大地から学ぶ−御坊の公営住宅
次は、 大地から学ぶということを話したいのですが、 どうして一般に建築の階段は、 あんな風にグルグル回らなければいけないのでしょうか。 人間は、 ぐるぐる回るようにはできてはいないと思うのです。 一般には、 道もまっすぐなのがあたりまえと思われているみたいですが、 人間は本来まっすぐには歩けないらしいのです。 例えば、 何もない真っ白な雪の積もったところを歩かせると、 一直線には決して歩けないんだそうです。 まっすぐに歩けるのは、 手すりなどのガイドラインがある時だけだそうです。 まっすぐ歩くということは、 本来、 人間の機能とはそんなに合っていないということなんです。
自然の山の中にできた道は、 シークエンスの変化があって気持ちがいいと言いますが、 あれはシークエンスの気持ちよさを作るために作っているのではなく、 急な坂を上りやすいように作っていった結果です。 大地と応答した結果教わったことなのです。 何故、 こういうことが建築に活かされないんでしょうか。 建築というのは、 どうも角張った箱になっちゃって、 人間を拒絶するようなところがあります。 冷たく、 きつい感じを与えるのです。 緊張感のある良い空間というのではなく、 冷たく、 乱暴な感じを与える建築が山のようにあります。
御坊の公営住宅の建替えのプロジェクトでは、 ここのところが特に重要だったのです。 今までは、 公営住宅を四角く作って、 これは国が作ったものだ、 おまえらに貸してやるぜということが、 どんどん進んでいって、 その結果、 環境的にも、 精神的にも貧しくなった。 スラムになっちゃったという場所です。 これは、 建築が悪いんです。 建築を作った社会やみんなの責任だけれど、 むしろ、 優しさだとか、 あるいは大地の包容力のようなものを建築で表現していかないと、 人間同士がギスギスしていったり、 人間と社会との応答がギスギスしたものになったりしてしまうのではないでしょうか。 建築は、 そういったことが重要なのだと思っています。
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御坊島団地建替1〜3期の全体模型 複雑な形態で連続する |
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御坊島団地建替 立体路地が全体をつないでいる |
廊下と住戸は全部不整形につきあっています。 平行なところはなく、 建物も全部平行ではなくて、 間に抜けた空間を挟みながら、 グニャグニャと連続しています。 形の違う隙間がいっぱいあって、 様々な場所が出来ています。 階段も絶対グルグルまわらずに、 こっち曲がって、 次はこっち行って、 その次はこっち、 みたいになっています。 なかなか曲線にはならないのですが、 直線ゆえに出来る「ずれ」みたいなのがすごくおもしろくて、 それが大地の柔らかさと輻輳すると、 もっとおもしろくなる。 そういうことをやってみたのですが、 確かに人々の生活や表情を明るくさせる要素になっているんですね。
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御坊島団地建替 繰り返しでない階段 |
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御坊島団地建替 折れ曲がっていく立体路地は3階レベル |
御坊島団地建替 住宅にダイレクトに接する南廊下型の立体路地
御坊島団地建替 立体路地での立ち話も日常の風景
御坊島団地建替 住棟間を縫っていく立体路地から風景
その結果、 3階のレベルにできた立体路地は、 まるで1階の路地のように見えます。 住戸の南側に直接あったりする、 いわば天空に開いた廊下なのですが、 そこで洗濯物を干していたり、 植物の手入れをしていたり、 床に座って話していたり、 その脇を人が声をかけながら通っていき、 あるいは、 立ち話に花が咲き、 といった風景になっています。 生活感がそのまま風景に、 気持ちよい景観になっています。 洗濯物やふとんがあふれていますが、 それはここでは気持ちの良いものなのです。 グチャグチャしていることも、 規制感のない、 居心地の良い場所づくりには大いに貢献しています。 あいまいなアルコーブのような空間が、 立ち話の場所になったり、 植木鉢の花をならべる場所になったりするのです。 シークエンスの変化や、 風の抜け、 朝陽や夕日が隙間からドキッと見えたり、 正面に見えたりして、 人間も自然の中の一部であることを、 改めて知ることができるのです。
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御坊島団地建替 多様な光の向きのせいで本当にきれいな集落的夜景 |
横山:
江川さん、 いろいろありがとうございました。 江川さんの様々な作品を通して、 大地への取り組み方、 考え方をいろいろ教えていただけました。 私は、 今日の江川さんのお話をお聞きして、 改めて江川さんが大地の達人だということを実感しました。 本日はほんとうにありがとうございました。