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テーマ解題

〈夢〉世代のうた

関西大学 丸茂弘幸

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現実という言葉は三つの反対語をもっている、 と見田宗介はいう。 <理想と現実>、 <夢と現実>、 <虚構と現実>というふうに。 そして戦後の日本人のリアリティ感覚は、 「理想の時代」、 「夢の時代」、 「虚構の時代」と、 ほぼ15年毎に変化して来たという。

見田によれば、 「理想の時代」と「虚構の時代」とでは現実に向かう姿勢が逆転している。 「理想」は現実化(realize)することを求めるように、 理想の時代は、 また「リアリティ」の時代であった。 虚構に生きようとする精神は、 もうリアリティを愛さない(『現代の感覚と思想』)。 「美しい仮面」のうしろにあるものをほとんどもの心のついたころから知りながら、 それに誘われたままでいることを享受し、 あるいはむしろ、 よく誘惑するものであるか否かを、 鋭敏な批判の基準として選択する対処の仕方は、 「第二次ベビーブーマー」とよばれる1970年代以降の世代たちにとっては、 むしろ平常のごく基礎的な、 情報消費社会の内部を生きることの技法となっている(『現代社会の理論』)。

僕を含めてJUDIのメンバーの多くは、 生活者としても職業人としても、 生きることの技法を「夢の時代」に身につけた世代といえるのではないか。 ビートルズ、 ヒッピー、 フォークソング、 学園闘争、 ……。 「夢の時代」とは「理想の時代」から「虚構の時代」への平穏な過渡期ではなく、 むしろ理想に生きることにも、 虚構に生きることにも徹しきれない、 不安定に浮遊する心情の時代だったような気がする。 「理想」が現実を志向し、 「虚構」がなまの現実を排除するとすれば、 「夢」は現実を浮遊するとでもいうべきか。

都市や環境の問題にかかわる僕らの仕事に引き寄せていえば、 「理想を実現する計画」の時代から、 「虚構を演出するデザイン」の時代へ、 たしかに時代は回転したようにもみえる。 僕らの前には、 焼け跡のリアリティから出発し、 近代都市の理想を信じてその実現に邁進できた<理想>世代がいた。 僕らのあとには、 虚構のまちに魅惑されることを素直に受け入れ、 自らも軽く浅く演じて見せる、 リアリティの呪縛の吹っ切れた<虚構>世代がいる。 そして<夢>世代の僕らは、 いや僕は、 現実のまちにも虚構のまちにも浸りきれずに、 終わりのないうたを歌って来たように思う。

うたを終わらせる方法はあるのだろうか。 メビウスの輪を脱け出て、 新たな都市環境デザインにいたる道はどこにあるのだろうか。

 
−−略歴−−
1943年神奈川県生まれ、 1966年東京大学都市工学科卒業、 1968年東京大学大学院修士課程修了、 1969年フィンランドのペンティ・アホラ事務所、 1971年ミルトン・ケインズ開発公社、 1979年広島大学工学部講師、 1988年関西大学工学部助教授
著書に『都市空間の回復』(総合研究開発機構編、 学陽書房)など

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