全体講評明らかになった四つの課題〈大阪府立大学〉増田 昇 |
あまり時間がなくなりましたので、 今日のシンポジウムで私なりに感じたことをお話ししたいと思います。
まず、 地形、 起伏といった形でとらえるのではなく、 大地そのものをテーマにしたことが正解だったと思います。 それは、 大地は、 自然現象だけでなく、 人間との関わりをたくさん持っている、 そこに大地の意味があることが今日の議論で一層理解できたからです。 自然環境、 人間環境を基盤として支えるものは、 地形ではなく、 「大地」なのです。
「連続性」については、 単に空間的に連続しているだけではなく、 今日のお話の中で何度も指摘されていたように「時間が連続している」「時間が積み重ねられている」ということが大事なのではないかと感じました。 我々が反省すべき点は、 宅地造成、 雛壇造成の時、 その土地の空間的連続性を断絶しただけでなく、 人間が手をかけてきた時間的連続性を断絶してしまったことだったのではないか。 したがって「連続性」を時間の中でとらえていくことが、 今日のテーマの中では重要ではないかと考えています。
ですから、 「つなげる」「切る」という行為を同時に行ってきたことが、 日本の文化ではないかということが、 指摘しておきたい2点目です。
これは、 我々もよく使う「無駄の理」とか日本文化の「間」の取り方という言葉にも通じるかと思いますが、 残す部分を大事にすることで使おうとする部分も生きてくるという発想だと思います。 この発想も、 その後のセッションで何回も出てきたように思います。
そういう場合、 少し手を貸すだけで大地の生命力は引き出せるものなのです。 それを顕在化させる技術が、 大地の達人という技術論ではないかと思います。 あまりに画一的にやってしまうと、 手を貸すのではなく反対に生命を絶ってしまうことになる。 我々はもう一度手を貸して、 土地の個性を顕在化させ、 そこの特色を出さなければいけない。 また、 それを集客性や商品価値につなげ、 経営戦略にもつなげていく必要もあるかもしれない。 そういう議論も今日は聞かれました。 これも重要な点だと思います。
以上、 まだまだたくさんあるのですが、 4点にまとめて全体講評にいたします。 どうもありがとうございました。
時間の中の連続性について
環境や景観の基盤をつくっているものが大地なのでしょうが、 そこから何を読みとるのかという話の中で、 今日何度も出てきた言葉が「連続性」でした。 それは山岳が多く、 暖温帯に属し、 モンスーン気候の中で豊かな森と水を培ってきた日本の文化の中での連続性ということでしょう。 同じことが、 今日の基調講演の中にも現れておりました。
結界について
もうひとつあげておきたいのは、 「連続性の中の結界」です。 物理的には閉じられたり、 境界があるわけではないのですが、 精神的には結界があり、 結界があることによって人間の関わり方の作法が組み込まれているということです。 その作法は「バランス」という言葉で表されるものかもしれないし、 人間と土地との関わり方に神を介在させ、 神が「バランス」を象徴していたのかもしれない。 これは、 人間が自然に手をかける時の作法ではないかということを考えました。
逆転の発想
第3に感じたことは、 これからは「逆転の発想」が大事になりそうだということです。 最たる例としてあげたいのは、 最初のセッションで報告された「使おうという空間より、 残そうという空間を大事に組み立てたら面白い街ができる」という話です。
やりすぎを諌め、 手を貸すという発想へ
第4に感じたことは、 そのような逆転の発想の中で空間の個性を生かすためには、 大型の機械で大規模なことをするのではなく、 そこにある大地、 自然に少し手を貸すだけでよいのではないかということです。 私は大学の講義で、 日本の地形造形で問題が出てきたのは、 鍬や鋤を捨ててブルドーザーに変わった段階だという話をよくします。 エネルギー革命が起こった結果、 「不必要な里山」がぞくぞくと出てきました。 それは日本の近代化の歩みだったのでしょうが、 21世紀に向けて何を考えねばならないかを問われたとき、 逆転の発想の中でもう一度空間の持つ個性を引き出す必要があるだろうと思われるのです。
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