参加型都市環境デザインをさぐる
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問題提起

参加型デザインの実験
ワークショップへの誘い

(まちづくりワークショップ) 吉田薫

改行マーク「参加型都市環境デザインをさぐる」うえで、 いわゆるワークショップについての私論を述べさせていただきたい。

改行マーク稚拙で思いつきの域をでていない点を、 まずおことわりしお許し願いたい。


1。 ワークショップとは

改行マークワークショップは必ずしも新しい手法ではない。 キャンプファイヤーの時、 グループでにわかに寸劇の即興をした経験の方もあると思う。 演劇をはじめ、 最近では企業のオフィス環境づくりにも採用されるなど、 改めて各分野に普及しつつある。

改行マークワークショップは、 参加型まちづくり・環境デザインの有効な手法のひとつであることは確かだと捉えている。

改行マーク手法(道具)である限り、 「目的は何か」が同時に問われる。 それは常にいつの世も当然であるが、 さりとて今日的でもある。 ワークショップ方式を活用することは「不賛同者もいるが希望のもてる手法(ヘンリー・サノフ)」だと思う。

改行マークでは、 ワークショップとは何か。 「「私は、 より実践的な手法であり、 ひと言で「プロセスの共有」と捉えている。 「共同調査」「共同学習」「共同討論」「共同提案」など参加者の共同作業・体験(コラボレーション)であり、 その目的や成果をも「共有」しあう方法ともいえる。

改行マークでは今、 何故ワークショップなのか。 「「複合的(多元的)で公共性・社会性をもったまちづくりや環境デザインに、 国民的関心と参加の芽生えがみられることが背景にあると思う。

改行マーク新しい時代の転換期にあって、 「多様な価値観」「量から質(内容)」「中央集権から地方分(主)権」や「長寿社会と生きがい」「体験と自己発見」「余暇時間と社会・地域参加」「客体から主体」「パートナーシップの時代」等々が語られて久しくなっている。 それは、 人間がより主体者として社会との関係性を確立し、 充実した人生を送りたいと願っている証しともいえる。 こうした時代の変化と流れに、 ワークショップがフィットした手法のひとつとして普及しているのではないか。 ややもすると、 複雑で巨大な社会システムに押しつぶされてきたかに写る直接民主主義と「形骸化」した間接民主主義の関係性を再び有効に機能させようとする社会現象(時代潮流)かも知れない。


2。 ワークショップの心得「「その前提条件

改行マークでは、 ワークショップの前提とすべき条件は何かについて、 いくつかの点を列挙してみたい。

改行マーク第1に、 参加にあたって自主性(自発性)が尊重されるべきだ。

改行マーク参加は「強制」されるものではない。 強制からは「楽しさ」は生まれない。

改行マーク第2に、 参加者相互の立場を尊重しあい、 対等でなくてはならない。 ましてや、 異なった意見やアイデアを排斥したり、 社会的地位や権力等をもって誘導することはさけなくてはいけない。 ワークショップこそ、 異なるものとの「対立」を最も大切にしたいものだ。 そこからアウフヘーベンされたものが輝いてほしい。

改行マーク第3に、 進行にあたり参加者全員の参加(画)の原則が貫かれるべきだ。

改行マーク人間のことだから個人差や得手・不得手は勿論あり、 すぐにはなじみにくい参加者もある。 ファシリテーターは、 そのための配慮と工夫も求められよう。 「お客様」をつくるのは好ましくない。

改行マーク第4に、 目的や関連する情報提供、 基礎的な共通認識をもってすすめることが望ましい。 透明性を高めたり、 スタートにあたって事実から出発し、 五感を通して「実感」することから始めるためにタウンウォッチング等も有効な企画として採用されている。

改行マーク第5に、 双方向性が充分備えられる必要がある。 一方通行や一部の特定者同士の発言に終始せず、 より輻輳した目線の交流によって、 相互に触発しあえる豊かな関係が期待される。

