち都心とは、 地理的な都市の中心ではなく、 都市が何で生きているかを考えたときに、 その中心機能をどこが担っているかで定義されるものではないだろうか。

◇4. 都心文化の継承

 都心の移動が歴史の必然であるならば、 大切なことは何か? それは、 都市が変化していく過程で、 都心として栄華を誇っている時代のストックをいかに蓄えるか、 とりわけそれを文化としてどういう形で残せるかにあると私は考える。 都心の座は明け渡しても、 文化を残すことができれば、 人は集まり、 空洞化、 スラム化を回避することができる。 そこに、 また違った意味を持つ都市の中心として永続する道も開かれるのではないか。 ロンドンのウエスト・エンドはその好例と言えよう。

◇5. 今一度、 都心居住の意義を考える

 なぜ、 都心居住なのか。 どうして都心居住が必要なのか?

 都市の繁栄、 あるいはその維持の手段として、 都心居住が必要なのか。 それとも、 現在都心に居住する人のために、 都心環境の改善が求められているということなのか。

 都心部の空洞化は、 確かに進みつつある。 空洞化による弊害の発生も事実であり、 これを問題視する考え方も理解できる。

 しかし、 都心が移動していくことは歴史の必然であるという単純な事実から目をそらすべきではない。 これからも繰り返される都市の試行錯誤と、 その結果として生じる新陳代謝----このサイクルを円滑に繰り返すことが都市存続の条件であると捉え直そう。 そう考えた場合、 従△、 △来△、 △の△、 △意△、 △味△、 △で言う「都心居住」は、 都市の新陳代謝を進めるには負の条件とならないか。 特に居住者に強い権利を与えている我が国の法体系のもとではとりわけ厳しい制約となるのではないか。 それでもなお都心居住を促進するためには、 都心の魅力、 ないしは「居住」の意味そのものの問い直しが必要となってくる。

 そもそも匿名空間である都市の活力は人の交流と流動から生まれるものだ。 今後、 時間的・空間的な移動性はますます高くなると思われるし、 その中で人々の移動に対する認識も大きく変化していくであろう。 たとえばマルチ・ハビテーションという形での居住形態(住民票をどこに置くかという問題はあるにしても)はすでに始まっている。 それゆえに、 都心居住を考えるときも、 居住者=市民という考え方だけではなく、 市民の拡大解釈が必要ではないか。 都心であるがゆえに許される市民のヴァラエティ、 居住形態のヴァラエティを受けとめることから、 都心居住の新しいあり方、 および進め方を考える視点が大切になろう。

 今一度、 都心居住とは何かを、 なぜ都心居住が必要なのかを問い直すべきである。 都市盛衰の歴史に学び、 木を見て森を見ぬ議論とならぬように。

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