だから、 逆に、 奈良盆地に現在もいくつかございます、 家々が密集して、 その回りをお堀で囲っている環濠集落が注目され、 わざわざ見学に行きます。 それは決して一般的な姿ではないわけです。 大部分の日本の集落は、 まわりの田んぼや畑から直接家々に入ることができる、 あるいは入ろうと思えば自由に出入りができ、 まわりに開かれています。 ですから、 集落の様子は外から、 見える、 うかがえます。 これは、 大は都市という集落から、 小は村、 村落を含んで、 全てにおいて共通しているかと思います。
集落のまわりを囲って、 外からうかがえないようにする、 外から侵入できないようにするという発想が、 日本にはなかった、 あるいは必要としなかったという点については、 多くの人が色々な説明をなさっています。 例えば、 中国やヨーロッパ、 オリエントにおいては絶えず異民族の侵入、 攻撃、 蹂躙が、 予想、 心配されたけれども、 日本の場合は島国であり、 その心配がなかった、 といった説明がなされます。 あるいは、 日本人自身が他の地域を征服して、 それを完全に滅ぼしてしまうという形での征服活動をする民族ではなかったということから、 説明しようということが行われます。
巨視的に見ればそうだろうと思います。 中国では、 しばしば村のまわりに土で壁を造って守っています。 あるいは、 壁というよりは城壁といった方がよいもので守られていることもないわけではありません。 まして市街地、 町は全てそうです。
ところが日本の場合、 城下町でさえ全部をお堀だとか城壁で囲みませんでした。 確かに、 お城には、 天守閣を中心にして、 二の丸、 三の丸があり、 武家屋敷があって、 内堀、 外堀があります。 しかし外堀は武家屋敷を囲む程度で、 その外に町人や職人の町が広がっています。 要するに、 城下町では、 都市的な機能が、 城壁とかお堀の外に広がっているということです。 さらに外に行きますと、 いつのまにか田んぼが混じり、 そして、 水田が広がる地帯につながって行くわけです。 まわりを完全に囲んで、 防衛をするという範囲には、 町は入っていません。 町は開放的に作られています。
これが最初に申し上げた、 借景を可能にしている一つの基礎です。 集落をその外の世界と明確に区切らない、 連続性がそこにあるということが、 借景が発達する条件であったろうと思います。
このように、 自分たちが住む世界は、 普段生活をする家、 あるいは屋敷を中心として、 その外側にある様々な生産活動の地域、 さらにはその外側に様々な恩恵を与えてくれる自然の空間が連続した形で展開している。 そういう集落の様子を、 ただ、 家があり、 田んぼがあり、 山があるという形で考えてしまっていいのかというと、 実はそうではない。 私たちはちゃんと認識をし、 区別をし、 一定の意味をそれぞれに与えてきたのです。 そのことを象徴するのが、 「ムラ」「ノラ」「ハラ」という言葉です。
集落を囲むということ
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