改行マーク最後に、 どんなに参加者が多くなっても小グループ単位の設定が望ましい。 一般的には6人〜8人/グループが適当だといわれており、 40グループ編成ですすめた事例もある。 その場合でも、 参加者が冷めないうちに成果を共有するために、 時々のまとめをしてグループ発表を必ず行ない、 全体にかえすことが望まれる。

改行マークまた、 多様なテーマを抱える広域的な地域を対象にするより、 小規模地域やテーマがしぼられると、 よりなじみやすい手法だといわれている。


3。 ワークショップの意義と役割

改行マークワークショップの意義と役割について、 計画・デザインや事業推進とその後の利用・維持管理上の視点からまとめてみたい。 ワークショップが有効に機能しなかった場合は、 以下の結果と裏腹の関係が生じることにもなる。

改行マークプロセスへの参加によって、 まず第1に、 計画等に地域(市民)のニーズが反映しやすくなり、 多様できめこまやかな「ナマの情報」が生かされる条件が高まる。 創り手自身のチェックにもなり、 チャンネルを増やすことになる。 「固定観念」できめつけたり、 わい小化する危険を克服し、 むしろ豊かに意味づけした計画・デザインが可能になりやすい。 また、 「ひと」「こと」「もの」が関係づけられる。

改行マーク第2に、 地域特性を生かした個性あるまちづくり・環境デザインが創造されやすくなる。 創作活動にルーティンはない。 マニュアルのみで計画・デザインされた画一化から脱却した特殊解としてのコミュニティ・デザインの条件がより切り拓かれ、 人間の生活(営み)に近づける。

改行マーク第3に、 参加者が学習(体験)し、 単なる地域利害(エゴ)の主張から、 「広域」と「狭域」や「個」と「全体」など両面の利害関係や理解を深める契機となる。 おりあいのつけ方やソーシャリティも高まり、 「第3の道」や中間領域への対応(関与)にも道を拓く。 いわば、 責任と自覚が育まれ地域の多彩な能力も発揮されやすくなる。

改行マーク第4に、 使い手等が参加した場合は、 人工的にハードですべてを解決しないで、 ソフトでサポート(補完)した「つくり過ぎない」創造活動にもつながりやすいのではないか。 また、 「創り手」と「使い手」がクロスオーバーするほど地域住民の営みや時の流れ、 環境の変化の中に、 将来を託すことを可能にする。

改行マーク第5に、 参加者が体験を通じて、 わがまちや環境デザインに誇りと愛着を抱きやすくなる。 施設ならば利用されやすく馴染み深いものとなり、 維持管理上の担い手集団づくりも期待できる。 ここまで挙げると過大評価の幻想にすぎないとの批判を受けようか。


4。 ワークショップの課題や限界性

改行マークワークショップがすべてに万能とは決して言えない。 適切な活用がはかられるべきだ。 目的にむかって種々の手法を組み合わせ運用したり、 ワークショップ手法そのものを多様に発展させ、 使いこなしていくことも課題といえようが、 現時点での限界性を思いつくままに整理してみたい。

改行マークまず第1に、 参加しない人に有効な手だてといえるのか、 についてであるが「NO」であろう。 たとえワークショップを案内されても、 参加したくない(しない)人が決して少なくないのも現実である。

改行マーク単なる性格や物理的条件でなく、 「直接利害に関係ない」「興味がわかない」等々いろんな理由が想定されるが、 やむをえない。 「参加」にとって自主性こそ大切にされるべきだからだ。 通常は、 地域環境等に目にみえる変化を生むようなインパクトを与えるまでにならないと、 広く関心を呼び、 参加をうながすことにはなりにくいものだ。 積極性の持続も容易ではない。

改行マーク第2に、 ワークショップは地域の合意形成に有効たりうるのかという疑問である。

改行マーク有効ではあるが、 別の手だてを必要とし、 それ自体としては「NO」だろう。 自主的に有志が参加して計画案を作成し合意に達しても、 全員参加型や参加者が地域から選ばれた代表者でもない限り、 総意に基づく正式なコンセンサスとは言い難い。 「自分がその過程に参加していないどのような最良のプランも、 自身にとっては最悪なプランである」という程の米国民主主義者は別としても、 国民は影響を及ぼす身のまわりの環境に対する意思決定過程に参画したい、 という要求を抱いている。 ワークショップは重要な役割を担ってはいるが、 広報や賛同手続・申し合わせなど何らかの位置づけ、 制度や仕組みが求められる。

