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「借景」と日本の風景

改行マーク最近は、 色々な学問や研究、 活動が、 手詰まりになりますと、 民俗学という得体の知れない学問に聞いてみよう、 そうすると何かいい答えが出るのではないかというお気持ちになることが多いようです。 あるいは民俗学を作った柳田国男に聞けば何かいい答えがあるのではないかということで、 色々な学問の方、 活動をなさっている方が、 民俗学の本なり研究成果に興味を持ってくださいます。

改行マークそんななかで今日もお呼びいただいたのかと思いますが、 果たしてご期待に添えますか、 心許ない状況ですが、 しばらくお時間をちょうだいできればと思います。

 

改行マーク先日、 たまたま鹿児島の武家屋敷にゆきました。 保存、 修復が行われていましたが、 その武家屋敷の座敷に座ると、 前に庭が広がっています。 庭には、 池があり、 松が生え、 灯篭があって、 一定の作庭の作法にしたがって作られています。 そして、 向こうの方には、 自分の屋敷の外の景色が目にはいるような形になっていました。 逆に言えば入らざるを得ない小さい庭だということですが、 しかし、 その庭が遠くの景色を取り込んで作られていることは間違いありません。

改行マークこれは「借景」という作庭上の一つのあり方です。 しかし借景で有名な庭園だけではなく、 ごく普通に、 どこのお宅でも、 あるいは私たちの日常の生活でも、 外の景色が自分たちの生活の中に必ず取り込まれているのではないかと思います。

改行マークそこで、 ここでは日本における私たちの生活のありかたとして借景を考えてみたいと思います。

改行マーク中国の庭園とか公園を見てみますと、 借景がないわけです。 借景という言葉は中国でできたそうですが、 中国には借景が用いられた庭園はそう多くはありません。 それは、 平らな土地では借景が難しいということが一つの原因として考えられます。 遠くの風景を視野に収めるには、 傾斜地とか山が視野に収まるところにあることが不可欠だ、 ということです。

改行マークそれからもう一つは、 日本人は屋敷といいますが、 実は中国にはそういう観念はなく、 あえて訳せば宅地となりますが、 日本人はその屋敷の境に大きな障害物を設け外界と遮らないということがあるかと思います。 中国の庭園、 公園は、 だいたいまわりを壁や建物で仕切って、 その遮られた中に、 外と隔絶した形で一つの世界を作ります。 そういった場合には、 借景は成立し得ないわけです。 逆に日本では、 高い壁や高い垣根のような障害物を決して造りません。 必ず、 向こうが見通せ、 一つの景色が視野に入ってくるわけです。

改行マーク内と外の境に絶対的な壁を作らず、 連続性を持って自分たちの生活空間を作っていくことが、 日本人の居住の観念の一つです。 それと同時に、 その向こうに傾斜した土地がある、 山があるということです。 私たちが住まいを求めたときに、 自然が我々に与えてくれたのは、 傾斜した土地とか高台であって、 平坦地ではなかったわけです。

改行マーク借景は明代にはじまった中国の言葉だとしても、 日本において作庭上の技法の一つとして、 多くの素晴らしい庭園を造ってきました。 これは日本の生活の空間配置、 あるいは日本の生活の場の設定と関係があるのではないかと思います。 そのあたりを、 民俗学的に少し考えてみたいと思います。

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