改行マーク第3は、 参加したからといって必ずしも良い計画やデザインはできない、 との善意の批判についてである。 目的と手段(法)が有効に結実していない場合の反映であり矛盾である。 参加やワークショップはあくまで手法であって、 結果の評価は大切なことである。 私たちの創作活動は、 その地域や施主の意向・コスト等や水準に制約を受けざるを得ない関係にある。 何をもって、 誰にとって良い計画・デザインかという評価主体・視点もある。 相手が気をよくしているならばよいではないか、 と言う見方も生まれる。

改行マーク他方、 地域的制約条件や課題もあるが、 良いものができるか否かは専門家の力量によるところも大きい。

改行マーク反省として専門家側の技術力や能力向上が課題である場合も少なくない。 両者は永遠のテーマかもしれない。 真摯で自由な批評と検証の機会を通じて、 より高い水準をめざす努力の積重ねが求められているのだと思う。

改行マーク第4に、 ワークショップや参加型が発展すると、 専門家は要らなくなるのではないか、 という声もある。 特に明治以降の社会発展は、 細分化・専門分化が合理的であったといわれ、 新しい専門家像が求められているといわれている。 私は参加型手法により、 専門家自体にも責任と一層の自覚が培われ、 共に学び成長していく条件が高まると考えており、 基本的に専門家不要論には賛成の立場にない。

改行マーク地域には、 いろんな専門家が住んでいる。 自分よりすぐれた能力をもつ同一分野の専門家(居住者)が参加するケースもあろう。 その時もお互いの立場と関わりを明確にすべきだ。 東京のコーポラティブ・ハウスでは、 そんな美術家の入居者の住戸内部を、 建築家が設計料を返してむしろ設計してもらい、 双方が学びあえたときいている。 今後もしばしばありうる喜ばしい今は特殊解かも知れない。 対象によって専門家(集団)同士のワークショップにより対応することもある。

改行マーク第5に、 市民が複数でデザインの領域まで関与(決定)が可能であろうかという疑問がある。 「十人十色」も確かであり、 デザインの領域は個別デリケートでもある。 通常は専門家にゆだねられるケースが一般的だ。 コーポラティブ・ハウスで、 マンションのネーミングを入居者から公募したことはいいが、 決戦投票でも丁度2分した。 最終的には、 「あきらめの儀式」を経て「専門家にまかす」ことになり、 第3の名称が決定したケースがある。 議論を経て、 参加者(住民)同士で特定の決定権者を決めあい、 材料や色を確定した事例もある。 共同体験が育んだ「相互の信頼関係」のなせる技といえようか。

改行マーク最後に、 ワークショップが普及する今日の社会的条件からくる制約がある。

 

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三つの実験テーブル
 
 
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ワークショップ進行の流れ
 
改行マーク利益率を重視した、 より「効率的経営」を求める社会経済の風潮に「テマ」「ヒマ」のかかる手法が制約されないかとの危惧である。 行政予算は削減の方向にあり、 職場の創作環境もきびしい。 現場に行かず、 模型づくりや実験をする余裕もなく、 計画・デザインがすすむ事態もきかれる。 行政の「肩がわり」や「安上がり」であってもならないし、 「急がば廻れ」もある。 参加意識や行動の高まりをみせる国民の理解と支持に依拠して展望していく以外ないと思っている。


5。 ワークショップの実験にあたって

改行マーク今回は、 本格的な準備と環境条件でワークショップを体験していただくことには、 物理的に無理があります。 与えられた午後の時間を有効に活用し、 次頁の要領で模擬的な体験を試みます。 フォーラム参加者の自主的・積極的な参加をお願いします。

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